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【にゃむの推奨書籍】祈りの幕が下りる時/東野圭吾

 たった一人の人間の巨額の借金が、関係する何人もの人たちを不幸のどん底に陥れることがある。まさに「人間の不協和音」を物語った傑作。

 人間とは不思議なもので、もし心の底から憎む相手を殺してしまったならば、その次に憎む相手もその手にかけてしまう可能性を誘発する。過去の歴史から今年に至るまで、この社会では連続殺人事件や一家殺傷事件は幾度となく繰り返されてきた。

 人の命を殺めてしまった人間は、虚無の中で、陽の光を浴びることなく、暗闇でヒッソリと生きることを選択してしまう場合がある。この作品では、妻が不倫相手に貢ぐために膨れ上がった借金のせいで夜逃げをしなければならなくなったその夫と娘。夜逃げした先で遭遇したある男が金をやると言ってその娘を買春した際に、娘はその場で男を殺害する。

 娘の父は、壮絶な決断を娘に迫る。「今日でお別れだ。とうちゃんは今日からこの男として生きる。いいか、こいつを崖から落としてとうちゃんが死んだことにするんだ。わかったな?お前は・・・そうだな、近藤真彦と小泉今日子が好きだったな?今日からお前は近藤今日子だ!生きて幸せになるんだぞ?いいな??」と。泣き叫ぶ娘を置いて、彼は暗闇に消えて行った。

 その後、彼女はウソを吐き続けて生きることになったわけだが、そう、舞台は日本橋(=8月)。これが何を意味するのかは読んでみてのお楽しみ!

 嘘を吐くということは、その嘘の裏側には真実があるということ。それこそが人の心そのものだということを加賀恭一郎は言っている。嘘を吐くほどのことではなくても嘘を吐く人というのは、「自分の過去に負い目があるから」という明白な根拠がある人だ。

 ボクはつい最近も父に言われたばかりだけれども、会社の面接で正直に言い過ぎだ、と。人間性を疑われるようなことをしたとかいう過去があったとして、それをそっくりそのまま面接で伝えてしまうと、間違いなく落とされることになる。でも、ボクには言うほど人間性を疑われるような過去は持ち合わせていない。

 会社を辞めた理由、志望動機、自分の長所と短所、今までで一番頑張ったこと、今までで一番つらかったことをどのように乗り越えてきたかなどなど、大方こうした質問をされるけれども、「過去の失敗を語らない人間」について、会社の人事はどのように捉えるだろうか。

 成功したことや実績を残したことなど、良いイメージを与えるようなことしか言わない受験者がいたとして、あなたが人事担当者だったらどう思うだろうか。もしボク自身が人事担当者だったとしたら、敢えて「あなたがこれまでの人生で一番の失敗を挙げるとしたらどんなことですか?」と質問する。

 元より、自分の短所や過去の失敗を語るつもりのない受験者が、このようにストレートに質問されると、言葉に詰まる。面接官は、単に受験者の過去の失敗が何かを聞きたいわけではない。本当に聞きたいのは、過去の一番の失敗が何であれ、「そこから何を学びましたか?」ということ。

 誰しも人間関係では少なからず失敗をしているはず。例えば、小中高の学生時代に、いじめる立場、いじめられる立場、無関心な立場、そしていじめを止める立場、大別してこの4種に分かれる。ところが、いじめをした人間がいじめられることになったり、いじめられてきた人間がいじめる側になったり、はたまたいじめを止めた人間がいじめられることになったりと、ターゲットはコロコロと変わることもある。

 一度も人間関係でぶつかったり、傷付け合ったりしたことが無い人などそうそういるものではない。だから、過去の失敗が何かを質問されたら、人間関係に限定して話すのが一番。なぜなら、社会に出て会社で働くようになってからも、人間関係はずっと続く。出会い別れる中で、多少なりとも何かある。

 人間関係でトラブルがあった時にどんな失敗をしてしまったかを話し、そこから何を学んだのかを話して回答の締めとすればいい。失敗しない人間は、ドラマ「ドクターX」の大門くらいだろう。

 何を理由に嘘を付いても、関わり続けている以上、いずれバレる。そして、思い返されるわけだ。「なるほど、あの人は面接の時に嘘を言ったんだな。」と。嘘を言わないまでも、隠し続けていたとしても、いずれ嘘を言うことになる。

 心理的に人が話したがらない過去の悪い記憶は、他人に簡単に晒すものではないというのは正しいとは思うけれども、肝心な時に、肝心な相手に対して過去の失敗や苦い思い出を語れない人間は、誰が相手でも語ることが無い。

 人の不幸は蜜の味だと面白がってる種類の人間たちかどうかは、普段の会話でわかること。基本的に噂が好きそうな人間たちには嘘を言っても何の問題もない。彼らに真実を視ることはできないから。聴いたまま鵜呑みにして噂を広める種類の人間たちだから、こんなに単純なものに悩む必要はない。どんどん嘘を流してあげればいい。

 でも、嘘を吐いてはいけない時、嘘を吐いてはいけない相手、これはしっかりと見極めないといけない。互いに大切な関係性にあるならば、喜ばせたり驚かせたりするような目的のためであっても、嘘は極力避けなければならない。

 だってさ、よくよく考えてみて。その瞬間うれしかったり驚いたりしたところで、そのすぐあとには「仕掛け」だったり「意図的な準備」だったりってことがわかるわけで、その回りくどさに面倒臭いと感じたりつまらないと感じたりする人もいる。そんなことに時間を割くな、とね。誰もが嬉しいと思ったり喜んだり驚いたりするわけではないってのがドッキリの痛いところ。確か、キングコングの西野亮廣さんも言ってたね。「アレなんなん?別にうれしないし、驚きたいわけちゃうし、余計なことせんでええっちゅーねん。」と。

 なんとなくわかる気がする。ビクッ!!てなった瞬間にイラッとする人だってそりゃいるわなって話。誰もが同じ価値観でいるのだと思い込んでいることに対してまず疑えってことね。ハッキリ言って、ドッキリとかサプライズとか、まんま嘘やで?ってこと。そないなことせんでも普通にできるやろ?と。ベクトルの向きの問題ね。するんやったらそういうことが好きな人にしてあげれば?と。

 一方的な目的を実現して満足するのは、ドッキリやサプライズを仕掛けた人たちだけの場合もあるよー言うて、最近言語化されるようになってきたなぁ~♬その瞬間、亀裂入るで。

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