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HiRO(break a school)&いまきん(imakinn records)インタビュー 前編

楽しそう!ってことは世の中にたくさんあるけど、メディアに取り上げられて知るようなものはほんの一部。おもしろいことは自分のきっかけひとつできっと実現できる。


そんなことを考えたときに頭に浮かんだ内のひとりがいまきん。個人でレーベルを始め、海外バンドと交流しリリースや日本への招致など独自の動きをする一方、ひょんなことから奄美の人々と交流を持ち、現地で企画を行うなど活動の幅を見せている。

そして、ひとりで50近いバンドが出演するMATSURIを毎年開催し、その他にも出演者ではなく主催者とその個人企画ごと全国に持って行きツアーをするなど1年のほとんどをライブハウスで過ごす男HiRO。日々ライブで顔を合わすたびにバンドやライブについて酔い任せに度々話をしていた。

今回はそんな2人を招いてインタビュー&座談会を行った。今回の前編はヒロ編として彼の止まらないトークを中心にお送りします。このタイミングなのでMATSURIを行っているあの人はどんなことを思ってバンドやライブを日々観ているのか。そして今のようなライブ生活を送るようになったきっかけはなんだったのか。読んで思いを巡らせて、MATSURIや普段のライブを存分に楽しんでもらえたら幸いです。


今の暮らしと音楽との距離

早速自己紹介をお願いします!じゃあそうだな~最近のホットニュースも含めて。

ヒロ:MATSURI、break a school、DANCE MY DUNCEというイベントの企画をやっています。毎日のようにライブに行ってるけど最近だとI HATE SMOKE RECORDSの10周年ライブがすごく楽しい日でした。あと、久しぶりに元カノと呑みに行ったことかな(笑)。

いまきん:え?ニュースってそういうこと(笑)?えー、imakinn recordsというレーベルとバンドは2 sick worry、Tonguesをやっています。disk unionのPUNK部門輸入担当もしています。最近は姪がとにかくかわいくて、仕事に行くときに「じぃじ、とけいー!」って言って腕時計持ってきてくれたりするからたまんないっす。

確かに周りや兄弟にも子供がここ数年でグッと増えたもんね。そりゃインスタとかSNSでも子育ての様子が逐一目に入ってくるわけだ。そういう生活面でも周りは着々と変化しているわけだけど、普段の暮らしはどんな感じかもちょっと教えて欲しい。1週間の暮らしっぷりとか。いまきんは店舗じゃなくて本社勤務だよね?

い:そうっすね。平日はシンプルに朝の10時から働いて一応毎日定時であがってます。家が千葉だから通勤はちょっと時間かかるので、帰ったら風呂入ってテレビ見て寝るくらいかな。たまに飲み会もあって都内の友達の家に泊めてもらったりもするし。土日は休みだからだいたいバンドのスタジオに入って、他に時間があれば好きな釣りに行ったり野球をしてるくらい。昔に比べて音楽漬けみたいな生活はあまり送ってないと思うなぁ。

ヒ:自分は個人の飲食店で働かせてもらってて途中辞めたり戻ったりもしてるけど、なんだかんだ9年くらいは同じところ。もうあとは平日でもだいたい働いた後はライブに行ってる(笑)。

平日でどれくらい行ってる?

ヒ:そうだな~週末は確実に行ってるから平均すると週3~4回はライブハウスにいることになるかな。

い:行ってるイメージはもちろんあるけど、そんなにかー!! もうわかんない感覚だな~。最近あんまりライブに行かなくなっちゃったけどヒロくんはほぼ確実にそこにいるもんね!

おれもけっこう行く方だけど、数で言えば明らかに差が離れすぎてるよ。

ヒ:ずっとそんな生活だから慣れたけどね。だいたいの友達にいろんな場所で会うから最近の様子を人に伝えたりすることも多いし。

それわかるね。勝手に情報通みたいになっていく感じ。まぁまとめるととにかくライブハウスにいる妖精ってことでいいですかね?補足すると週末は仲の良いバンドに同行して、遠征の運転手としてよく活躍しています。

ヒ:まぁだいたいそんなところです(笑)。

あ、いまきんてもう30歳になった?

い:もうすぐ。11月ですね。

そうなると僕らもみんな30代になるわけで、さっきもいまきんが言ってたように年齢とともに生活の中での音楽の位置も変わってきたところがあるはずなんだよね。ライブに行く頻度とかCDやレコードを買いに店舗に足を運ぶかとか。音楽やバンドが好きなことは変わりないと思うんだけどその熱量の形や行動が以前とは違うところもあると思ってて。そこはどうだろう?

い:いやー全然違うと思うな。昔はレコードとかCDを買うために通り道のユニオン全部寄って掘ってたりしてたけど、自分が働くようになってまず音源を買いに行くっていう行為はここ数年ほとんど少なくなったのは確か。そこは自社で中古を買えないっていう制約が原因なのもあるけどさ。音楽自体も家でも毎日のようには聴かないし、通勤もipod壊れてても気にしないくらい。その分近しい友達のライブに顔を出して、音源を手にしたり、じっくり向き合って聴く時間は大切にしてるけどね。

わかる部分はあるなぁ。ふとした瞬間に聴いたものがふいにグッときたり、ひとつひとつの機会を大切に感じたりすることは昔より増えたかなっていう感覚はある。昔はとにかく情報でいっぱい埋め尽くしてた。

い:そうそう。あとは車で聴く音楽とか。これちょっと聴いてみようかなってふといつもと違う感覚になったり、買ったまま聴けてなかった音源も今の気分で聴くとグッとくるなぁとか。頻度も変わったけどそういうシチュエーションに対しての集中力とか感覚は変わるんだと実感してる。

ヒ:それすごい同感。

い:でもそれを良しとは思いたくないんだよね。ライブにたくさん行ってレコード屋でいろんなものを掘って見つける。そういうことが元々好きだったはずなのに現実にはそうなっていないから。

ヒ:生活の中で優先するべきことが少しづつ増えてきたことも絶対あるよね。若い頃はただただ音楽に夢中だったし犠牲にするものもそんなに多くなかったと思うから。でも今は生活の中でいろんな自分なりの時間の使い方や遊び方を覚えて、言いわけじゃないけど例えばいまきんならさっき話してた釣りをする時間だったり友達と過ごす時間だったり、そういうもので日々の生活を満たしているように少しシフトしただけだと思う。

い:そうだね。なんかでも今はその音楽と生活のバランスがうまく取れている気がするから楽しいんだよね。形は変わっても音楽を聴くこともライブに行くことも楽しいから。

ヒ:おれもほんと昔と変わったからなぁー。

え、そんなに変わってる?

ヒ:これでも変わったんだよ!昔は自分もちゃんと店頭で音源掘ったりしてたんだけど、今はほとんどライブハウスでそのまま聴くだけになっちゃった。そもそも音楽を再生する機器をほぼ持ってないから、移動中にも何も聴かないし、iPhoneにもPCが無いから何も入ってない状態。ライブで新しく知ったバンドの音源も買うけどそれを聴く暇もないまま次のライブに行っててそのうちなんとなく歌えるくらい覚えちゃうんだよね。だから全部ライブハウスで聴いてるって言っても過言じゃないくらい。自分でもおかしいと思うもんこんな聴き方(笑)。

なるほど、他の人では真似できないまさかの方法へ聴き方が変わったってことか(笑)。

ターニングポイントになった原体験

2人は単なるお客さんやバンドマンとはまた違って、今はそれぞれ個人で企画やレーベルなどで音楽やバンドを知るきっかけみたいなものを作っている立場だと思うんだけど、こういうPUNKやその周辺の音楽と出会ってからこれまでの間にターニングポイントになったような出来事ってどんなものがある?あそこから世界が広がったなー!とかこの人と出会ったから今があるとか。

い:自分で少し思い返してみると、きっかけになったような体験は3つ思い浮かんだんだけど、まず今聴いているような音楽が好きになっていったきっかけは、高1の時に観たGOING STEADYのライブ(DVDにもなっている渋谷ラママで行われた2002年の「童貞たちのクリスマス・イヴ」)。千葉の茂原から行って、マツモトくん(V/ACATION / DIEGO)と一緒に観たなぁ。そこからSET YOU FREEにも遊びに行くようになりました。

そこから「ライブ楽しいな」って思っていろんなバンドを観るようになった時期に「このバンドかっけーなぁ!」って思ったのがDASHBOARD。それをきっかけに西荻watssでやっていた彼ら主催のPING! PONG !!PUNK!!!に行き始めたんだよね。高3のバレンタインの日にピンポンパンク(vol.33。5年間続いた企画がこの回を持って一旦終了という当時の記載があるが、お休みしながら今でも不定期に続いている)があって、忘れもしないメンツ、THREE/FOUR TOMORROW/DEEPSLAUTER/TIALA/DASHBOARD!!!すごい楽しかった覚えがある。そういう空間で知り合いも増えたしいろいろと繋がりもできた。その時期に周りもみんなバンドを始めたり自分も誘ってもらってやったり、楽しいことが次第に増えていきました。

最近で言うと、2013年に E.D.SEDGWICKっていうDISCHORDのバンドをアメリカからJAPANツアーとして呼んだこと。それがもうめちゃくちゃ大変だったんだけど終わってみたら今まで味わったことのない達成感も確かにあったんだよなぁ。こうやって振り返ると繋がりも増えてそれが今もずっと生きていて、自分で動くことも増えた。どれも忘れられない思い出だし、ターニングポイントなのかなって思います。

ヒ:ラママの時はおれも会場にいたなー!

いまきんが当時の銀杏BBSの有名コテハンだったっていう話は?聞いたことあるけど(笑)。

い:いやいや確かにBBSは見てたけど全然それは話が違うよ(笑)!自分はどっちかっていうとファンサイトとかそっちの方で・・・。

そもそもゴイステはどこで知ったの?

い:マツモトくんとは同じ中学同じ部活だったからもうひとり仲良かったやつの家に部活後に一緒に入り浸っていて、そこでマツモトくんがLIFEBALL、FRUITY、ゴイステを流したり、そいつの家に泊まってみんなで「HANG-OUT」(2000年前後にテレ東系列で放送されていた深夜音楽番組。前期はAIR JAM周りのスターがMCを固め、後期は175RやB-DASHでおなじみLimited Records中心の内容だった)を見るみたいな感じかな。ブラフマンとかビークルを知ったり、チケットとったからライブ行ってみようとかそこから知っていったと思う。

「HANG-OUT」はお世話になったな~。じゃあ中学生の時にゴイステと出会ったんだね。

い:中3だったと思うなぁー。BOYS&GIRLSも出てたけど知ったのはさくらの唄からかな。

おれもちゃんと出会ったのはさくらの唄なんだよね。アルバムが出るかでないかのタイミングで仙台にARABAKI ROCK FES.で来てて、現地にいる姉ちゃんとグッズがどうとか銀河鉄道の夜がどうとか電話で話した記憶がある(笑)。じゃあそこを掘っていったらwattsにたどり着くのは自然の流れかぁ。

い:wattsの時代もさ、ピンポンパンクの予約ってAxSxAさん(DASHBOARD)に直接メールしなくちゃいけないのが当時驚きだったな~。他のライブって自分の知っている限りチケットを買って行くものだったから、はじめはどうやってライブに行けばいいかわからなかったけど、BBSを見てアドレス調べてメールすると絵文字を使って「OK~!」ってノリで返事が来るの(笑)。

ヒ:そうそう(笑)。今でこそ仲良く話せる関係だけど当時はドキドキだったよね。ヘラヘラしてるように見えるけどやっぱりすごい憧れの人。

い:世代的にもだけど土地柄的にもおれとかヒロくんとかはギリギリそういう都内のライブに行けた感じだったよね。

ヒ:うん。でもおれその頃彷徨ってたからな~。

ん、それは街中をただただ彷徨ってたってこと(笑)?

ヒ:違うわ(笑)!メロコアっぽいのはちょうどTIGHT RECORDS周辺が盛り上がってて、それと同時にwatts周辺のバンドもチェックしてたからそういう意味でどっちにも揺れていた時期だね。FUCK YOU HEROS、NOB、HAWAIIAN6が揃っていればそっちに行くし、DASHBOARD、U Can't Say No!、COQUETTISHあたりの「NISHIOGI SOUL MATES」のバンドがいれば当時流行ってたメロコアの人気バンドよりもそっちを優先してた。どれだけ観たいバンドが多いか自分の中で優先順位をいつも悩んで決めてたから、その頃から今と悩み変わんないんだなー(笑)。

当時は毎日のようにライブに行けるわけでもなかったしね。そしてしっかり大人になってからの転機はE.D.SEDGWICKの招致ってことだけど、どんな点が大変だった?

い:主に海外のバンドを呼ぶ条件についてだよね。元々向こうから来たいってコンタクトがあったんだけど、こっちも全面的にリスクは背負えないし、航空代のこと、ギャラや物販のこととかいろいろあるけど、日本のライブハウスのシステムや文化を理解してもらうのにかなり時間がかかった。

個人での招致だとやり方はblack holeのコサカさんに近いのかな?

い:うん、そうだと思う。コサカさんは日本に来たいっていうバンドをサポートしつつ、一緒にツアーを廻っていると思うから。あとは細かいところだと食事面も大変。DISCHORDだからってわけじゃないと思うけどメンバーにVegan(ビーガン)が多かったから。肉類や動物性のものを一切食べないから、その内の若いひとりがツアー終盤にヘロヘロで明らかに元気なかったり(笑)。それでも周りの人がビーガン食のお店を調べて連絡をくれたり、気遣って他の店に連れて行ってくれたり。そういう人の温かさにもたくさん触れて普段感じないことがたくさんありましたね。

じゃあ次はヒロさんのターニングポイントを。

ヒ:絞れないくらいいろいろあるから長くなっちゃうと思うんだけど、こういうシーンの音楽を聴き始めたきっかけはやっぱりハイスタ。初めてライブ観たのはメイキングザロードのツアーの新宿ロフトで、率直な感想はつまんなかったんだよね(笑)。

え!それは意外!

ヒ:そうなんだよ!っていうのも元々おれ英語が大嫌いで、授業もサボるし、赤点もとってたし、この先も英語なんて使うことないと思ってて・・・

い:あれあれ、これってただのヒロ伝説じゃ・・・(笑)

(♯ヒロ伝説で彼の伝説級の名言が不定期に記録されています)

ヒ:(構わず続ける)日本人なのに英語だし、有名なのも知らないけどソールドアウトしてるし、なにより人の上で人が飛んでる。その光景が当時は意味がわからなかったっていうね。

今のヒロさんからはまず信じられない発言が飛び出た!

ヒ:だってラルクとかルナシーとかGLAYのライブに行って、ブルーハーツをただJ-POPとして聴いてた身としてはわけわかんないよ(笑)。そんな第一印象だったんだけどライブに連れて行ってくれた先輩の妹のことが当時好きだったから、その先輩が良いっていうものは絶対みたいな感覚でとにかくハイスタはそれから聴きまくることになる(笑)。

い:わかりやすい縦社会・・・!

ヒ:当時はそんなもんだったの!その流れでミクスチャー全盛期だったからBACK DROP BOMB、THE MAD CAPSULE MARKETS、山嵐とかにハマっていってライブを観たり。いかついやつらが出てきて迫力あるライブをやっててすげーかっこいい!っていう感覚を覚えた。AIR JAM 2000もその辺目当てで行ったくらい。SCAFULL KING、BRAHMAN、 LOW IQ 01とかどのバンドもやっぱりすごくてめちゃくちゃ衝撃受けた日だった。それがハイスタ主催のイベントだってことで初めての出会いから今まで観て聴いてきたものが繋がったんだよ。

その後は小中と続けてきたバスケを高1の夏に辞めて、やることがなかったからとにかく音楽を聴きまくってた時期。そこでAIR JAM周辺のムーブメントを体感して思ったことがひとつあってね。こいつらより先にいろんなヤバいバンドを知ったほうがこれからおもしろくなるんじゃないかってなんとなく閃いた。だからとにかくいろんなバンドを掘り始めてたし、先輩の影響でベースも弾き始めて当時流行ってたコピーバンドの企画に出たりもした。それが自分でも何度もその後企画することになる川越Chiko で、その日の対バンの中にレッドさん(THE SENSATIONS/ex.UNITED SKATES)がいて出会うことになるんだけどね。

そう考えるとレッドさんとの付き合いも相当長いってわけだ。

(その後もライブハウスの妖精ヒロエルからバンドの固有名詞が数十個も飛び出す音楽遍歴トークが延々と続く)

い:語りが止まらないね、ヒロくん(笑)。

ヒ:自分の中で全部地続きだからつい長くなっちゃうね(笑)。ごめんね、まとめるの下手で。

ずーーーっとライブに行き続けてるからまぁ仕方ないかもしれないけど(笑)。

ヒ:でも、1回ライブに行くことがつまんなくなった時期があったんだよ。ちょうど22.3歳の頃ってみんな卒業だ就職だ車が欲しいとか言って、それまで一緒だったライブハウスの仲間がみんな離れて有名アーティストのライブくらいしか行かなくなった。結局ひとりになったんだよね。それはすごくさびしかったし、みんなあんなに夢中だったのになって思ったよ。そんな時にレッドさんから「新しいバンド組んだから観に来ない?」って電話がきて、池袋のマンホールに行ったんだ。それがUNITED SKATES。岡山からPITTYも来てたな。当時NUTS&MILKとかFRUITYにも当たり前のようにハマってたこともあったけど、なによりも15人くらいしか人のいない空間でVo.オオサワがはちゃめちゃなことやってて、すごいライブを見せつけられたのがとにかく興奮した。

い:でかいステージとはまた違うライブハウスのおもしろさってあるよね。

ヒ:観ているうちにschool youthとか他にもかっこいいバンドをまた小さなライブハウスでたくさん知って、「なんだ。やっぱりおもしろいことはここにあるじゃん」って思えたんだよ。だからまたライブハウスに通う日々が始まった。

しまった。ちょっといい話だなー。

い:いやーほんと。


UNITED SKATESが解散するって聞いたときは「おれのライブ人生がこれで終わるのかもしれない」って思った

個人の企画って知っている限りでは10年前とか5年前とかやたらとたくさんあった気がするのに、年々減ってきている気がする。もちろんそんな中でも興味深い企画を打っている人も知っているけど。ヒロさんは当時UNITED SKATESとかschool youth周辺のバンドをよく企画に呼んでたイメージがあるんですけど、個人で企画してみようって思った発端はどこから?

ヒ:はじめて企画をしたのは2008年のことなんだけど、それまでの自分はUNITED SKATESと出会ってからはライブの日に仕事の休みを全部合わせてたのね。

い:へぇー!それはアツい!!

ヒ:そうやって2年くらい観てきたらある年の夏にschool youthが解散して、年末にはUNITED SKATESも解散することが決まってるって聞かされて・・・すごく複雑な気持ちになったのを覚えてる。誰よりもずっと観てきたものが無くなるっていうのは自分にとって大きかったし、おれのライブ人生はこれで終わりかもしれないって思ったからね。解散ライブだからってことでお世話になったしオオサワに誘われて、それまで死ぬほどライブに通ったのに1度も出たことがなかった打ち上げで言われるわけよ。「実は玉井くん(school youth/Wienners)とかと新しいバンド始めてんだよ。もし企画をやってくれるんなら、おれたちの初ライブは絶対それに出たい」って。

一同:おぉー!

ヒ:そんなこと言われたらやるしかないじゃん?UNITED SKATESがFRIDAYZとかたくさんのバンドをおれに教えてくれたし、こんなに楽しい思いをさせてくれたんだもん。ただどうせやるなら自分の地元で、始まりの場所でもある川越でやりたいって伝えて実行に移した。ライブもこれだけ観てきたから他とは違うことをやろうと16バンド呼んで無料のライブ。そこがTHE SENSATIONSの初ライブになったし、玉井くんが自身のバンドとしてまた始めたWiennersにも出てもらった。

(記念すべき初企画はこんなメンツ)

2008.4.27@川越 CHIKO Break A School vol.1

ANTI NICE/CLOSE CALL/FIRST OF ALL/HIGH THRASH GIRL/LACK OF SENSE/MUGWUMPS/NEW old/Pockyz/RAT CHILD/SEVENTEEN AGAiN/SORRY FOR A FROG/SHORT STORY/THE SENSATIONS/WHOOPEES/WIENNERS/yellow gang

ヒ:思い出だけのイベントで終わらせたくないから今も続けてるしね。今も何かを開いていくためにやり続けている途中。

顔が広いからいろんな地方や各方面から友達を呼んでいるイメージもあるけど、ここ何年かは若いバンドを積極的に引き上げている感じもあるよね?

ヒ:そうだね。特にDANCE MY DUNCEは完全に若手にそういう場とバンド同士の交流を作ってもらいたいっていうねらいがあるし、そう心がけてる。特に大学生や社会人なりたての頃ってバンドが趣味の範囲で留めるのか、売れようとしているのかとかいろいろ難しい時期だとも思うしね。SNSの便利な時代になって若手のガツガツさみたいなものは無くなっていってるから、アナログだけど現場で顔を合わせてベテランも若手の間を繋ぐ役割が自分に出来ることだと思ってます。

もうあれだね、完全にバンドとかライブハウスへの想いが溜まりまくってるね(笑)。そういう話を外に出したくてこういう場を設けたのも今回の一つの目的なんだけどさ。


かっこいいバンドを知れる見本市というかフェス的な要素はあるとは思うけど、確実にそれだけじゃない「なんでこんなに楽しいんだろう?」っていう独特の空気がそこにはある



じゃぁここから2人がそれぞれ個人で動いている企画やレーベル、ツアーを行った話を詳しく教えて欲しいんだけど、まずは目前に迫った毎年恒例の「MATSURI」について。

ヒ:他の企画ももちろん全部そうなんだけどMATSURIは自分で足を運んで観て間違いなくかっこいいバンドばかりを誘ってる。MATSURIより前に行われていた大合奏会とは色も空間も少し違うかもしれないけど、それまで大合奏会に行き続けた自分が感じた空気感や人間関係はキープしつつ、それだけではなく身を持って体感した新しい風みたいなものを取り入れてやっとMATSURIになると思ってるんだよね。それ以前から脈々と繋がってきたものと、自分が毎日のように観てきたライブの集大成。それがMATSURIです。

自分がやっている企画全部に来ている人はたぶんいないと思うんだけど、その場その場で感じたものがMATSURIには全部出てるから、この日だけ会える仲間もいるし、地方から駆けつけてくれる人達もいる。かっこいいバンドを知れる見本市というかフェス的な要素はあるとは思うけど、確実にそれだけじゃない「なんでこんなに楽しいんだろう?」っていう独特の空気がそこにはあるから。これは大合奏会の時代から続くそこにいるみんなが生み出しているものだと思うな。

だから目当てのバンドを見に来ただけの人にもそれ以上の楽しさを感じてくれる自信はあります。ひとりでやるのは大変だから実際ほんとはどこかの誰かがやってくれたら自分がただの客として超楽しめるのになーって思うことはあるけど、何にも知らない誰かが同じことをやってても、良いライブがたくさん見れてそれ自体はおもしろいかもしれないけど、きっとそれ以上の何かは生まれないんじゃないかなって思うから、これからも続けていけたらいいな。

今回トリを酒田のFRIDAYZに務めてもらうんだけど彼らも地元のライブハウスが無くなるのを自分たちで守って繋いで自分たちの場所を作り上げてきた存在。きっと彼らのライブを見てもらえればさっき言ってたようなことが少しは伝わると思うんです。今年行ったbreak a schoolでのツアーも東京のファイナルに出てもらって、シェルターを沸かせている様子を見て自分のやっていることは間違ってないって実感出来たばかりだったから。そもそもこのツアーを決心したきっかけもFRIDAYZで・・・

(続く)

今回も例のごとくボリュームの関係と時間的な問題で今回はここまで。残りの後編はいまきん編と題し近日up予定です。imakinnrecordsの話や奄美での企画やバンドの交流、さらに酔いを増しバンドやライブへの想いが止まらないヒロの熱いトークも続きます。お楽しみに!!

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