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闇と光、多と少、大と小、低と高、強と弱、、、人の目を惹く要素とは?

 インスタ映えとかよく耳にする時期がありましたが、ボクはインスタは一切やってないです。でも、「映える」ということについては興味があるのです。

 圧倒的な闇の中の一点の光。圧倒的多数派の中の少数派、圧倒的に大きいものの中にある小さいもの、圧倒的に低いものの中にある高いもの、圧倒的に強い者の中にいる弱い者、、、何が言いたいかと言いますと、周りにほとんど同化している状態では映えるものも映えないということです。

 強ければいい、デカければいい、多ければいい、とかいう単細胞な思考って不幸だと思いませんか?それに、弱いことの何がいけないのかがわからないのですよ。それよりも、「違う」ということを認められることのほうが、きっと幸せに生きていくためのコツだったりするんじゃないですかね?

 違うことが悪いことみたいに言う人に耳は貸さなくていいとボクは思いますね~。誰もが言いそうなことしか言わないから、そういう人は。違うことが悪いことだみたいに言われたら、もっと逆走しますね~ボクは(笑)性格悪いもので。

 学校教育に対しては、本当にヘドが出ます。ボクも1度だけいじめに遭ったことがありますが、屁とも思いませんでしたね~(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♬まず、地元弁が喋れないってだけで軽く浮くでしょう?それでもって、ちょっと周りと違う行動を取るだけで僻み八束水に遭ったりするでしょう?

 4年生の時だったかな?あまりに周りに合わせないものだから、その当時の女教師から「そんなんじゃ将来ずっと独りぼっちだよ?もっとみんなと仲良くしなさい!」って半ば脅すように言われましたけど、余計なお世話とも思わなかったんですよね。「それがどうした?」的な。

 小中高大、その時々で仲の良い人は一人二人いたけど、それで十分だったんですよね~。友達が大事だと思っている人たちにとっては理解できないかもしれませんけれども、形ばかりの友達を友達とは言わないでしょうし、親友レベルの友達だとしても、それが良いことだとも思わないのです。仲が良いに越したことはないのかもしれませんが、逆に、独りで何が悪いのかがわからないのです。

 人付き合いが多い人のことを羨む人はなぜ羨むのでしょう。人脈が何より大事??自分の時間を相手に投じてもなんとも思わないほどの人間関係って互いにマイナスのない理想的な関係だと思いますが、独りでいればプラスもマイナスもない。これを孤独と言うのだと思いますが、それって何かいけないことなんでしょうか。

 限られた時間のほとんどを自分に投じることができ、その結果として、誰かの役に立てるのなら、それだけで素晴らしいこと。だからといって、深入りはしない。常にドライ。

 そんな生き方は自分勝手過ぎると思われるかもしれませんけれども、知ったことかと思いますね~。

 ボクは、人様の人生に安易に干渉してはならないと気付いた人間です。評価するなど以ての外なのだと。それでも、他人のことが気になる人はどうしても気になるのでしょうね。もったいない。気にしたって意識したって何もプラスはないのに。

 でも、そんなボクにも気にする人がいましてね、圧倒的少数派だろうと思われる「違う人」です。群れる人間に興味はないけれども、人間関係断捨離しましたミニマリストと申します、的な人は基本的に面白いんですよね。特異体質。普通ではない、明らかにその辺の人たちとは違う人。そういう人って何か持ってますからね。

 持ってるものが、めちゃくちゃ人から嫌われる要素だとしたら、それってとても面白くないですか?(笑)いじりたくなりますよね~こういう人は(笑)むしろ仲良くなれそうな気さえします(笑)類は友を呼ぶってな(笑)

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