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企業組織に挑戦する者がいなくなれば、競合他社との競争力の弱体化を招く。

 挑戦し、失敗した者の失敗を責め立てる上司は、無能な上司であることを自ら露呈しているに等しく、同様に、同僚や部下までも失敗した者を責め立てるは同じ会社の仲間に非ず。日本の悪しき文化の一つに「ペナルティー」というものがある。これを正しく扱えなくなると、「連帯責任」として関係者全員にペナルティーを課す風習が未だに残っていることは非常に残念である。

 裁判長にでもなったつもりかと思ってしまう。チーム内の誰か一人が失敗したために、連帯責任としてチームのメンバー全員にペナルティーを課すことは、明らかに悪しき日本の慣習であると断言する。それ故に、「ボクじゃありません」「誰々が〇〇と言ったので・・・」「忙しかったので・・・」「体調が悪かったので・・・」などと、取って付けたかの如く言い訳をするメンバーを増やすことになる。

 では、メンバーが失敗しないような教育や指導がなされていたかを詳細に問えば、そうではないケースが多々あることにも気付かされる。同時に、「失敗した時に大切なこと」に対する確たる教えがない。

 世の中で偉人や成功者と認知される人たちは、失敗したことがなかったのかと問えば、そうではなく、失敗続きだったと言う人たちがほとんどだ。なぜ失敗続きだったにもかかわらず成功に至ったか、それは「挑戦した本人が諦めなかったこと」が1つ。そしてもう一つは、「本人の失敗を咎めるのではなく、それでもなお応援してくれる多くの人たちの支えがあったこと」

 組織の体質でまず見極めなければならないのは、この2つだけだ。ボクはね、これまでいろんな会社で働いてきたけれども、大抵はたったこの2つのことが欠けている職場だったこと。それは当然、全国の労働人口の内96%の人たちが言うよね。「仕事が楽しいと思ったことがない」「働きたいわけではなく、生活のため」と。

 厚労省の統計結果だったと記憶しているけれども、ボクはね、この数字を見た時に、如何に日本企業が古き悪しき慣習に縛られているかを目の当たりにした気がした。給料のために、ボーナスのために、正社員目的で会社の採用試験を受けに行く気が失せたのを覚えている。2013年10月末で正社員で管理職で働いていた会社を退社しておよそ10か月もの間、働かずにただいたずらに時を過ごした。

 2013年はボクにとって波乱の1年だった。そのダメージが思いの外重すぎて、その間、ずっと部屋に閉じこもっていた。カラダはどんどん痩せ細り、身長168cmで体重が45キロまで落ちた頃、2014年8月。歩くことすら精一杯なほどに体力が衰え、あのままだったら死んでいたかもしれない。三十路、待っていたのは、虚無感だった。

 初めて管理職を経験したのもあって、その重圧たるや恐ろしく、管理職研修のようなものがないまま、OJTを良いことに、給料が倍増し、ボーナスも跳ね上がり、その上で業務をこなさなければならなくなったことに絶望し、たった1年半しか管理職として勤めることができなかった。その時に感じた無力感は今でも忘れられない。

 でも、たった1度でも、形だけでも管理職を経験したことで、自分に足りないものが次々と見えてきて、リーダーシップとは何ぞやといったことが書かれている本を何冊も読み、同時に心理学系の本も読み漁った。部屋に閉じこもった10か月間、まるで宮本武蔵が沢庵坊主に書庫に閉じ込められた3年間のようだと思ったことがある。ただひたすら本を読むことしかやることがなかった期間、本から学んだことは少なからず今の自分を形成するに足るものになったと思う。

 そして、2014年8月末、派遣登録をして2年、3カ月、2年10か月、現在までに計3か所で働いた。すべてモノづくりの工場。最後の3カ所目で勤め始めて半年で、派遣会社の正社員になり、多少給料は上がったけれども、給料の少なさに嘆いたことは一度もない。それよりも、仕事そのものの単調さに、つまらなさを感じながら働き続けてトータル5年の歳月が経った。

 モノづくりの現場は、想像以上に厳しい作業環境であるという現実を目の当たりにしたと同時に、いつもそこで働く従業員たちの「歩き方」に疑問を抱くようになった。首を垂れ、下を向き、小幅にトボトボと歩く姿は、どこからどう見ても楽しそうには見えないし、幸せそうにも見えない。でも、全ての人たちがそうであるわけではなく、中には、男性社員にも女性社員にも、若い人、年配の人、それぞれに機敏な歩き方をしている人がいることにも気付いた。

 首を垂れず、胸を張り、歩幅は広く、少しアゴを引いて、地面を蹴るように颯爽と歩く姿にはいつも目が向いた。ただそれだけで、その人の仕事に対する姿勢、見られている意識の強さ、誠実さなどといったことが窺える。

 GAFAが世界的巨大企業となったのは、従業員に対する経営陣のアプローチの仕方が社風そのものに反映しているからではないだろうか。Facebookのマーク・ザッカーバーグ氏も、アップルの故スティーブ・ジョブズ氏も、Amazonのジェフ・ベゾス氏も、GAFAではないが、Softbankの孫正義氏も、今や起業家の堀江貴文氏も、世界トップ企業の経営者が口を揃えて言っていることは、「金を追ってはいけない」「夢はデカいほうが良い」「失敗することを懼れるな」「型にハマった考え方では夢は実現できない」というようなこと。

 そんなに難しいことではないのに、多くの人たちが、周りの人たちの目を気にして、周りに合わせることに必死になり、型にハマった生き方に慣れ、周りの人たちとは違うことを言う人間を批判・非難し、変化を嫌う。不満や愚痴をポジティブな行動に変換することを考えず、ずっと裏でブチブチ言っている。そういう光景はどこに行っても見られるけれども、心底ウンザリしているんだよね、ボクは。

 だからね、今月末で終わる今の職場でも、おかしいことはおかしいと発言し、それに代わる案を毎回提案してきた。全てではなかったかもしれないけれども、自身の発信によって人が動き、変化したこともあった。当然、一方では「派遣社員のクセに」と聞こえよがしに言う輩もいたことは察知していたけれども、そういう輩がいることは大前提であると思っているから別に気にしない。

 職場の正社員たちが、業務上の問題について部署間で言い合いをしていることも、社内メールで皮肉を込めた内容の文章を、宛先に役職者をズラリと追加して一斉送信し、担当者を非難していることも、大方情報は掴んでいる。というのも、一度ならず二度三度と衝突したことのある男性社員数名がいつからか何かにつけ話をしたがるようになったからだ。なぜそうなったかは、これまで数々、派遣社員のボク自身が情報を仕入れ、現状の問題に対してだったり、衝突している状況に対してだったりに、当事者たちが納得するような内容の文章を社内メールで発信した経緯があるからに他ならない。

 彼らがどれほどボクのことを頼っていたかは、話す回数で容易に察することはできるけれども、あくまでもボクは派遣社員だから、言葉は慎重に選ばなければならないし、本来はそこまでやる義務も権利もない立場であるため、毎回相応の勇気を要した。当然、物議を呼ぶ結果となり、関係者が会議を開き、対策案を講じ、失敗して次の手を・・・と検証するようになった動きの変化も見てきた。

 変化を見知ることができたことで、発信した甲斐があったと、ただそのように思う。批判的思考しか働かない人たちほど、自分たちの都合ばかり優先するような感情論しかしていないことは、情報を把握すればよくわかる。いくつかの部署が連携して1つの製品を作り、お客様の元へ納期に間に合うようにお届けする、そのことは当事者たち全員に共通した最大の目的であるはず。エンドユーザーに製品が届くまでの経緯に関しては、お客様には関係のないことだけれども、プロセスに問題があったり、関係部署それぞれに問題があったりすれば、様々な問題の火種となり、最終的にはクレームにまで発展する。

 前工程、後工程などと言ったりするけれども、なんでもQCでは「後工程はお客様」というフレーズがあるらしく、ボクも初めて知った言葉。素材を検査する人、素材を加工する人、素材を運搬する人、ラインで組み付ける人、出荷前の検査をする人、出荷する人、製品がお客様の元に届くまでのプロセスに関わる全ての人たちが実は後工程なのだが、自分の前後には前工程の人たち、後工程の人たちがいるわけで、前工程の人たちにとっては後工程の人たちがお客様であるということを意味している。

 しかし、現実はどうかというと、前工程と後工程が言い合いをしている始末。つまり、目的を逸している状態で、自分たちの都合を優先して感情論を展開しているのだ。今生産している製品の需要が目減りしていくことがわかっているために、目の前の仕事に力が入らなくなってきているのかもしれないと感じ取ることができる。

 人工知能、ブロックチェーン、この2つが組み合わさることで、社会は一気に変化していくと言われている。もう目の前までそんな状況が迫ってきているにもかかわらず、言い合いをしている場合ではないということに彼らは気付いていない。それもそのはず、目の前の問題にばかり意識を囚われていて、何かというと過去を持ち出す議論しかできていないため、未来のことなど二の次だと言わんばかりに、結局のところ毎月貰える給料と年2回の賞与に満足しているのだとわかる。

 彼らのプライドを傷つけるつもりは毛頭ないけれども、過去を悔やんでいるヒマはないということに気付くことができれば、今抱えている多くの問題のうち、すぐに解決に持って行けるような建設的な議論ができているはずではないだろうか。そのためには、関係者同士、関係部署同士、連携して痛み分けをすべきところはすべきであって、責任の所在を論点にすべきではないということを強く訴えかけたい思いがある。

 正直、大方諦めているようにしか見えず、挑戦など考えてもいないように見える。年配社員のほとんどが、退職までの日数をカウントダウンするような会話をしているのが今の日本の老舗企業だ。そんな調子で若い世代の従業員たちがやる気になれるとは到底思えない。冗談もほどほどにしないと倒産する時期を早めてしまいかねない。

 ただ、こういう話を父親にすると、「お前の会社じゃないんだからそういうことをする必要はないだろ」と、これまで何度か言われてきた。もちろん、ボクが正社員として働いているわけではないから、その必要性は皆無なのかもしれない。けれども、どこの職場で働こうとも、派遣社員であろうと正社員であろうと、「当事者意識」を持って物事と向き合い、問題解決のための思考を働かせ、新しい仕組みの創出に関する提案をしていくことは、誰かに言われずともやるべきだと思っているし、それが自分の「挑戦」なのだと、父親には具体的に伝えた。すると父親も、「お前がそう思うのなら、やるといい」と返してきた。

 「職場での人間関係を大切にしなさい」というようなことも最近言われるようになったけれども、それは、物事の本質や前提を正しく認識して行動できている人に限るとボクは思っている。そうではない以上、本音で言葉を交わすことはできないし、本音を言えば距離を置く人間たちが圧倒的に多いことは実体験からよくわかっている。

 ボクは彼らの苦悩をわかったふうなことは言わない。反対に、ボク自身の過去の苦悩を理解してもらおうとも思っていないし、派遣社員としての苦悩もわかってもらおうとは思っていない。働く目的とは明らかに逸脱したものだからね。非正規の従業員たちは、現代の人材不足を少しばかり補うために雇われているに過ぎないのだけれども、やっぱり常に、「こうだ!」と思ったことは、具体的に文章化して発信していきたいと思う。

 派遣社員が何についてどこまで掘り下げて考えて提案をしているのかということに、学歴も肩書も年齢も社歴も経歴も関係ない。それを、聞く耳のある人、誠実に受け止められる人だけが参考にしてくれればそれでいいと思っている。結果、職場全体の改善に一歩近づくようなきっかけ作りが出来さえすれば、それはボクにとっての小さな成功なのだ。世話を焼きたいわけではないし、見栄を張りたいわけでもないし、小さな成功を自慢したいわけでもない。ただひたすらに、当事者意識から繰り出される思考の言語化によって変化を起こすことができるか否かの挑戦をしているに過ぎない。

 こういうアグレッシブな人たちを、組織としては育てていくべきだということは、モノづくりの現場で働いてみて改めて思ったことだった。どこで働いても学びはある。学びが尽きることは絶対にあり得ないし、問題を解決することも終わりがない。思考のスタミナが無い人は、感情が暴走しやすくなるし、精神にダメージを受けやすくなる。そうなりたくなければ、本を読んで考える習慣を身に付け、後々文章化する習慣も身に付けてみるといい。

 自分が書いた文章をあとで読み返せば自分がその時々で何についてどんな思考を巡らせて言語化してきたかを、あとでジックリと吟味する機会にもなる。文章書くのが苦手、活字が苦手、じっとしていられない、などと言ったことは矯正すればいいだけのことで、慣れるまで続けることをオススメしたい。

 もし、一般職の正社員、非正規の派遣社員やパート社員が、私利私欲のためではなく、職場のあらゆる物事に対して真っ直ぐに捉え、意見したりアイデアを提案したりすることがいけないことだとするのならば、なぜいけないことなのかを教えてほしい。それでもなお「〇〇だからいけない」と言う人間が大半を占めているのならば、そんな会社で働く意味はないと思っていい。黙っていても悪化していく。

 職場で働く自分の心の開放段階が上限10段階だとして、あなたはいくつ開放しているだろうか。ボクは現時点では7段階まで開放している、と例える。残り3段階は、仕事において開放するに至らない扉。これを開放していいのは、企業の経営陣だけだと思っている。近いうちに、この10段階について改めて文章化したいと思う。

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