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【#時代】淡く、そして儚く散り行く時の遷り変わり

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 中央集権的運営と地方分権的運営、果たしてどちらが正しかったんだろうね。

 なぜか香川県だけ「ゲームは日に一時間」とかいう条例?が物議を呼んでいる。その時点で、ゲームが「健康に害を及ぼすもの」とか「生産性のない無駄な時間」などといった捉え方をした人たちが決めたことだとわかる。

 ゲームは、今の時代、ソシャゲなんて言われるようになってから一体何年経ったかを考えても、現代におけるコミュニケーションツールの一つになっているわけで、これを制限しようというのは最悪基本的人権の侵害にまで抵触する可能性まで出てくる。

 言ってしまえば、ゲームはクリエイティビティの塊のようなもの。ビジュアルもストーリーも戦略も何もかもを詰め込んだようなもの。今や、ゲームから学べることは非常に多く、奥も深い。

 真剣にやるのなら、何でもやればいい。気が済むまで没頭すればいい。そういうことの積み重ねで人が構成されていく。確かに、全てが万人にとって良いものであるとは言い難いけれども、たった一度の人生、生まれてから親元を離れるまで、余計な制限は子の未来をも制限することになる。

 それを県が口出しするようになったら、親も立場がないし、行き過ぎた厳罰や制限は確実に不信感を生む。多様性が重視され始めた昨今、実に古い議論をしているんだなーと完全に他人事として見ている。

 高校生で月収数百万を稼ぐようなプログラマーなんてのも今では珍しくない。では、その家庭環境はどうかと言えば、大して制限なんかないんだよね。子の好きなようにさせている家庭がほとんど。

 あれダメ、これもダメ、そういうことしか言わない親の家庭では、子が想像以上に捻くれているもの。そのことに親は無関心だったりする。「お前のためを想って言っている」はウソ。ただ根拠ある説得ができない、もしくはする気がないだけ。

 自己肯定感という言葉があるでしょ。これも行き過ぎるとただのナルシスト。自分を肯定するのは自由だけれども、認めるべきことを認めずに自分だけは肯定するっていうのでは意味が違ってくる。

 うちの親父は、過去に自分がやった虐待のことを一切認めていない。その事実の上に積み上げられたものをいくら肯定しようとも、その事実を知る者からは絶対に肯定されない。忘れたとでも言いたげな感じで過去を美化し続ける親父に、オレは小さい頃から呆れていた。

 そういうことを一切気にも留めずに、高3の夏にオレを約1分殴る蹴るといった暴行を加えたことは、今も忘れていない。言葉が通じない、心が通わない、言うことを聞かない、だから暴行を加えたっていう言い訳をしそうだけれども、そういう親子関係に至った原因は自分にあるってことを認めない人間の言葉は常にスカスカなんだよね。

 それでよくコンサルなんかやってこれたものだ。外面だけは良かったってだけのことでしょ。事実を知らない人間たちに認めてもらうことに必死だったんだろう。でも彼は、一番近い存在から認めてもらえなかったんだよね。

 本なんか出版しようものなら暴露してやったのに。そのことを怖れていたのかどうなのか知らないけれども、アレコレと言い訳して本を書こうとはしなかった。そんな人間が印税生活なんか許されるわけないでしょ。

 もうまともに会話も成立しないだろう。余生も必死に過去を美化して自己肯定に縋って生きればいい。認めない限りオレは許さない。

 今更生まれを悔いても仕方ないんだけどね。両親が出会ったことがそもそもどうしようもないこと。その時からすでに狂い始めていたんだろう。親父の性格からして、家庭を持つべきではなかった。自分の好きに生きたいのなら独りで生きるべきだった、そういう人。

 何度か馴れ初めの話を聞かされてきたけど、母親に執着した理由がサッパリわからない。家のことは母親に丸投げで、ほとんど奴隷みたいな扱い。そりゃーパンクもするって。

 優秀な人間ではあったんだろうけれども、人間性に欠けていた。うちの親父は。たぶん、相手が苦しんでいる様子を見て興奮するタイプ。母親の首を絞めて、兄貴の腕を折り、猫の首を絞めて失神させる、そういう人間。気持ち悪いでしょ、どう考えても。

 どう思ってるんだろうね、本人は。それでも過去を美化できるのか?って。刑務所にブチ込まれてもおかしくなかったんだよなー。ホント汚い大人だわ。傷害罪、殺人未遂。ド田舎に移り住んだのはそういうことでしょ。

 汚い大人を敬う必要はないよ。

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