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円の「実質実効為替レートの下落」と働くというコスパの悪化と物価上昇

 通貨の実力は国家の経済と深く関係し合う。今、長期景気低迷に陥っている日本の通貨、円は約50年前の実質実効為替レートまで下落しており、このご時世における物価の上昇圧力は思いっきり逆風となっている、ということらしい。

 日本経済が力を失いつつある中で、皆さんは働く意欲が湧くだろうか。真面目な話、冷静に現状を捉えることのできている人は、仮に働いていようと働いていなかろうと、「働くというコスパの悪化」は日々肌で感じていることだろうと思う。

 なんでも、上場企業の配当打ち切りも連鎖的に発生しているらしく、これまで個人投資家として配当暮らししてきた人たちが頭を悩ませているといった状況も背景には見て取れる。

 では、ユーチューブ界隈はどうかというと、これもおよそ今年中には収益化が極めて難しくなるだろうという予測が立っていて、かつては広告ありの動画再生回数でウハウハだったものがそうではなくなっていきているということと、随分と前からユーザーの持つ可処分時間の争奪戦は済んでしまっているということから、早々に飽和状態を迎えてしまったため、これから収益化するにはまた別の手段を考えなければならないような有様。

 社会というのは、楽してお金稼ぎができる時期というのはどの分野においても少なからず存在し、黎明期を過ぎてしまうと、実態が明らかになればなるほど段階的に規制が入り、かつてのようにはいかなくなるということを繰り返しているとも言える。

 目まぐるしく変化する現代社会に適合できているとしても、ドッカリと椅子に座ってふんぞり返ってなどいられないし、逆に、これまで以上に頑張ったからといって未来が保証されているわけでもない。

 日本が経済力を失いつつあるのは、日本固有の資源があるわけでもないし、海外へ輸出できるほどの目新しい画期的な商品やサービスが誕生しにくいといった脆弱性が根強く残っているため、産業革命級のシフトチェンジが起きない限りは、日本円の価値というのは今後も年々急速に下がり続けていくことが考えられる。

 当然、働くというコスパもこれに比例して悪化していくことは容易に想像できる。もうそういう未来がすぐそこにやってきている。この現実を見て見ぬふりをして、それでもなお今まで通りに生きていこうと考えることは、果たして前向きだと言えるだろうか?

 岸田総理はおそらく、日本史上稀に見る苦境に立った総理大臣ではなかろうか。何かというと責任問題にしたがる国会議員やメディア、トップの頭を挿げ替えれば良くなるだろうという幻想、こういうことが今も繰り返されているわけだが、まずこういうところから変えていかない限り、絶対に上昇基調に風が吹くことはないだろう。

 「社会人としてどうなの?」というフレーズを意気揚々と言いたがる人がいるけど、社会人として要求されることというのは、時代の変化とともに都度変化している。

 「ニートは社会のゴミ」などと醜い言葉を吐き捨てる人も未だにいる。現代社会は、まだ、人を活かす努力が足りていない。違うことをする人、違うことを言う人は疎外対象にされて居場所を奪われる。それが日本における組織の悪習だろうと思う。

 そういう悪習を真逆に切り替えて、何でもかんでもこれまでどおりに縛り付けるのではなく、可能な限り活かす方向で人の行動も言動も受容していく必要性が浮き彫りになっているのが今の日本。

 失敗した人間も、悪いことをした人間も、最終的には有益な人材として活かすこと。それを面倒く下がって切って捨てるだけでは、尊い命が膨大な利益をもたらす機会も同時に切って捨てることになる。

 芸能界でもよくあっただろう。何かあるとすぐに番組降板して代役を立てたり、CM打ち切り、ドラマ中断、商品回収、みたいなことが起きて、一度の失敗で一人の人間に対する重すぎる社会的制裁を与えることに、どこか快感でも感じているのではないかと思ってしまうほど、極めて醜悪な現象に映る。

 チャンスを奪うことだけ上手になり、チャンスを生み出したり与えたりすることに関しては日本は極めて下手な国。高度経済成長期の日本でたくさん稼いだ人たちはそれを自身の実績だと自慢げに語るも、今の日本で同じことをやれと言われてできる人はほとんどいないだろう。

 あらゆる資産を貯め込むだけ貯め込んで社会に還元しない老人が保有する資産は数百兆円に上る。老人たちが高級車を運転する一方、若者たちは車離れをしている。老人宅が狙われやすい空き巣や強盗も、きっと見た目で選んでいることだろう。冗談抜きで、これからは「持っている人が狙われ、奪われる」。

 国家経済の弱体化は、好景気の時には起きない細々とした事件が増える。そのターゲットにだけはならないようにしたいものだね。そもそも、生きるという点におけるコスパも悪化しつつあるのかもしれない。

 さて、これからどうやって生きていこうか。

 富裕層は海外へ移住する傾向にあるらしいが、果たしてそれが正しい判断だとも限らない。もうどこに行っても何が起きても不思議はない時代。それがグローバル社会のある種の弊害とも言えるかもしれない。

 何度も書いてきたけれども、生活水準、下げておいたほうがいい。いざとなれば国は全ての国民を助けきれなくなる。一億総貧乏時代の幕開けだ。

 かつては優秀な人材が求められた社会も、今となっては客寄せ上手なパンダのほうが儲かる社会。学歴や資格よりも、より多くの人気を集められる人間のほうが需要が高まっている。

 こういう社会になって初めて、これまで取得してきた資格が何の意味もなさなくなって失望する人たちを量産するんだろうな。無責任に資格を取れと言われて取得した結果、命を落とした人も少なくはない。資格が払い続けてきた犠牲は、現代や未来の日本において活かされるのだろうか。

 運転免許証が払い続けた犠牲は、なんちゃらウィルスの比ではない。対価として払い続ける犠牲を活かす社会になってほしいものだ。

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