フリーター時代①
今迄あまり触れて来なかったが、某私大を卒業した後に2年程フリーターを経験している。(正確には通信大の履修生)
大学3年まで特に就きたい職業が無かった。
多くの時間をアルバイトに費やした時期も有ったし、労働という行為に拒否感が有った訳では無かった。
ただ、余りにも積極性に欠けていたし、精神年齢が低く、社会的な経験も少なかった。
そんな俺だが、3年生への進級を控えた或る春の日、突然教職への興味が芽生えた。
暇を持て余した学生が小旅行の予定を立てる様な、極めて軽い「ノリ」であり、「決心」や「天啓」なんて上等な物じゃなかった。
(大学2年の夏に接客系のアルバイトを辞めて以来、気が向いた時だけ日雇い工員として働く生活を続けていた。授業期間は兎も角として、長期休暇は余りにも退屈だった。その退屈さや閉塞感が俺の意思決定を狂わせたのだと思う)
一瞬だけ児童向けのボランティアサークルに所属したり、中高生時代に不登校の同級生の面倒を見たりといった、何となく聞こえは良いエピソードが俺の突飛な思い付きを過剰に補強した。
3年時から教員免許を取得する事は不可能だった為、卒業後に通信大に編入する事を決めた。
約1年後、将来への不安な気持ちを抱えつつ某私大を卒業した。
卒業後、2〜3週間経つと山の様な量の教材が送られて来た。
少しだけ狼狽えたが、ランナーズハイに陥った思考回路が一瞬で不安を打ち消した。
数科目のレポートを書き終え、フィードバックの通知書を受け取ってから俺の暗黒期が始まった。
恐ろしい程に合格基準を満たせないのだ。
通信教育で何かを習得する事の難しさと、対面授業の合理性を痛感した。
それに加えて諦めの感情が波の様に押し寄せて来た。
動き出したジェットコースターから降りる事が出来ない様に、スクーリングには一応参加したし、単位認定の試験も受けた。
既に勉学を放棄し始めていた為、試験問題を前にした俺の脳味噌は笑える位にフリーズしていた。(この時点だと多少の学習意欲は残っていたと思う)
講堂の窓から差し込む初夏の日差しが綺麗だった。
試験後、喫煙所でpavementのin the mouth a desertを聴きながら呆然としていた。
その後、new orderのall the wayを聴きながら駅に向かった。
2回目の試験に関しては更に酷かった。午後の科目をバックれて下北沢に遊びに行った事を覚えている。
その時に食べた珉亭のラーメンは異様に美味かった。
昼下がり特有の眠たさを感じながら、温くなったビールを胃袋に流し込んでいる時、俺の頭の中で何かがプツンと切れた。
その日以来、俺は全ての勉学を放棄した。
(続く)
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