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【にゃむからのメッセージ】人の心に響く言葉の性質とは、短い言葉の中に意味を込めるからこそ残るのだ。

 ポジティブな意味でも、ネガティブな意味でも、短い言葉というのは長いこと心に残る。

 ボクは、6年くらい前に電話で兄に言われた「何もできないくせに」という言葉が今も心に残っている。その時、兄は、その意味をゴチャゴチャと語ろうとはせず、ただその一言に、瞬間、人生で初めてと言っていいくらいのショックを受けた。

 少なくとも、ボクは自分にできることが極めて少ないのだということは社会に出てからというもの常日頃から自覚せざるを得なかったくらい、あの、学生時代までの「根拠なき自信」は年々剥がされていった。6年、いや、8年か、社会人経験をしている最中で、自分にできることを増やさないといけないと思っていた矢先に言われた兄の言葉は、いま思い返すと、あの時しかないというくらいに寸分のズレもないタイミングで言われたのだという気がする。

 その日の夜、三十路を迎えた男が、ショックのために混乱して泣きまくった。頑張ってきたつもりでも、いくら兄弟とはいえ、何年も互いの生活や仕事の状況など知るわけもなく、互いにそのことはわかっていただろうと思われるが、それでも兄が「何もできないくせに」と言った真意は当時のボクには計り知れなかった。

 入社してたった1年で管理職になり、そこから2年が経ったところでプライベートが崩壊状態となり、それが影響して退社することになったわけだけれども、その時から10か月間、完全に無気力になり、虚無感に苛まれ、就活なんか考えなかった。

 あの3年間は、恐ろしいスピードで昇進・昇格し、給料も跳ね上がって、本当にいいのだろうかとタジタジしてしまうほどだった。しかしその一方では、安心した自分がいた。このまま行けば安泰だ、と。そのように錯覚してしまったことが崩壊へと向かい、不協和音と共にその安泰は崩れ去った。

 重い腰を上げ、なんとか派遣社員で働くことにして、誰でも出来るレベルの簡単で単純な作業をして、下手すると高校生のアルバイトよりも安い月給で過ごしていた。今から遡ること5年。この5年間、ボクはその楽な仕事生活に完全に気が緩んだ。3年目には派遣元の会社の正社員へ登用されるも、やることは一般の有期雇用の派遣社員と何ら変わらない。

 ちょうどその頃から、ボクはあまりに制限された仕事環境に飢え始めた。与えられた仕事は雑にこなし、興味関心の向いた「改善活動に関する思考」がギュンギュンと働き始めたため、とにかく本来あるべき姿がどうとか、現状がどうとか、クソみたいな理想論を書きまくって、9月末の去り際に100ページもの改善提案書を社内メールで送信して派遣先企業を退社した。

 10月に入って、ボクが次に派遣される企業の候補があり、派遣元の担当者がわざわざ紹介してくれたのにそれを突っぱねて、10月初旬には雇用元の会社も辞め、転職活動をすることを考えていた。雇用元からしたら迷惑な話だなと思いつつも、さっそく転職エージェントに登録して職探しを開始。

 先月の1カ月で、3社受けて1社内定、2社一次選考通過。どれも業界大手のグループ企業。一次選考通過している2社のうち1社は内定を狙いに行こうと思っている。もう1社は雇用形態は契約社員スタートなので、遊び程度に受けてみただけだが、何も人材価値として認められたとかそういうことではなく、単純に人手不足の時期だから、二次選考で上層部の人たちと直接面接をするところまではとりあえずやっておこうか、というだけのことだと思う。

 もっと早く動いておけば良かったのにって自分でも思うけれども、父親にも同じことを言われる始末。でも、負った傷は非常に重く深かった。正直、今日までの5年間は、高校3年間に次いで意義にかける時間となってしまった。ただ、全く無意味だったわけではなく、落ち着いて自分の人生を見つめ直す時間にはなったんだと思う。

 2018年5月からこのnoteを初めて以来、すでに1200投稿を超えているくらい、一言にハマった。画像作成も文章作成も、ほとんど毎日パソコンに向かって続けてきたおかげで、自分の心や思考とじっくりと向き合う時間を持つことができるようになった。こんな言い方をしてしまうと失礼に当たるけれども、この5年、仕事2割プライベート8割、それくらいの比率で重点をプライベートに置いてきた。

 正社員とはいえ、派遣社員である以上、どんなに頑張っても高が知れてる。そもそも、仕事を頑張るためには目的や目標を立てたいのに、それすらしなかった。それくらい、派遣社員として働いている間は面白みに欠けたし、やりがいにも欠けた。元より、ボクは保全や品質なんちゃらに興味はないし、そのための資格を取る気も毛頭なかった。そりゃ雇用元の人たちも困っただろうなぁと思う。モノづくりの職場は、ルールの縛りがあまりに多すぎて、本来ちゃんとやるべきことに時間も労力も割くことができないくらいに、何もかもが形だけになってしまっているように見えた、というのが正直な感想。

 ただ、これはあくまでもボクの主観。すべての人たちが形だけを取り繕っていたとは言えない。真面目に取り組んでいるのはほんの一部で、大半の人たちは無関心だったり、やっても意味がないなどとボヤいていたりするため、そういう環境下にいなければならないことは苦痛で仕方なかった。やっぱりボクは接客人として働くほうが性に合っているなと、モノづくりの現場における適性との整合性が無いことを悟った。

 ただね、人生一直線に成功に向かうなんてことはなくて、別に寄り道したり遠回りしたりしてもいいんじゃないかなぁなんてのんびり考えてるから、また方向性を改めて、これからはキャリアを活かしさらに形成するための働き方を求めていこうかと思っている。

 女とお金で失敗した過去は、高い勉強代にはなってしまったけれども、負った傷は、スーツをビシっとキメて会社面接のために名古屋に向かって何度か往復したら吹き飛んだ。スーツを久しぶりに着たら、管理職として働いていた時の思いが蘇ってきた。悪い過去ばかりではなく、少なくとも何度かは、自分の何かしらが誰かに認めてもらえたという事実があることが、今のボクの支えになっているのだということを、スーツが気付かせてくれた。

 ちょっと最近バタバタしてて文章更新はおろそかになっていたけれども、約1年半、noteを更新し続けてきたことで、やっぱり言葉って大事だなって改めて思い知らされたし、クリエイティブな思考を働かせるために画像作成を続けてきたことも、きっとこの先の人生に活かされる気がしている。「そんなことやって金になるのか?」と言われれば、まぁならないだろうねって返す。でも、「画像を描く」=「創造」、「文章を書く」=「思考の言語化」この2つは、どんな仕事でも、誰と関わるでも活かせるスキルだよなぁ?と信じているから続けているわけで、金になるかならないかは先天的に考えるべきではないって思ってる。

 金次第で描くことも書くこともするかしないかを決めるのか?いや、違うよね。そもそもどちらもお金目的でやることではない。単なる自己研鑽のためさ。字が綺麗だねって言ってくれた人の顔も名前も忘れないよ。文章書くのうまいねって言ってくれた人の評価は素直に受け止める。字が綺麗に書けなくたって生きていけるだろうし、文章が書けなくても数字や情報の扱いに長けていたり、体を動かすことで給料がもらえるなら生きていけるだろう。

 そのことは、これまでの経歴でハッキリしている。あまり大きな声では語れないくらい地味なことから恥ずかしいことまでやってきたからね。光回線販売を契約社員でやった時に、自分でもビックリするくらい個人客に受けが良かったことはそれがそのまま契約獲得件数に直結してくれて、これはこれで楽しかった。毎日誰がどこで何件獲得したかをその日の夜に連絡が来る仕組みだったから、なおさらやり甲斐があった。2か月連続N0.1は過去のちょっとした栄光。

 でも、そのちょっとした栄光のために、ボクは初めての個人向け光回線販売で契約獲得件数につなげるために相応の努力をし続けた。どうすればお客様がクロージングまでお付き合いしてくれるのか、あまりに押し売りになりすぎたら逃げられてしまうし、サービスの説明に一生懸命になってしまうとお客様の気が変わってしまって「また今度」とか言われて帰ってしまうし、というようなことをいくつかのパターンに分けて想定し、それぞれのパターンに合わせて徐々に修正をかけていった。

 そこで、ボクは仮契約から回線を開通させるまでの一連のプロセスの中で、お客様の興味を惹くための2項目に気付いた。光回線はいきなり工事というわけにはいかず、住宅の周囲の環境によっては回線開通工事ができない場合もあるため、例えエリア内の地域であっても事前に調査をして工事が可能だとわかってから日程をお客様に決めていただくわけだ。「調査までだったら無償でできる」「キャンセル料はかからない」この2点だけをお客様にまず認識してもらうことを考えた。

 お客様にマイナスがないかというと、場合によっては回線工事ができなくて契約はキャンセルになる可能性があるため、それを真っ先に説明することも毎度必ずやった。完璧なサービスなんてないからね。ある日突然トラブルが起こることがあるのがサービスや製品の宿命。すると、「じゃあとりあえず事前調査だけでもしてもらおうかな!」というお客様が多いことに気付かされる。あとはどんどん数をこなしていったわけだ。

 何より、当時はADSLの家庭が多かったこともあって、通信速度が遅いことにストレスを感じていた人たちが多かったことにも助けられた。開口一番、「今どちらのブロードバンド回線をお使いですか?」と聞いて、「遅かったりフリーズしたりする」というお声を頂いたら、「そのストレスを解消できるのがこの光回線なんですよ」「ただ、どのご家庭でもご利用できるものではなく、エリア内であるか、周辺環境が工事可能な環境下どうかなどいろいろと調べさせていただきたいのです。事前調査は無償でさせていただいておりますのでご安心ください♬(笑顔)」と伝えると、「なら見てもらうだけ見てもらおうかな?」となる。そこでサッと申込書の説明に入るわけだ。

 ただ申込書を出して記入箇所を言うだけだと不躾な感じがするから、個人情報の取り扱いとか、お問い合わせ先の説明とかしながら記入してもらうわけだ。お客様もただ興味があってブースに立ち寄っただけで、時間に余裕があるかどうかは定かではない。ならば、的確に、必要なやり取りをコンパクトに進めれなければ、お客様も疲れてしまうからね。こちらが話す言葉は短いほうがいい。お客様の話を聴くスタンスで話をスムーズに進めていくと、ストレスなくお客様もスッと用事を済ませて帰れる。

 自分だったらイヤだからね、長々とサービスの説明されるのが。やっぱり当事者意識って大事だな。自分だったらこんな説明聞きたくないって思うようなトークをしてたら、たぶん個人客だろうと法人客だろうとみんなイヤだろうな?って思った。流れ作業にならないように、重要なポイントに関するやり取りはもちろんちゃんとやらなければならないけれども、トークの合間のちょっとした話題や話術といったことも盛り込んで「少しでもその時間を楽しいと感じてもらうためにどうすればいいか」を考えた。

 やっていくうちに自分も楽しいって思えるようになってたことには正直嬉しかった。ボクはそういう仕事がしたい。派遣会社で働いてみてよくわかった。ルーティンワークだけにとどまってしまっていて、創造性に欠けるような働き方は面白くないし楽しくないしつまらないし不幸だ、といった明確な判断をすることができた5年間だった。あくまでも主観ね。個人としてそう思っただけ。ボクは次に行く。対話における短い言葉の求心力を鍛えながらね。

 文章は文章だからね。長文が嫌いな人は読まなければいいだけのこと。それでも読んでもらえるような文章を書けるようになりたいものだな、とも思う。

※別れ際、元嫁に言われた「あんたのこと最初から好きじゃなかった」この言葉も残ってる。「え?どゆこと?は?ん~??」って思ったけど、苦し紛れの言葉にしてはドストレートな言葉だなと思って、二人して笑ったのを覚えている。言わなかったよ、「じゃぁなんで結婚したんだよ」って。お金目当てだったのはわかってたから(笑)冒頭にも書いたけれども、当時はまともな判断ができないくらいプライベートが崩壊していたため、正論が通用しない、理屈ではない、それくらい荒れた(笑)いい勉強になった。ボクの黒歴史だな。なんて最低なんだオレは・・・(笑)

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