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戦(いくさ)も長引けば互いに余計な死人を生む

 何事もスピードを意識すれば一つ一つが雑になるけれども、目的を達することさえできれば、過程が雑であるか丁寧であるかは関係なくなってしまう。

 戦に例えるならば、10万の軍勢と2万の軍勢が激突するとして、開戦前に勝敗がどうなるかを決め付けてしまいがち。ところが、敵軍の5分の1の軍勢でも、「敵将を討つ」という最大唯一の目的さえ達すれば、何万人の敵兵が生きていようともその数は関係ないと言える。

 ゴルフに例えるならば、「誰よりも先にボールをホールに入れる」という目的さえ達すれば勝ち。

 ボクシングなら、何十回もしくは何百回ジャブを打とうと、何回右ストレートを打とうと、何回ボディーブローを打とうと、はたまた1発のラッキーパンチだろうと、「相手を戦闘不能にする」という目的を達すれば、数は関係ない。

 今や、下積みなどせずとも、寿司職人にはなれる。皿を洗うことと寿司を握ることにはほとんど整合性がなく、下っ端だからと言ってどんなに先輩にコキ遣われても、寿司の握り方は上達するわけがない。

 こんなふうに、例えればいくらでも出てくるわけだけど、それでも、人にはどうしても経験値や培っていくべき感性というものを養っていかなくてはならないため、「目的を果たすための行い」で言うならば何よりも「場数」が大事になってくる。

 わざわざ面倒であまり意味がなさそうなことをせずとも、体力・精神力・想像力などの力や、個人が持つ知識や経験、センスや感性といったものが目的を達成するには十分なほどであるならば、ただ目的のために全てを活かせばいいことになる。

 ただ、せっかくそれらの力や知識・経験・センス・感性があったとしても、場数をこなしていなければ「目的を達するための活かし方」が確立されない。鬼滅の刃の主人公、炭治郎が技に入る前に叫ぶ「全集中」は、敵に最大限のダメージを与えるためのものだと考えると、うん、納得がいく。

 時間も金も労力も最小限で目的を達することは、決してズルいことではなく、それこそが効率。質を求めるよりもスピード。何事も先延ばしにして良いことは一つもない。スピードが遅いことで、余計な問題が生じる確率が上がってしまう。

 YouTuberのヒカルさんもメンタリストのDaiGoさんも、話し方がセカセカしているように見えるけれども、DaiGoさん曰く、話すスピードを速くすることで相手の聞く意識を高めるのだとか。ゆっくり話すことが良いことのように言っている人たちもいるけれども、それでは会話の腰が折れる隙が多く、話題が変わったり相手が聞いてなかったりする。

 マシンガントークほど、相手の聞く意識を高める。そして、早々に結論に着地させて相手の意見を促す。実際にやってみると、誰に対しても通用するとは思わないけれども、基本的に話すのが好きな人であるならば、話すスピードが速くてもちゃんと落としどころまで会話を進められることがあることに気付かされる。

 1stクロージングまでのスピードは、基本的に意識すべきことなんだな。人に説明をする時は、まず端的に目的を話し、続いて詳細を3つ話し、だからこうなんだという結論に持っていくと、1stクロージングまでは案外早く辿り着く。

 全集中!ファーストクロージング!!

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