無題

あなたは何のために時間を費やしますか?

 「時は金なり」という言葉がありますね。時は時間を表しますが、「金なり」の「金」はいろんなものに例えることができます。ボクが思うに、これを何に置き換えても、結局のところ、人が何かに時間を投じることによって、それは金には替え難い、かけがえのない何かになって自分に返って来るということではないかと思うのです。

 1年8カ月間、このnoteを続けてきて、時々ですが、ボクの発信物もお金を生み出すことがあったり、フォロワー増に繋がったりと、徐々に徐々に変化を遂げてきております。中には、「そんなことを続けたって飯は食えないだろ」なんて言う人もいますが、そんなことが目的でやっているのではなく、何者かになりたくてやっているのです。

 オーケストラをイメージしてください。

 指揮者がいて、バイオリン奏者がいて、ビオラ奏者がいて、チェロ奏者がいて、シンバル、フルート、ピアノ、トランペット、ホルンなどなど、各楽器には複数の奏者がいて、オーケストラ全体を臨場感溢れるものにしています。彼らは何のためにオーケストラで音を奏でるのか、その答えは、音の調和によって人々を魅了するものにするため。一人一人が、演奏技術を磨きに磨いて調和のために努力する。

 どうせ時間を何かに投じるのなら、いずれ誰かとチームを組む時に調和を図れるように自己研鑽を積み重ねるために時間を投じたほうがいいと思うのです。なぜなら、人ひとりができることには限りがあるからです。

 仕事について、最近ではこういうふうに言われることもあります。「できる仕事はさっさと他の人に預けて辞めてしまえ。そしてなるべく、自分がやったことのないこと、自分ができないことを仕事にして、自らステータスを上げていくための進路を選択するべきだ」と。この考え方には微塵の疑いもありません。

 そういう意味では、ボクも転々としてきたり、さっさと上に上がったりと、様々な仕事をしてきて、非常に有意義な仕事人生を送ってきているなと思い返すことができます。中でも、日雇いの仕事というのは、どれもインパクトがあったように思います。グッドウィルという日雇い派遣、覚えてますか?あの時、短期間ではありましたが、ティンバーランドのブーツの倉庫業務、八百屋の片隅でのヤマザキのクリスマスケーキ販売、メガホン片手に年末ジャンボ宝くじの声掛け、当時は本当に恥も外聞もないくらいに興味本位でいろいろやってました。

 年始の郵便配達アルバイト、コンビニのアルバイト、ミスドのアルバイト、なんていうのもやりましたが、コンビニのアルバイトは24歳くらいに2年間、非常に良い勉強になりました。ずっと夜勤で、レジ業務はもちろん、品出し、フェイスアップ、トイレや床の掃除、売り上げ計算、在庫確認、発注業務、新商品選定・注文、掲示物作成・店頭掲示、本当にやりたい放題っていうくらいに好きにやらせてもらっていました。

 そんな仕事、恥ずかしくてできない??やってみたら意外と面白いですよ。その時くらいですかね、時給がどうのこうのと思わなくなったのは。仕事は、ある程度自由度が確保されていて、実績が残せるのであれば、どんな仕事も一定以上の成果を挙げることができる、実体験からそういう微かな自信を獲得し続けて今に至っているわけですが、間で管理職数年を経験したことで、その時はリーダーシップに関してよく勉強したものです。

 ある職場では、遅刻したペナルティーとして、臭いゴミ置き場の清掃をやらされましたが、その時は2時間かけて無臭でピカピカの倉庫へ大変身させてみたり(笑)と言っても、洗剤ぶちまけてブラシでゴシゴシして水で流しただけなんですけどね、誰もそこまでやるとは思ってなかったみたいで、驚かれたものです。

 他者の期待以上のことをやろうと思ったら、その瞬間だけは熱量最大限に3倍くらいのスピードでこなさないといけない。あくまでもこれは感覚的な話ですが、周りの人たちと同じことをやっていても相応の結果にしか至らないというのは至極当然のことだと言えます。人と違うことをやってみたり、これまでの仕来りを無視して動いてみたりすることに対しては、大半の人たちが批判的な態度を見せてきたものですが、一方ではそういうアクションを見守ってくれる人もいるのだということを、行く先々で気付かされたものです。

 もはや、何者かは自分でもよくわかりません。ただ、一つ言えることは、人を悪く言うだけの無能な思考だけは働かなくなったということですかね。コンビニのアルバイトスタッフがどうだったこうだったと馬鹿にするようなことを言う割に、本人には何も言ってやらないサイレントクレーマーは非常に多い。でも、ボクは本人に一言伝えることがあります。毎回そんなことはしませんけどね。それも、無人化が進めば取るに足らない出来事へと変わってしまうわけですが、同じ仕事でも、仕事に対する向き合い方でパフォーマンスは全く別のものになる、ということを簡単に伝えるのです。

 大抵どんな仕事もやることは毎日代わり映えがない、そう思うこともありますが、結局、自分の頭で考えて工夫してみようとする姿勢があれば、どんな仕事でもその人なりの味が出て来るものですが、それを許さない職場もあるのだなということも、これまでの経験でわかったことです。おもしろくないですね、そういう縛りの強い職場は。それよりも、自分の考え次第でアクションを起こせる職場のほうが面白みは何倍にも膨れ上がるのに、敢えてルールに従っていればいいだけの職場にしがみつく人も少なくありません。

 金のために仕事をするな、とボクは自分に言い聞かせています。毎月25日になれば給料がもらえる受け身の働き方では、一生そのままでしょうね。年功序列も終わりましたし、周りに合わせてばかりいないでもっと自分で考えて働くことを可能にする職場を選択すべきでしょう。仕事が好きになれば、プライベートでの過ごし方も必ず変化していきます。

 未だに仕事とプライベートはきっちりとメリハリを付けるとかいう考え方を持っている人は考え方を改めるほうがいいでしょう。仕事が辛くてつまらなくて面白くないと感じている人は、プライベートもそういう過ごし方しかできなくなるものですし、本なんて読まないでしょうね。学ぶ姿勢を大切にしている人は、プライベートでも何かしら学んでいるものです。

 たった一度の人生、いろんなことを体験するほうが思考も豊かになるというものです。つまらない仕事なんかさっさと辞めて、もっと自由度の高い仕事を見つける努力をしてほしいものです。ゆとり世代とバカにされたくないのなら、ね。みんな平等じゃないですよね?平等ではないことを差別だと言い換えるのは、努力を嫌う人間の戯言です。怠けて生きてきた人間が差別されるのは当然だとボクは思います。最低限、生きる権利は守られるのですから、最低限の人生にしたくないのなら、努力をすることをオススメしたいですね、ボクは。

 入社からたった一週間で辞めると言い出すのは、自分が社会に通用しない人間であることを自ら証明したに過ぎない。若いということを良いことに辛いからって逃げ出すのは、非常に格好悪い。辛いときに踏ん張れないのは自分が弱いから、ただそれだけ。頑張ろうとしない人間に優しくすれば、もっとダメにするだけ。これは世の常じゃないかなと思います。パワハラだなんだと騒ぐ前に、精神を鍛えなさいよ、と思うのです。一生の汚点だと思って欲しいですね、入社1週間で辞めたことを。

 別に、専門性なんて求めてないんですよね、今の会社って。むしろ汎用性のほうを求めているんじゃないかなって思います。なんでもある程度こなすことのできる人は応用が利くということですからね。じゃあ、どうやって汎用性を磨けばいいのかって、体験しかないと思います。いろんなことを体験していく中で、人は多くのことに気付かされたり学んだりするのですから。失敗もして当たり前。多くの失敗をして人は成長するのです。

 むしろ、人生で失敗したことが無い人ほど脆い人間ではないかと思います。失敗したあとどうすればいいかわからないのですから。たった1度や2度の失敗を挫折とは言わないのです。何を甘えたことを言っているのかと思ってしまいますね。何度でも立ち上がって見せることが周りの人たちからの見方を変えるってことに早く気付いてほしいです。小さい子供でもそのことに気付いていると感じさせられる瞬間もありますからね。

 諦め癖は時間も金も無駄にする、そういうロスだらけの人生にしたい人には何も言いません。聞く耳すら持っていないのですから。馬の耳に念仏とはこのことです。

 本当の仲間とは、各個人が自己研鑽を続けた結果、チームとなった時に調和や相乗効果を図れるのであって、手を抜いたり、サボったり、文句や愚痴ばかり言ったりしているメンバーが一人でもいれば、調和が乱れ、相乗効果もなくなるのです。だからボクは、さっさと諦めて去った人間を仲間だとは思っていないのです。どれだけ厳しい世界かすらも想定できずに入社した、シミュレーションで恐怖を感じたり、拒絶反応を示したりして去って行った人間を、どうして仲間だと思えるのかボクにはわかりません。

 興味深い性質を持った人だっただけに、非常に残念な思いをしたし、ボクだけではなく、彼らの教育に関わった人たちや入社手続きの世話をしてくれた人たちの思いまで踏みにじったことを彼らは何とも思ってはいないことも残念だったのです。もっとつらい経験をしないと、本当の意味で気付き得ることはないのかもしれませんね。

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