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◆宇宙も球体であるのなら、何かしらの物体の周りを公転している可能性はないのか

 人類が知り得る宇宙の実態とは、およそ138億年前に起きたビッグバン以降ずっと膨張を続けているとされている。一説には、宇宙の外側は完全暗黒無の世界が広がっていると言われていたり、同じような宇宙が無数に存在していると言われたりするけれども、どちらにしても未だ解明はされていない。

 もし仮に後者のようであるのなら、いくつも存在するはずの宇宙はどのような状態で存在しているのだろうか。とある宇宙関連のYouTube動画では、球体の宇宙が縦横ビッシリと果てしなく並んでいるビジュアルが描かれていたけれども、そんなことがあろうはずがないと私は思っている。

 なぜなら、宇宙が膨張しているとするのならば、上下、前後、左右、斜め、全方位に隣接する宇宙と衝突・融合するはずだからだ。

 私が想像するに、人類が知り得る限りのこの宇宙というのは、何かしらの物体の周りを公転していて、およそ太陽系のように、それぞれの宇宙が、それぞれの公転軌道を周回していて、宇宙同士が互いに衝突することがない。その縮図が所謂銀河系なのではなかろうか。

 似たような渦巻銀河が宇宙空間には2兆個以上も存在していて、長い年月の間に、銀河同士が衝突したり、新しい銀河が誕生したりしているわけだけれども、人の体内で起こる細胞分裂、ウィルスや菌の戦いなどと言ったことももしかすると、そうした宇宙のメカニズムの縮図だったりするのではないか、そんなことを考えてしまう。

 とするならば、遥かに大きい規模である宇宙以上の領域で考えると、宇宙もまた、別の宇宙と衝突して融合したり、新しく誕生したり、似たような現象が起きていても不思議はないはずだと思ってしまう。

 昔は、宇宙は有限で膨張も縮小もしていないなどという説を天才アインシュタインが提唱していたものを、宇宙望遠鏡の名として有名なハッブルは銀河が遠ざかっていることに気付き「宇宙は膨張している」と提唱したという話がある。

 果たして、宇宙だけが一つしか存在しないなどということがあり得るだろうか。人間の身体の細胞のようなことが太陽系だけでも起きているのに、それらが群を成す銀河団、銀河団が群を成す超銀河団が存在していて、同じようなことが大小様々な規模で起きていることから察するに、宇宙もまたそれに近いような現象を繰り返しているのではないかと考えれば、きっと宇宙の外を覗き見ることができたなら、そこには宇宙が群れを成す宇宙団、宇宙団が群れを成す超宇宙団が存在していても何ら不思議はない。

 何も根拠がなく、解明されることはないのかもしれないけれども、こういう想像から、宇宙だけが一つだけしか存在しないなどとは到底思えない。少なくとも私にはそう思える。

 もっと想像を飛躍するのならば、それらすべては、一個体の内部の可能性だってある。

 もしそうだとするのなら、私たち人間は常識や思い込みや錯覚、文化や伝統、宗教や仕来り、上下関係や国など、地球上だけでも多くの枠組みや縛りの中で生活しているというのに、大気圏の外側、銀河系の外側、銀河団の外側、超銀河団の外側、宇宙の外側、宇宙団の外側、超宇宙団の外側・・・一体いくつの鳥籠の中に我々は存在しているのだろうかとも考えてしまうのだ。

 そこで考えてみる「自由とは何か」。もうそこまで行くと、自由などという概念自体が無意味で、宇宙の外の外に存在するかもしれない最後の領域が虚無であるように、結局意味の無いものなのかもしれない。

 こういう考え方に共感する人はなかなかいないかもしれないし、命を尊ぶことは大事なことだとも思うが、それにしてはあまりにも小さい存在でしかない、ほとんど塵芥同然とも思ってしまう。そんな我々人間同士が正義を振りかざして争い合い、食糧や土地や命を奪い合う光景というのは、それこそ大宇宙規模から見れば取るに足らない、認識すらされない小事なのかもしれない。、

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