「保育園のお散歩」当事者として出来る事
あの痛ましい事故を見て、事故そのものよりも保育園のお散歩、保育園に預ける事などに議題をシフトさせる方が大勢いるので、当事者としていたたまれず、発言させていただきます。
まず、私がどういった当事者なのか簡単にご説明します。
わたしは1970年代前半に保育園に6年間通いました。公立の保育園に6カ月からその前は(当時はそもそも育児休暇が整備されてなかった)無認可の保育園に入園してました。父も母も忙しかったので、だいたいお迎えはわたしが最後でした。妹が生まれてからは姉妹でお残り組みでした。ようはがっつり保育園で育った人間です。
その頃の思い出で色々覚えている事がありますが、とにかく保育士の先生たちは私たちに最大限の素敵な体験をさせようと努力してらしたと思います。
園庭はありましたが、せまく、また近所にいくつも公園があったので、本当によくお散歩に連れて行ってもらいました。時には配膳車?も一緒に来てランチ付きのミニ遠足のような事もしました。行きや帰りに電車の線路の上にかかる鉄橋で運転士さんにみんなで一生懸命手を振ると、運転士さんが汽笛?を短くならして答えてくれたのが嬉しかったです。
で、本題です。
保育園で育った当事者が幸せだったと思っているのに、お散歩の時だって先生たちはとても気をつけて私たちを見てくれて、私たちの命を守ってくれていたのに、どうして当事者でなく、保育園についてきちんと下調べもしない方たちにあんな風に言われなくてはならないのでしょうか?
そういった誤解を解くために、保育園で育った当事者がきちんとあの頃に自分が感じたことを
発言するべきだと私は思いました。
保育園黎明期の方々はもう60歳くらいになるのではないでしょうか?
私たちですら中年です。
保育園で育ったみなさん、ご自分の体験をお話ししてくださいませんか?
もちろん、肯定論のみだけでなく否定論でもいいんです。実際に保育園に通ってた人間の肉声が少ない事が私にはとても歯痒く感じるのです。
私は今回の痛ましい事故と保育園(のお散歩)の存在をことさら紐付けにして欲しくありません。誰かが被害にあった事故として、もし改善策を求めるのであれば、信号を歩車分離式信号機に変えるなどこれから未来の歩行者がなるべく事故に合わない仕組みに真剣に取り組んでいただきたいと思います。
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