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今、この世界は、絶望に満ちているのか。それとも、光が射すことを期待しているか。

 科学的な見解がここ最近で具体性を増してきていることに、ボクのフォロワーの一人が、苦言を漏らしている。

 「これが現実だ」と誇示されたようで、絶望感を助長するかのような、今後どうなっていくのかという具体性。この具体性を「闇」と表現するならば、やはりこの闇を斬り裂いてでも生きていかなくてはならない。

 いま見付けることのできる僅かな可能性と希望というのは自身で持っておきたいところ。現実がどうあれ、受け止める以外に道はないのだから、絶望するのではなく、この先の栄えある光、栄光を信じるしかない。

 自分が闇に堕ちればきっと誰かを不幸にし、自分が誰かを照らす光となればきっと誰かを勇気づけることができる。noteユーザーの皆さんは、どちらのポジションを選択しますか?絶望noteユーザーなのか、それとも栄えある光を照らすnoteユーザーなのか。

 ストレスが溜まって、何も手につかない。ジッとしていられなくて、外出し始める人たちがすでに出現し始めている。これが定期的に続くことで、感染拡大もまた定期的にピークを迎える。

 感染者数が増減しながら、そのことに一喜一憂しながら、いつになったら終わるんだ!と苛立ち、以前と同じ価値のはずの時間が、ただただ流れていく。

 でも、もし世間がそういう状況であっても、自分までそれに染まる必要はない。その時々で、自身が取るべき選択を行動に落とし込み、せっかくなら楽しんでいかなくてはならない。どんな時間を過ごそうとも、ボクらには時間が限られているのだから、単純に光を求めて生きるのがいい。そのことを、虫や花は本能的に理解している。人間も、彼らに倣うべきではないかな。

 闇に嘆くのではなく、光を求めること。今は、それだけ考えていればいい。他力本願では楽しもうにも限界がある。理想を笑ってきた人間たちも、今は光を求めているのではないだろうか。理想的な未来を。そのように、自然の猛威は生命の在り方をリセットしたり、進化させたりする効果もある。

 有事の耐性が強ければ生きていけるし、誰かの力になれる。こうして書き連ねている言葉も、誰かのためになっていれば書いた意味があるというもの。生きよう、この苦境を。乗り越えよう、この惨事を。フルボリュームで叫べ。

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