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空はこんなにデカいのに、なぜ人はいくつもの何かに縛られて生きるのだろうか。

 ま、ボクはこれまでに何度も背負ったものに意義を感じなかったり、未来に持っていきたくないものを捨てて来てるけれども、それら全てを今も背負っていたなら、ボクの未来は多くの縛りによってがんじがらめになっていたに違いない。

 本当は、滑走路は虹色で、空に向かって伸びていて、加速して勢いよく飛び立てば、これまで縛られてきたものを可能な限り立つことができるだろうし、以後の未来をもっと身軽に生きていくことができるけれども、一度背負ったものに対する責任の取り方もわからないまま縛られるくらいなら、初めから背負うべきではない。ましてやそれが人の命であるならば、一度背負ったら捨てることはできない。

 あいにくボクは人の命を背負ったことはないため、背負った時のことはイメージができていない。でも、今もし自分が人の命を背負ったとしたらどうなるのかくらいは想像がつく。自分の人生を生きることで精いっぱいなのは、今の時代多いんじゃないかな。にもかかわらず、子を持つということは現実とは真逆の選択であり、子の未来が簡単につぶされる事件は今年だけでもかなりの数。

 どこかこう、世間一般的にも乳幼児童虐待はどこでも起きてる社会問題だ・・・なんていう認識すら持たれて良そうな気がする。訳も分からず、痛みと苦しみと飢えに悶えて死んでいった小さい子供たちのことを想えば、いつも無念で仕方がない。もしかすると、彼らは、空がデカいことすらも知ることなくこの世を去ったかもしれない。

 この世界では、信じがたい現実がどこそこに存在していて、その多くが受け入れがたいものだけれども、一方では、このデカい空に飛び立つための虹色の滑走路も多く存在していることを忘れてはならないと思う。

 今いる場所にドッカリと腰を下ろして安泰だと居座るような生き方をボクは始めから望んじゃいない。自分にとって新しいことは、今いる場所とは違うところに必ずある。星の数ほどね。当然、人との出会いも場所が変わるだけでたくさん訪れる。ボクはそれが楽しいと思える。

 時には、つまらないなぁと思うような場所もあるけれども、旅の途中の道草気分で時を過ごすようにしている。

「ここが自分にとって全てではない」と、いつも自分に言い聞かせてる。これを「逃げ」だとか言う人間もいるけれども、認めてもらいたくてその場所にいるんじゃなくて、行く先々で自分の意思に従って行動することで変化を起こすことができるかどうか、挑戦するつもりで一定期間を過ごすんだ。

 実際にそういう生き方をしてきた自分にしかわからないのかもしれないけれども、変化が多くて面白い人生だと思う。行く先々で常識や仕来りが違うのは当然で、過去いた場所とのそうした違いを見ることも大いに学びとなる。基本的にそれらが正しいと思うことはなく、敢えて別の捉え方をしてきたように思う。

 だからかな、異端児扱いされやすい(笑)問題児扱いされることもまぁ何度もあった。お近づきになれる人は極めて少ない人種じゃないかな(笑)ボクは自由にテイクオフするよ(笑)その場所に飽きたらすぐに滑走路に向かう。自分の知らない世界へ向けてね。

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