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【あなたの職場に潜在する問題】めんどくさがらずに、一つの問題に向き合い、スピーディーに解決していくことができれば、お手上げ状態にはならない、リスクアセスメントのお話

 あなたは今、某企業の「従業員」として働いている。 そこで毎日、自分に課せられた責務を果たすべく、あなたは働いている。 正社員の方も、派遣社員の方も、契約社員の方も、アルバイトの方も、パートの方も、全ての従業員に対して発信するこの文章をじっくりと読んでほしい。

 このnoteでは、ボクが「会社の社長」と仮定して文章を書いていく。 もし自分が社長だったら・・・という妄想のレベルではなく、実際に自分が社長として、雇っている全ての従業員に対してメッセージを贈る、という前提で書く文章だ。

危機管理能力が欠如していれば、いつ死んでもおかしくはない。

 どんな会社にも、あらゆる問題が存在する。 何一つ問題がないクリーンな企業というのは滅多にあるものではない。 問題と一言に言っても、2種類に大別される。 一つは「目に見える問題」、もう一つは「目に見えない問題」。 それをさらに2分するとすれば、「目に見える大きな問題と小さな問題」「目に見えない大きな問題と小さな問題」。 問題は4種類に分けられる。

 まずあなたができることとしては、「目に見える大小さまざまな問題のリストアップ」だ。 それをどのようにリストアップするかが第一の課題になる。 会社組織ではいくつもの部署に分かれていて、各部署にそれぞれの目に見える問題があるはずだ。 所属メンバー全員でブレーンストーミングすれば、問題のリストアップにはそれほど時間はかからないだろう。 ブレーンストーミングする前に、各個人で問題のリストアップをしておいて、全員集まった時に一気に共有すればいい。 そして、第二の課題として、リストアップした大小さまざまな問題を一つ一つ、どのように解決していくかを考えることが必要になる。

 では、「目に見えない大小さまざまな問題のリストアップ」はどうすればよいのか。 これは、目に見えないのだからメンバーの誰一人として気付いていないことであり、リストアップしようにも「目に見える問題」のようにはいかない。 組織の中に潜在している目に見えない問題に気付くためには、「メンバー全員の危機管理能力」がどうしても必要になる。 これまでずっと誰も気にも留めなかったことに、ある時誰かがふと気付き、問題提起して初めて事の重大さが如何ほどかを認識することになる。

 「どうして今まで誰も気付かなかったんだろう・・・」なんていうことは稀にあることだ。 そういうことに気付ける人というのは、それだけ危機管理能力が機能していると言っていいし、重大な問題を早期解決に導くためのセンサーのような役割を果たすことができる。 例えば、道具や設備の老朽化はどうだろうか。 今までいつものように使ってきたモノや設備が、長い年月をかけて老朽化し、徐々にモノの破損や設備の不具合が浮き彫りになっていく。 「あれ? なんかいつもと違う・・・。」という感覚が働くのだ。

 これは、どんなに会社で決められているルールにメンバー全員が従っていたとしても、危機管理体制・方針が定まっていても、常日頃から誰もが気付けるものではない。 事と次第によっては、これまで潜在してきた目に見えなかった問題が、あまりに重大であることに気付かされることもあり、その時初めて「恐怖を認識する」のである。 老朽化した吊り橋も、老朽化していること、もういつ縄やワイヤーが切れてもおかしくない状態に気付けなければ、最悪の事態を想定することなく平気な顔をしてその吊り橋を渡るのである。 それが人の恐ろしいところ。 渡っている最中に、切れかかっている縄や切れかかっているワイヤーに気付いたとしたら、あなたは何を連想するだろうか。 そう、吊り橋が壊れて自分が谷底に落ちていく様を、である。

 人は毎日、自分だけは安全だと思っている。 車を運転している人たちはどうだろうか。 安全だと思っているから運転するのではないだろうか。 確かに自動車の安全性能は飛躍的に進化してきており、そのことが全国的な交通死亡事故件数の減少の助けになっているという事実もある。 しかし、現代社会に生きるボクたちは、ひと昔前、ふた昔前よりも圧倒的な利便性に慣れて今を生きている。 そしてそのことが「自分だけは安全だ」と思い込む根拠のない確信を頼りに生きているのである。 滅多に起きないことは、「まさか自分がそんな目に遭うはずがない」と思いたいのが人間の性だ

 次に、「階段の上り下り」はどうだろうか。 手すりのある階段、手すりのない階段、あるね? ボクが現在働いている職場では、「階段の上り下りの際は必ず手すりを持つように」というルールが敷かれている。 足を踏み外し、階段から転がり落ち、骨折や打撲、最悪の場合には死亡するリスクがある、という当たり前のことにルールを敷いている。 この職場では、人間は頭ではわかっていても危険性に対する認識が薄れることにより、実際に階段から転がり落ちて初めて「手すりの重要性」に気付かされるということを周知徹底しているのだ。 死んでしまっては元も子もない。

 次に、「歩きスマホ」はどうだろうか。 階段を下りる時に、手すりも持たずに歩きスマホで階段をタンタンタンタンと軽快に下りていく人がいる。 未だにだ。 完全に自分が大けがした時の事なんか意識外になっている。 しかも、もし自分が階段から転がり落ちた時に、他の人を押し倒してしまうような事態が起きたとしたら、もう目も当てられない。 駅のホーム沿いで歩きスマホをしている若者も多い。 これに関しては、ただホームから線路に転落するだけで済むならいいとしても、そのタイミングで電車が来たり、通過電車だったりすれば、間違いなく即死するだろう。 まだまだ歩きスマホのリスクを認識できていないスマホユーザーは多い。

 昨日、ボクは仕事の関係で業務用車を運転していたのだが、交差点を右折して上り坂を走行中、左沿いの歩道を母親と子供4人で楽しそうに?歩いているのを目視で確認した。 子供たちは3~4歳くらいの幼い子たち。 そこでボクは明らかに異常な光景を目の当たりにした。 子供たちを連れているその母親が、バスケットボールをダムダムしながら歩いていたのである。 ホント、こういうバカ親には呆れて言葉を失ってしまう。 ボールが道路に転がろうものなら、子供たちのうち誰かが飛び出してもおかしくはない。 そんな・・・そんなこともわからんのかお前はぁーっ!!と怒鳴りつけたくなった。 子供がボールを追いかけ道路に飛び出し、車に轢かれようものなら、きっとそのバカ親はその時初めて恐怖を認識するのかもしれない。

 ボクは運転中、ながら運転は絶対にしないし、前方と左右の道沿いもしっかり視界に捉えて運転している。 およそ人や自転車が飛び出してきそうな場所かどうかは想定できる。 車間距離は十分に取り、スピードも制限速度を守る。 当たり前のことを当たり前にするだけでリスクは回避できることをボクは深く認識している。 煽り運転なんか論外も論外。 リスクを増大させているに過ぎない。

 何が問題で何が問題ではないか、何が危険で何が危険ではないか、こうしたことは目に見えることならば容易に分別が可能なのだが、目に見えない問題となると「想定」するしかない。 予知することはできないのだから、想定して問題を探っていかなければならない。 危険予知というものは、想定の範囲内のものでしかない。 危機管理能力が欠如していれば、あのバカ親みたいなことを平気でしてしまうのだ。 むしろ逆に、母親が子供たちの危険行動を注意してすぐに辞めさせるようでなければならない。 走行中のことだったとは言え、あの一瞬の信じがたい光景にボクは驚いた。 もしね、自分が結婚することがあるならば、そんな重大な危険さえも想定できない人とは絶対に結婚はしない。 料理も掃除もヘタでも構わない。 我が子を無駄死にさせるような可能性を感じさせる人と一緒には生きていきたくない。

あなたが働いている会社の潜在的な問題に誰も気が付かなければ、それは問題視されることがない。

 ボクの職場では、先ほども述べたように、階段の上り下りに限らず、歩行時、作業時、運転時、あらゆる状況を想定した上での危険行動をさせないための取り組みを習慣化させている。 普通なら考えなくてもわかりそうなことでも周知徹底している。 前の職場では、年間の全災害のうち「歩行災害」が全体の25%を占めているという集計結果が発表されたことがあった。 それほどに、人間は歩行時に無防備になりやすいということの証明だということがわかる。

 ただ両足を交互に前に踏み出すという単純考動だけに、スマホを見ながらだと低い段差にさえつまづいて転倒するくらい、歩行とは脆弱な行動なのだと深く認識すべきなのだと言わざるを得ない。 中には、段差のないところでも転倒する人だっているほどだ。 何も運動神経の問題だけではないのだ。 リスクに対する意識の低さが問題なのである。

リスクアセスメントとは

 リスクアセスメントとは、危険な行為・行動、危険な状態、危険な設備に潜むリスクを評価するという意味。 リスクの特定、リスクの分析、リスクのプロセスを明確にした上でリスクレベルを定めるのだ。 毎日同じ行動をしているつもりでも、ただそれだけではリスク回避にはならないということだ。 ちゃんと自分がこれから取る行動、使う道具や機械・設備にどれくらいのリスクが潜んでいるかを特定し、そのリスクに遭遇するとどれくらいのケガをすることになるのかということまで、一貫したプロセスを説明できるくらいになるまで先読みするということがリスクアセスメントの能力。

 「赤信号、みんなで渡れば怖くない♬」これを実際にやったなら、そこに車が突っ込めば誰かが重傷もしくは死亡する。 反対に、集団登校していて青信号で横断歩道を手を挙げて渡っていても、車がそこ集団に突っ込んでくるリスクの可能性はゼロではないということだ。 道路沿いでバスケットボールをダムダムしていたバカ親はおそらく何も考えていなかったのかもしれないが、「ボールが道路に転がることさえなければ大丈夫」だと、自分に都合の良いように危険そのものを軽視するクセがある人なのかもしれない。 この世界では、滅多に起こらないことで命を落としている人が後を絶たない

 口癖のように「だいじょぶっしょ!!」とか言う人は、自分がケガしないと気付かないんだろうね。 もしくは、自分が大切にしている人をケガさせたり死に至らしめたりしないと気付かないのだろう。 ボクはこういう人間は嫌いだ。 大丈夫だと言うなら他の人にやらせる前に自分でやってみろって言いたい。 これが、職場にもよく起こること。 大丈夫だと錯覚して、実際にやってみたら大丈夫どころか大けがしたとか、誰かに多大な迷惑をかけたとか、こういうことが起こると、その度にルールが追加される。 再発防止!! 再発防止!! ペナルティーだ!! 連帯責任だ!! 始末書を書け!! といったことが無限ループするようになる。

リスクアセスメントを強化するための最良の手段

 リスクに対する認識をするための本質的な習慣は、今現在までの取り組みが必ずしも正しいとは限らない。 ボクは職場に対してこれを提言したい。 本当にやれば認識を深めることができ、従業員全体が一貫した理解ができる取り組みかどうか、改めて吟味してほしいなと感じることがある。 本当にリスクに対する認識ができているかどうかを推し量るのであれば、1つのケーススタディについてA4紙1枚分の文章(およそ1000文字)を書かせてみればいい。 それだけで一発でわかる。 1000文字の文章を書くのに15分もかからない。 それ以上かかるようであれば、認識が薄いことの証明ではないだろうか。 わかっているのであればスラスラ書けるはず。 わかっていないから書けないという理屈は間違いではないとボクは考えている。

 また、敢えて現状誰も気付いていない問題があるとすればどんな問題が潜在していると考えられるのかを文章化させてみるのもいいと思う。 潜在する問題に対するアンテナの強化・拡張を図ることは可能だろうと思う。 真剣に、本気で自分の職場に潜む問題とそのリスクについて考え言葉にして提言できる人の集まりができていけば、職場改善は自然と進んでいくのではないかなと思う。

 最大の目的は、危険だとわかっていてやる人間、ルールに従うべきことに従わない人間を減らすこと。 従業員共有の業務用車なのに、使用後に車内に空き缶やゴミを残して知らん顔する人間がいる。 昨年11月から現在に至るまで、かなりの確率で車内にゴミを残している人間がいる。 このことは即日管理部署に連絡しておいたが、職場には本当に多くの問題・課題が山積みになっているみたいだから、連絡するにしても若干気が引ける部分もあった。

 このこと自体は言うほど問題ではないと言えなくもない。 でも、こうした小さな問題が見逃されている状態は、いくつも積み重なることでいつかは1件の重大な事故・災害を引き起こす要因になる。 そのことを「ハインリッヒの法則」が説明している。 ヒヤリハットはまだ事は起きていないわけだが、300件のヒヤリハットを抑止するための対策を怠れば1件の重大な事故・災害に繫がる。

我関せず、他人事、事なかれ主義、そう言う人間たちは当事者意識で動く人間たちには遠く及ばない。

 本来在るべき姿ではない小さな小さな問題というのは、自分以外の人たちが見逃して他人事のように考えるとしても、自分だけはそれをしっかりキャッチして処理し、本来在るべき姿に戻すためのプロアクティブな行動に移すことを強く意識すべきなんだよね。 そんなことどーでもいいじゃねーかって言われるような些細なことでも、これからはどんどん発信していくことにする。 当事者意識の低い人たちの集団というのは、いつ何が起きても責任転嫁しか考えなくなる。 「オレは悪くない」「私は知りませんでした」「触らないほうがいいと思って・・・」とか言い訳するようになる。

 集団組織全体が適正な判断、適正な取り組み、適正な対策ができなくなってしまうと、加速的に問題はどんどん膨れ上がっていくし、それによって無駄なコストをかけなければならないくらいに悪化するケースだって実際に起きている。 自分たちが働く職場の環境改善を他人事みたいに考えて真剣に取り組まない従業員は、非参加型労働で良いと勝手に決め込んでいる。 まずそういう種類の人間を洗い出してみたらどうかな、とも思ったりもする。 会社側の熱意と従業員側の熱意に圧倒的なギャップが生じている時は、何をやっても中途半端で期待される効果は一向に得られない。 そうしてモジモジしている間にも、職場環境とは現在進行形で悪化していくのである。

 ボクはもう今の職場で批判されようが嫌われようが避けられようが、必要なアクションを起こすことにフォーカスして発信活動を続けていこうと思う。 何もこれは過剰な正義感を振り回したいなんていうくだらない理由でやるのではなくて、もし今後別の職場に、別の企業に移って働く機会がやってくる時が来たとしても、新天地でそういう経験をアップデートしたカタチで行動に繋げていくためにやるんだ。 意識高い系ですけど何か?(・∀・)あはっ♬ これをプロ級に磨いていくために、本を読んでインプットし、常にアウトプットの機会を探究するのが、これからのボクのスタンスだ。 あー、めっちゃ楽しい・・・(笑)


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