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【FINAL FANTASY BRAVE EXVIOUS】ラスウェルの言葉

”人間はたやすく闇に落ちる。不安定で弱い存在なのかもしれない。”

 「FFBE」は、スクエアエニックスが配信するゲームアプリで、ファイナルファンタジーシリーズ全キャラクターとFFBEオリジナルキャラクターが集結し、「ファイナルファンタジーブレイブエクスヴィアス」オリジナルストーリーを描いたもの。

 たかがゲーム、されどゲーム。ただ面白おかしいだけで時間を浪費する人もいるかもしれないけれども、ボクは、小説を読んだり、映画を観たり、アニメを観たりする時と同様に、このゲームからも多くの学びを得ている。

 ストーリーを進めていると、たまに「お?これは良い言葉だなぁ。」と思ったり、考えさせられたりすることがある。よく考え込まれている作品だと思える。その度に、スクショする癖がある。ゲームという概念も、20年前と比べるとだいぶ進化してきたのではないかと思えるほど。ただの時間つぶしではないゲームもあるのだと気付かされる。

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 この作品を一言で表現するとすれば、「人間の心とは何か」を物語の中で具体的に表現している作品だとボクは思う。

 善悪だったり、正義と悪だったり、現実においてもマンガ・ゲーム・ドラマ・映画・小説においても、この2極だけで様々なストーリーが描かれる。そして、その多くが「人の死」を描いている。

 生きていると、「もしかしたら自分はそうそう簡単には死なないんじゃないか」と、いや、それほど極端ではなくとも、まさか自分が明日死ぬとは誰も思っていないだろう。一部を除いては。そしてその死一つ一つの背景にはあらゆる不幸が起こっている。

 不幸と言っても、悪によって生じた不幸なのか、それとも、100%不運によって起きた不幸なのか、その中身も様々だろうと思う。

 で、ボクが断言したいのは、過去、どんなに栄光のある人でも、ある時を境に闇に落ちることがあり、反対に、過去、幾多の悪に手を染めてきた人間でも、ある日を境に善の道を歩き始めることがあり、元々何人たりとも完全な善人ではないし、完全な悪人でもない、双方をその人格に宿しているのが人間なのだ、ということ。

 性善説とか性悪説とか、思いっきり偏った説なんて信じる信じないの問題ではなく、そもそもそんな説はどんな人間にも当てはまらないんだよってことね。

 人は何かをきっかけに道を踏み外すことがある。自分だけはそんなことは絶対にないなんて言い切れないのはなぜか、ウッカリ誰かを傷付けてしまうこと、ウッカリ人の命を奪ってしまうこと、ウッカリ人の人生を全く別の性質のものに変えてしまうこと、欲望を抑えきれなくて感情に振り回されて気が付いたら取り返しの付かないことになってしまうことが誰にでも起こり得るものだから。

 うーん、そうだな、例えば、有名タレントが薬物で逮捕されたとかいう報道が流れてきた時に、ここぞとばかりに叩きまくってる頭スッカスカのネット住民たちはどうだろう。結果だけを見れば確かに法に違反して逮捕された事実が残っている。だけど、どこぞの記者みたいに、どこぞのライターみたいに、「アイツはヤバい奴だ」「前から怪しいと思ってたんだよね」「またか、一生ブタ箱から出てくんな」などの罵声を浴びせて良い気分になっている。

 無論、犯罪そのものを擁護する気は毛頭ない。でもさ、そうやって罪を犯した人間に罵声を浴びせているおサルさんたちって、本当に完全な善人なの?そもそも善とか悪とかって何?あれでしょ、杓子定規でしか物事を見られなくなっているから、自分の行いに悪があっても見て見ぬフリをして他人を叩くことで、「オレはアイツよりまともな人間だ」と思いたいんでしょ。そのほうがよっぽど人間終わってると思うんだよね。

 ねーねー、一つ質問してもいい?

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 ボクがまだ小さい頃、世間じゃこう言われてた気がするんだ。「有名大学に入れば就職に有利!」「一流企業に就職すれば将来安泰!」「銀行員と公務員は安定した職種だ!」と。ところが今はどう?本当にその道を選択した人たちが安定した人生を送れているって言える?

 自慢じゃないけど、今まで安定した歳月を過ごしたと思えた試しは一度もない。社会に出てから全部経験したよ、ホームレス以外は。アルバイトも、それよりもっと酷い日雇いも、契約社員も、派遣社員も、そして正社員も。

 正社員で働いていた時は、契約社員で入社してたった1年で管理職になってしまったけれども、給料も跳ね上がって相応の権限も与えられたし、同期や先輩たちを抜いて上に立ったけれども、素直に喜べなかったんだよね。まぁ業態も業態だったんだけれども、ある日ふと思ったんだ。「オレはこのままその上に行くことなく何年もこの仕事をするのか・・・」と。目先の給料とかどうでもよかった。

 仕事は楽しくないのなら辞めて好きなことするか、転職するか、すぐに決めたほうが良いってのはずっと前から変わらない。あまりに過酷すぎて10か月間もの時間を何もせずにニート暮らしをしたこともある。全部経験している。だから今、ちょっとやそっと辛くても頑張ろうと思えるのかもしれない。

 ただね、過去を振り返ると、ホントいろんな仕事やったなぁって思う。頭も手足も、ところ変わればなんとやらで、行った先、行った先、その都度一から違う仕事を覚えて徐々になれていく。「へぇ~、こんな仕事もあるんだ」と興味深く思うこともあれば、「こんなことが仕事なのか・・・」とガッカリしたこともしばしば。

 過去、いろいろ思うことはあったけれども、今になって思うのは、誰がどんな仕事をしていても、それはちゃんと社会のためになっていたり、会社のためになっていたりして、物事は回ってるんだということ。「あんな仕事したくないなぁー」っていう先入観があってもやってみたコンビニのアルバイトは、思いのほか楽しかったし、大学時代に一度年明けの年賀状配達のアルバイトもやってみて、強風吹き荒れる中、郵便物を大量に撒き散らしてしまったことがあり、必死になって集めたこともあった(笑)

 失敗の数だけは誰にも負けないし、その中身も案外濃いものも(笑)だいぶやらかしてきてるけど、恥ずかしいなんてコレッぽっちも思ってない。その反対で、いろいろと失敗してきて良かったなぁと思える唯一の理由は、「失敗した時の心の揺れ幅に対する耐性」が備わったこと。やっちまったもんは仕方ない、これ最強(笑)でも、これまでしてきた失敗のうちどれも、悪意なんて一つもない。本当に悪意があるならそれこそお縄頂戴してたはず。

 正直、自分のことだけで精一杯・・・ではなく、自分のことも完璧にはやれないっていう自覚がある。今後、もし万が一結婚するようなことがあったとしたら、お相手はさぞ大変だろうと思う(笑)だから、もう一切望んでいない。自分でそれがわかっていて敢えて結婚する理由はないからね。それに、初恋以上に人を好きになることってもうないだろうなって思ってるから。独りでいるのが楽なんだというところに落ち着いた。

 なんだかんだあっても、今、こうして生きていられることを奇跡とまでは言わないけれども、人道を踏み外すような下手な真似は避けることができているという事実がただあるだけ。生きていく上で考えてはいけないこと、「何のために生きるのか」「何のために頑張るのか」この2つ。考えたって無意味だから。

 人生が動く時というのは、自分が動いた結果。動いてない時ほどしょーもないことを考えるのが人間。そこに対して悪が忍び寄り、「魔が差す」ということが起こるんじゃないかなってボクは思ってる。だから、ひたすら自分がやりたいことをやるだけでいいと思うだよね。

 こうしてボクが独りで文章を書いている間、誰にも迷惑をかけていないし、誰とも言い合いをすることもない。まさしく精神安定剤的な時間。今、ウィルス感染対策で東京都がマヒしかけてるけど、これがどういう事態を招くのかはある程度想像がつく。日本の経済の心臓部とも言える東京都がマヒすれば、全国に様々な問題を引き起こす。特に物流。物流がストップすると、何もできなくなる。結果、金融にも影響する。

 平穏な日々は一気に悲惨なことになる。もしかすると、関係ないと思われたトイレットペーパーも備蓄しておかなくてはならなくなるんじゃないだろうか??物が届かないのだから、その辺のスーパーやドラッグストアも空っぽになる恐れもある??たださ、こういう時だけ騒ぐよりも、やっぱり日頃から備えておくってのが正しい選択だろうね?

 そういう意味でも、「独り」であるということは非常に身軽。トイレットペーパーは18ロール入りが1つあれば一年以上もつ。

 「結婚すれば幸せになれる!」という幻想から目が覚めたのは6年前。これも失敗と言えば失敗かもしれないけれども、こういう気付きを得られたと考えれば失敗しといてよかったとも言える。本心から自分が望む生き方というのは、真面目に考えないといけない。真面目にね。自分の気持ちを縛り付けるような生き方を望んでないのに選択するのは、選択思考にセンスがないことになる。周りがどうとか関係ないから、ホント。

 なんで結婚してガマンするのかボクにはわからないけれども、ガマンしている人たちにはそれなりの理由があるんだろうから、そこは敢えて深堀はしない。したところで結局理解できるようなことではないから。夫婦で会話がないとか、親子で会話がないとか、終わってるからね。日本の離婚率が高いのもわからんでもない。だって、家庭の外には誘惑や楽しいことがいっぱいあるし、今となっては不倫も浮気もそれこそ文化だと思ってる人があまりに多いんじゃないかという気もするし。

 しょーもないことは考える必要ないけれども、自分にとって何が大事で、自分がどうしたいかくらいは、真面目に考える時間を持っておいたほうがいいんじゃないかな。事あるごとに他人のことしか話さない人には正直何の関心もない。思考回路が他人に支配されているうちは、話しても相手のことは何もわからないから。誰と話しても同じようなもんじゃんね、そんなの。自分のことを話したがらないくせに話しかけてくる人って、何を企んでるかが前提に立つからね(笑)大方反応を見たいだけなんだろうけど。そういう時は決まって沈黙をキープしちゃうな、ボクだったら(笑)下手なこと言うよりも黙ってたほうが相手の反応が面白かったりするからね。

 で、「なんでその話をオレにしたの?」って聞く。イイ歳した男が無駄に他人のことベラベラしゃべってんじゃないよオタンコナス!って内心思いながらね?(笑)ボクは話したい人としか話さない。それが時間的に一番価値があるから。自分にとってね?反対にガツガツ来られるのも嫌いじゃないけどね( ´,_ゝ`)プッ

 あ、あともう一つ、考えてもしょーもないことがあった。「あの時こうすればよかった」とかいう”タラレバ”的な思考。考えたきゃお好きにどうぞ、と内心思いながらそういう話は聞く。なんせスーパードライな性格なので。人の気持ちあるのか?とか、人の気持ちなんだと思ってるんだ?とか、何度か言われたことあったけど、そんなもん、キミに何の関係があるの?って質問返ししちゃう(笑)

 自分が尊敬する人、自分が話したい人、あと、自分が好意を抱いた人、こういう人たちに対しては、ちゃんと気持ちを察して言葉を交わす。そうでない以上はロボットみたいにさえなれる。心を無くしたロボットみたいにね。でも、悪意のものではなく、無になるんだ。感情のプラグを自分から引っこ抜くんだ。ブツっとね。

 人は善悪で視るべきではない。でも、人は見たこと聞いたことだけを頼りに見方をコロコロ変える。噂話が好きな人を見ると、おーおー踊ってんなぁーって思う。噂話はさ、都合の良いように解釈したい人たちがする話。言った言わないの揉め事になるでしょ?結果、噂の発信源である本人から人が離れていく、ブーメランなのさ。事実ではないことはウソなんだからね。

 そんなことよりも、「なぜ人は歌うのか」とか「なぜ人は音楽を求めるのか」とかいうテーマで考えたほうが面白いでしょ(笑)思考にもちゃんと目的があったほうがいいんだよね。何かに流されて惰性で働く思考ってろくなことない。

 でもさ、何について考えても、他人から見たらくだらねーって思われてることっていちいち数えてられないでしょ。あるさそりゃ(笑)だからさ、他人事より自分事が先って思えば、噂話なんかに意識を囚われることはないでしょう?

 確実なものを求めている割に、不確実性の高い物事に一生懸命なのは非常に良いことだ。なぜなら、人生とは元より不確実性に満ちているから。安定した人生なんか求めることこそ愚かだね。不確実性に満ちているから人は生きようと思えるのであって、100%満たされた人生は、年齢がいくつであろうとそれ以上満たされることはないのだから死んだも同然。

 100%満たされる状態をどう定義するかにも因るけれども、金がありゃ満足なの?何も苦労や苦痛がなくて、なんでも好きなものが手に入ることが100%満たされる状態なのだとしたら、前提認識があまりに狂い過ぎてる。それはもはや人間とは言わない。エサを与えられた家畜と同じ。

 持てば悪さえも寄る。持たざれば何者も寄らず。それが人間の本質。ボロ家に泥棒入らじ。だから、持たない。これまで捨ててきた結果、今が楽。何よりも時間が大事。自分の時間がね。

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