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◆時代によって変化していく幸せのカタチ

※作品の内容に触れるため、まだ観たことがない、ネタバレしてほしくないという方はまず先にスパイファミリーをご視聴ください。オススメの作品です☆

 アニメ「SPY×FAMILY」シーズン1を初めて観てその人気の理由を知ろうと思って、もう10回以上は観ている。

 AmazonPrimeビデオの週間ランキングで、上位にベッタリ張り付くほどの人気。シーズン1が終了してもなお上位にいるには相応に理由があることがわかる。

 一番の要素は大人気キャラクター「アーニャ」の存在だということは客観的に見てわかる。YouTubeでは海外の配信者がスパイファミリーを観ながらリアクションを配信している人たちが多数いて、とにかく女性はアーニャのかわいさにゾッコンしてしまっている様子。

 ひょんなことから男性スパイのロイド、女性の殺し屋のヨル、エスパーの能力を持つ6歳の少女アーニャがある時から家族として生活を共にすることとなり、様々な苦難、喜び、悲しみを共に乗り越えていく心温まるアニメとなっている。

 でも、この作品は、ただ面白いだけではなく、要所要所に現代社会に浮き彫りとなっている様々な問題をうまくストーリーの中に表現していて、さりげなく、とてもシンプルに伝わるメッセージを含ませているため、幅広い年齢層の視聴者から愛される作品にもなっている。

 アニメ作品が先か、テーマソングが先か、詳しいことは知らないけれども、Official髭男dismの楽曲「ミックスナッツ」の歌詞もすごく魅力的。特に、「幸せのテンプレート」というフレーズには意識を奪われた。

 家族とは何か、幸せとは何か、仕事とは何か、勉強や学校とは何か、シーズン1ではこうしたことに触れている。

 スパイファミリーのロイド、ヨル、アーニャの3人は、ロイドのスパイミッションを皮切りに、ある時から生活を共にする“仮初の家庭”を持つこととなる。3人ともそれぞれに特殊な背景を持つものの、ロイドは父として、ヨルは母として、アーニャは子として役割を果たしていく。

 特に、エスパーの能力を持つアーニャは、人が頭の中で考えていることがリアルタイムでわかるようで、人の心がわかることの利点と同時に、人間の怖さも伝わってくる中で、小さいながらに、子供なりに考えて行動をする。

 アーニャから見る父ロイドは「ものすごいウソつき」で、母ヨルは「優しいけどたまにおっかなくて料理ができない」。どうなんだろう。一般的に親は親で子供に親の背中を見せる意味で「完璧な親」を演じてしまいがちなのだろうか。アニメの中では、仮初の家族とはいえ、父ロイドも母ヨルも子供の前であっても自分のダメな部分、足りない部分を堂々と晒しているように映る。

 本当は、そういう親子関係のほうが心は通じやすいのかもしれない。まずそんなことを考えさせられた。

 次に、アーニャが受験するイーデン校。6歳にして学校を受験する設定。入学前に制服を新調した時、制服姿のアーニャが元々結婚未経験のヨルに「かわいい?」と聞くとヨルは「とってもかわいいですぅ~♬」と店内で連呼。店員からは早く帰ってくれと煙たがられるも、親バカっぽく映るヨルの姿は、本物の母親のようであった。

 受験前、父ロイドは、(他の生徒の心を覗いて受けた)テストの点数がどれも悪かったアーニャに勉強をさせようとするも勉強が心底嫌いなアーニャがイヤだと騒ぐ。その様子を見ていた母ヨルは、「数学は少し良い点数ですよ!頑張りましたね!アーニャさん!」と褒める。ロイドは集中力の途切れたアーニャの様子を見て座学以外のことをと、お絵描きや楽器やスポーツをやらせてみる。どれも不得意なアーニャを見て「何がこの子に適しているかを見極めて伸ばしてやらねば」と考える。その思考を読んだアーニャは「父、アーニャ頑張る」と言う。

 勉強しろとしか言わなかったり、大して適性もない習い事を何年もやらせることは子供のためにならないのである、というメッセージ性が窺える。

 イーデン校では、学業以外にも優秀な功績を残した生徒には星(ステラ)が与えられ、計8つ授与されると特待生であるインペリアル・スカラーとして懇親会への参加が許されるという制度がある。

 シーズン2ではアーニャが二つ目のステラをどのようにして獲得するのかが気になるところ。

 非常に特殊な学校のように見えるけれども、本来は、生徒一人一人の特性をその都度しっかりと称賛するような体制があったほうがよくて、それぞれに違うはずの生徒たちを「みんなで同じことをしましょう」をベースにすべきではないのだということがメッセージとして伝わってくるようでもある。

 通知表の5段階評価では、全科目それぞれの評価に留まり、5を貰ってもさほど嬉しいわけでもない。イーデン校のようなインペリアル・スカラーのような称号のようなものを目指す仕組みは、小学校からあっても面白いだろうなと感じさせられた。

 作品の中で、奉仕活動のために病院を訪れていたアーニャが足を怪我している男の子が病院のプールで溺れているのを助けに行ったシーンがあり、この功績を認められて一つ目のステラを授与されることとなるわけだけれども、そのように称賛されたことで、アーニャは気付くのである。

「アーニャの力、人の役に立った!エッヘン♬」

 小さい子供だからといって子供の繊細さや優しい行動を大人が見過ごしてはいけない。子供は大人よりも自分の言動や行動がどんなものなのかを自覚していないこともきっと多いだろうけれども、それを大人たちが多少大げさにでも褒めてあげると、そうした嬉しいという記憶がその先の人格形成において大いに貢献し続けるものになる。

 無邪気な子供が誰かのために取った優しい行動をした時には、大げさなくらいに褒めてあげることが大事なのだろう。その点でも、ロイドもヨルも内心でも褒め称えているし、言葉にして褒めている。子供は褒められて嬉しくないはずがない。

 子供に限らず、人は、心の底から嬉しい、楽しい、苦しい、悲しいと感じたことは、一生涯忘れることはない。大人が小さい子供に対して植え付けた恐怖というのは、絶対に記憶から消え去ることはない。

 里親に4回も引き取られては元の孤児院に戻されたアーニャが植え付けられてしまった悲しみや苦しみは、アニメの中では描かれてはいないものの、想像するに容易いものであることは間違いない。

 幸せのテンプレートとは、幸せとはこういうものだという先入観を表すフレーズだろうと思う。誰もが望む幸せが同じはずはないし、時代の移り変わりに伴ってその形も変化して当然のこと。

 今更、マイホームやらマイカー、結婚して子供を持つ、とった昭和的な幸せの理想像みたいなものを望んでいる人たちは極めて少ない。令和時代となったこれからの幸せの形は、きっと昭和時代のそれらとは全く種類も形も違うものになるだろう。

 大方、お金で手に入るようなもので感じられる幸福感を求める人たちはどんどん減っていくに違いない。生活そのものの経済的な面では質素であっても、人は金銭的なものでは手に入らない幸せな時間の過ごし方を模索していくことになると考えられる。

 給料が上がらない、そう騒ぎたくなるのも無理はない。でも、そのように不満を漏らしているうちは、足元の幸せに気付くことはおそらくないだろうと思う。改めて、自分がどんな時間を過ごしている時が一番幸せなのか、何をしている時が一番幸せなのか、具体的に思い返してみると良いのかもしれない。

 スパイファミリー、とても素晴らしいアニメだ。設定はとてもハチャメチャなんだけれども、考えさせてくれるポイントが散りばめられていて、何度でも見たくなる。先入観を払しょくするには良い作品だ。

「父も母もずっと一緒がいいです!」

 イーデン校受験の面接時に言ったアーニャの思い、この先どのような展開になっていくのか非常に気になるところではあるけれども、どうか最後まで離れ離れにならないでほしいと願う。

 両親の離婚の危機を思い出す。小6の時、父親から「お前はどっちについて行くんだ」と唐突に言われた時、黙って首を横に振った私は、きっと正しい選択をしたんだと思う。でも、その一方では、自分が欲していたような親からの愛情とは程遠い環境であったことも事実で、内心困惑していたのを覚えている。

 「そんな判断を自分の子供にさせるなよ!」

 過去に戻れるなら、その当時の父親にそう言いたい。できればそういう経験はしたくなかった。今だからいろいろと理解が及ぶけれども、小さいうちはまったくわからず、ただ困惑するしかできない。

 今でも言いたくなることはある。高3までの実家での生活で、どれだけの思いが削がれたことか。どれだけの恐怖を見たことか。自分の将来が見えなくなっていた状態で、本当は冷静に向き合ってほしかったと思っているけれども、ほとんど会話のない日々が続いていたのもあって、その機会を喪失してしまっていた。

 今どう思っているのか知らないけれども、もはやそんな遠い過去のことはどうでもいいくらいにでも思っているかもしれない。感情が絡んだ記憶は全て詳細に覚えている。絶対に忘れない。

 「記憶が改ざんされてるんじゃないか?」などと冗談みたいに言う両親には、もはや話す気すらも起きない。

 でも、悪いことばかりでもないなとも思う。幼少期からあまり多くを求めることがなかった私は、今になっても大して何も欲してなどいない。欲しいと思っていないものに対して思考を巡らせることもない。

 現実がどうあれ、あまり一般的な理想論に振り回されず、素直に自分の意思が働くほうへ、自分の意識が向かうほうへ素直に歩みを進めればいい。

 社会的な幸せのテンプレートで自分の幸福感が満たされることはない、まずそのことに気付いて先入観をきって捨てるほうが気が楽になる。

 これからは欲望まみれの人間ほど想像を絶する苦痛を伴うことになる。リアルにそういう変化をし続けているのが今の社会。

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