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【#とは】二つの相反する命題や推論が、同じだけの合理性・妥当性をもっている「二律背反事象への適切な認識」

 2つの相反する命題や推論、この世界にはあまりにも多く存在している。具体的にどういうことが挙げられるかというと、例えば、「美しい⇔醜い」「格好良い⇔恰好悪い」「正しい⇔間違い」「ホント⇔ウソ」などといった対義に位置するこうした言葉は、ただ単に言葉であるだけではなく、個人やあらゆる組織において時に都合よく、時に過剰に乱雑に扱われることが多々ある。

 ただ、【美的センス】は、どちらにも偏ることのない中央観点で物事を捉えるものではないかと思う。冒頭に挙げたような、美しい、格好いい、正しい、ホント、などといった良い印象のものばかりに目を向けるのではなく、醜い物事にも、格好悪い様子にも、間違いにも、ウソにも同等に目を向け、適切な認識を可能にする、それが要素として美的センスに含まれると考えられる。

 美的センスっていうと、響きだけはインテリっぽい感じがしてイヤな印象を受けるかもしれないけれども、実際そんなキレイなものでもない。

 何を基準に美しいと感じるのか。何を基準に正しいと思うのか。それは常に、それとは反対の事象がどういう状態であるかを知らないことには美しいとも正しいとも判断はできないはず。

 夕焼けを見て何も感じない人はそうそういないかもしれない。ところが、どれほど美しいと感じるか、その度合いについては個人差がある。なぜ個人差が生じるのかというと、毎日夕暮れ時は訪れるため、毎日夕日を見て美しいと感じるかというとそうではない人もいる。

 中には、空なんか見上げる余裕のない人もいるだろう。その時の気分によって、その時の境遇によって、元々美しいものもそうは見えない時もあるかもしれない。

 人間は飽きる生き物。どんなに美しい景色も、どんなに美味しい食べ物も、毎日続くと美しさも美味しさもどんどん感じなくなっていく。

 ではどうすれば美的センスを鋭く働かせられるのか。おそらくそれは、「飢え」を必要とすべきで、美しい景色を見ない期間、美味しいものを食べない期間、そういった感じのブランクタイムを設けることで美的センスに飢えを生じさせる。

 「生ビールは一口目が旨い!」とよく言うじゃん?オレもそう思う。でも、一回にどんなに大量に飲んだとしても、美味しさで言えば最初の一口には絶対に及ばないんだよね。毎日飲んでもそう。

 アレだよ?タバコ吸わない人はわからないかもしれないけど、タバコも、1か月以上禁煙して吸ったタバコは格別に旨く感じられるものなんだよね。

 人間の感覚って鈍るんだよ。これも腐るほど聞かされてきたことだけど、「習慣の美学」を延々と語る人いるでしょ。じゃあね?10年間毎朝1時間ジョギングしてますっていう人がいるとするじゃんね?まんま自殺行為でしかないのよ、これ。

 人間の心臓の生涯心拍数って21億回~23億回程度って言われてるんだけど、走れば走るほど寿命を縮めてるようなものなんだよ。それよりは有酸素運動で知られる歩行のほうが健康維持に効果があるってことになる。

 マラソン、サッカー、ラグビー、アメリカンフットボール、こういうスポーツってめちゃくちゃ生涯心拍数を削っていくから、まさに命を削って戦ってるんだよね。格闘技で言うところのボクシングもそうだね?試合でもそうだし、練習で死ぬほど走るでしょあの人たち。そういう人生を選択して突っ走っているのだから、きっといつ死んでも後悔はないんだろうけど。

 習慣って、ロボットみたいに規則的な行動じゃんね?人間はロボットじゃないんだから、習慣にこだわる必要ないと思うんだよね。習慣を肯定している人たちでさえ、そのリズムが少し崩れるだけで無意識にストレスを感じたりする。むしろそのほうがかえって良くないじゃん。

 「自分の身体の感覚が要求することに素直に応じる」これって健康維持の鉄則だと思うんだよね。これを壊すのが悪習。飲み過ぎ食い過ぎもそうだし、薬品過剰摂取もそうだし、睡眠不足もそうだし、こういう悪習のせいで体質が変わったり代謝リズムが狂ったりする。

 空腹も元は正常な感覚だったはずなんだよね。でも、一日3食以上に口寂しさに年がら年中間食してしまう人なんかは、それは体重は増えるわ、代謝が狂うわ、お金はかかるわで良いことない。

 そうならないように、元から「ある程度空腹を感じてから食事をする」ってことが自分の身体の感覚が要求することに素直に応じるってことなんじゃないかな。それであれば胃袋が異常にデカくなることも避けられるのにって思う。オレなんかは量より種類で食事するから。太らない自信がある。

 空腹感も眠気も、至って正常。ただ、味覚は多少バカになってるかもしれない。何でも食べちゃうからね。好き嫌いがないってのもあるとは思うけれども、嫌いなものがないっていうよりは味覚がバカかもしれない。

 やせ型の体系なのに、食事の時、特に晩御飯の時は、キャベツの千切りにドレッシングをぶっかけて100gくらいガッツリ食べてからビールとおつまみをいただく。体脂肪率一桁はずっとだもんなぁ。ビールも1缶で十分満足。それ以上飲んでも一緒だし、大して美味しくない。

 でもね、こういう一つ一つのことって、自分の身体だけで試してそういう選択をするようになったのではなくて、科学的根拠に基づいた話だったり、周りの人たちの様子だったり、いろんな物事から影響を受けて今に至っている。

 時間をかけて、自分の感覚が鈍くならないような選択をしてきたと思う。正解はないと思うけどね。

 この世に体に毒なものは多々あって、日々、自分たちは微量の有害物質を体内に取り込んでいる。タバコは害!お酒は害!カップラーメンは害!アレルギー食品は害!ぜーんぶ害!ってことでもない。

 好きなものを選べばいい。病気になりたくない、死にたくないってどんなに望んだってなる時はなるし、訪れる時は訪れるんだから。受容することも人生を豊かにするためには必要だと思うよ?

 だから、二律背反的な偏った思考は、人生を不幸にするだけなんじゃないかなーって思うんだよね。おまけに、これを他人に強要する人物の存在はなおさらストレスでしかない。良かれと思ってたって、「〇〇ばかり食べてると病気になるぞ」とかさ、言う必要ないんだって。自分で選んでるんだから。

 カラダが何かしらの異常を来したら、病院に行けばいいだけのこと。それで仮に何かしらの病気だと診断されればそれを受け容れればいいだけのことでしょ。

 習慣の美学は語る必要ないと思う。本人にはいろいろな根拠があってその習慣を自分にとっての正義だと思っているんだろうから。でもね、あなたの習慣を他の人に強要するのは全部ひっくるめて精神的ストレスを与えるだけなので、って教えてあげないとね。

 なんで習慣の美学をここまで嫌うかと言うと、本人が信じている習慣が科学的根拠に反する身体に悪い習慣の場合もあるから。一部の人にっては有効な習慣ももしかしたらあるかもしれないけれども、勉強法や薬品の効能と同じで、習慣行動で得られる効果は人によって様々でしょう?

 「〇〇通販で健康食品を買って利用しています、前よりも体調がだいぶ良くなりました!友人にも勧めてみようと思います♬」なんて満面の笑みで語るおばあちゃんみたいなのに感化されちゃう人は、たぶん自分の意思では選択できていないことにすら気付いていないと思うんだよね。

 バファリンとかEVEとかいう市販の痛み止めあるでしょ。これも、過剰に飲み続けたら効き目がなくなっていくんだよね。たまに頭痛が酷い時とか歯痛が酷い時とかに飲むことあるけど、バッチリ効くもんなぁ。少しは痛みにも耐えないととは思うけど、頭痛と歯痛の時だけはすぐに痛みを取り除くようにしている。何もできなくなるからね。爆弾低気圧の時くらいかな?

 何はともあれ、自分の感覚が鈍るのは他の誰のせいでもなく、自分のせいでしかない。マックもメニューによっては旨いメニューあるけれども、年1で食べるくらいでいい。年1くらいならほとんど害はないでしょ。おまけに、1年置くだけでめちゃくちゃ旨く感じられる。

 久々に韓国焼き肉店に行きたいなぁ・・・。あの店にはかれこれ10年以上行ってない。今もあるかはわからないけれども。

 うん、外食産業、今はとんでもなく大変だけど、たまに外食するっていう前提でいれば、どこに食べに行くか選ぶのも楽しみの一つになる。イオンのフードコートに毎日のように入り浸っている子連れママ友集団は、きっとそんなことは片隅にも考えてなんかいないんだろうけどね。

 習慣を大事にするなら複数パターンのライフスタイルを持っても良いかもしれない。半年、もしくは四半期ベースでコロコロ変えるだけで、感覚刺激としては良いかもしれない。

 風呂に入って身体を洗う時、ナイロン製のタオルでゴシゴシしてる人、確実に肌を傷つけてるから辞めたほうがいいよ?石鹸を泡立てて、素手で撫で回すだけでいいって知ってる人たぶん少ないよね。肌荒れが酷い人は特に気を付けたほうがいい。体中の垢を全てキレイサッパリ取り去るのは年1くらいなら良いかもしれないけど、毎月はダメだね。垢も肌を守る役目がある。気持ちいいのはわかるけどね?

 人と話してると、「あー、この人めっちゃ考え方が偏ってるなー」って内心思うことが多々あるんだけど、そういう時は絶対に否定しない。「そうなんだ、どうしてそう思うの?」って逆に掘り下げる。で、あくまでも自分の意見として「オレはこう思うよ」って言うに留める。相手の感想を否定しても相手の感想なんだから否定したって意味がないからね。

 相手が年がら年中愚痴しか言わない人間でも、一定回数は聞く。度が過ぎれば誘導するけどね。「オレならこうする」ってちょっと断定するような言い方にシフトする。それでも否定はしない。

 いろんな人たちがいるよね。他人が信じていることがどんなことなのか、それに興味があるかなー。話す時はそこに意識が向かう。で、相手の話を聞いていてその人ならではの美的センスを感じられる時は、興味が増すかな?

 良いことしか言わない人よりも、毒づくこともある話し方をして笑いにするようなオチに持っていく人の話は面白い。うまいなーって思っちゃうなぁ。

 他人の悪いところを粗探しする風潮が今の社会にはあるけれども、そんなことより他人の良いところに気付けるほうがよっぽど面白いし価値があると思う。自分の感覚に過信せず、他人の美的センスにより多く気付いていきたい。

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