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【燈火~トモシビ~】炎の放つ明かりは希望の光

 巷ではこんな話がある。動画で焚火をしている様子を配信するだけで、再生回数が爆上がりするとかいう話。これを聞いてなんとなく理解に至る。

 木が燃えている、ただそれだけの映像なのに、なぜか見続けてしまう。炎は映像からも温かみを感じられる不思議な現象。

 そして、火の力が弱まり、燃え尽きてしまう瞬間というのは、どこかこう寂しいような気持ちにさせる。

 昔、田舎の実家で、小さい頃から手伝いの一環で風呂を炊いていた。薪を割り、小枝を拾ってきて、釜戸に薪を組み、火を着ける。

 秋から冬の季節は、杉の木の葉が燃えやすいということを父から教わっていたため、火を起こすのに苦労したことはなかった。

 また、ある程度の火力に達したところで、生木をくべると、グツグツと泡を吹いて激しく燃えた。

 毎日、そうやって風呂を焚き、炎を見続けた。

 どんなに外が寒くても、風呂を焚いている間は温かかった。

 着火剤、(紙や木材などの)燃える物、そして酸素、この3つが燃焼の三原則だと何度も教わった。

 当たり前のことのようで、こういう基本的なことはいざという時にこそ役に立ったりする。

 山で生活できるのなら、実家に戻ればいつからでもできる。実家=山みたいなものだからね。

 で、それをYouTubeで配信すれば、案外観てもらえるかもしれないとか考えている。

 田舎は何かと不便だというのは一昔前までの話で、今は案外そうでもなかったりする。

 肉や魚はネットで冷凍品を注文すればすぐに届く時代、野菜や果物は庭先で育てればいい。

 結構楽しいかもしれないね(笑)

 なんかこう、必死に社会の荒波にもまれて神経削って生きることが全てではないとは思うんだよね。

 社会という枠から外れたら社会不適合者というのもそうなのかもしれないけど、別にそれでも生きていけるならいいという考え方は、徐々に浸透しつつあるように思う。

 希望の光は誰かが照らしてくれるものとは限らず、自ら他を照らすことも可能。

 どうせなら自分が納得する生き方を選択したいものだね。

 そんなことを炎を見ながら思うのであった。

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