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土浦連続殺傷事件 金川真大が高校時代に書いた作文

 ひめゆりの塔と資料館に行ったが、私に何を学べというのだ。戦争の恐ろしさか? そんなもん今の平和な世の中に生きている私にわかるはずがない。死んでいった少女たちに同情でもしろと? そんなことができるか。少女たちには悪いが、所詮あんたらは死ぬ運命にあったんだよ。運命を変えることはできないんだよ。平和が一番、とでも思えというのか? 私にはどだい無理な話だ。今の文明社会があるのも戦争のおかげだ。
 そもそも、沖縄の歴史なんぞに興味はない。日本にも同じことが言える。オレは世界よ、世界なんだよ。Why? なぜかって? そんなの知るか。ただ、一つ言えるのはオレは日本人が嫌いちうことだ。黄色い猿どもがキライということなんだよ。人間は滅びの道へ進むどころか、どんどん進化している。人間ども、そんなに死にたくないのか? 愚かな人間のせいで緑は失われ、動物たちも、絶滅した種もある。さらに命を奪うだけでは飽き足らず、地球にすら手を出している。
 私は人間が許せない。さっさと滅んじまえ。もし可能ならば、私の手で人間どもを殺してやりたい。
 私はまだ死ぬわけにはいかない。全人類が死ぬのを見届けるまでは。よく開け、無能でバカな愚かな下等生物が如き野蛮な人間ども。お前たちはどの道、滅びの運命にあるのだ。そう、最後の審判の日に一人の審判者によって、すべてを裁かれ、罪を負うだろう。「死という罪を」
 
               

【解説】

 2008年に起きた土浦連続殺傷事件の犯人・金川真大が高校二年(2000年)の時に提出した沖縄への修学旅行の感想文である。

「人間を中傷する内容だ。沖縄の感想じゃない」と担任から書き直しを命じられて再提出したものなので、最初の作文はこれよりも更に過激で攻撃的な内容だったのだろう。指導を受けた際、金川は「心のままに書いただけ」と答えたという。彼の言う通り本心で書いたのか、あるいは思春期にありがちな悪ふざけの気持ちで書いたのかは定かではないが、いずれにせよ高校生の作文としては幼さを感じる内容である。

 本来であれば「ただの厨二病エピソード」として片付けられる黒歴史の一種でしかないが、『私の手で人間どもを殺してやりたい』という言葉を彼が現実にしてしまった以上、一笑に付すことは出来ない。

 見方を変えると、共感性や他者への思いやりの欠如、現世否定、破滅主義、人間への憎悪・復讐心、自己万能感等、無差別殺傷へと繋がる要素が顕著に現れた内容だともいえる。

 不穏な作文とは裏腹に、金川の高校生活は充実していた。学業成績は平凡ながらも所属する弓道部ではインターハイに出場するほどの実力を持ち、人間関係も良好で後輩たちからは面倒見の良い先輩として映っていたという(事件後、記者に伴われて金川と面会に来たのは高校時代の後輩の一人だった)。もっとも充実した高校生活は表面的なものに過ぎず、内奥では作文のような破滅的・他害的な思いに満ちていたのかもしれない。

 高三の部活の引退後、何の問題もなかったに見えた金川に異変が起きる。燃え尽き症候群に陥ったのか無気力状態となり、卒業単位の取得もギリギリだったという。教師らの協力や友人らの励ましによって何とか卒業は出来たものの、就職も進学も決まらないままでの卒業だった

 余談ながら土浦殺傷事件の二日後に起きた『岡山駅突き落とし殺人事件』の犯人は高校を卒業したばかりの十八歳の少年だった。学費の面で大学進学が出来なかったことや親から見放されたと感じたことから将来を悲観、自暴自棄となって刑務所に行きたいと思ったという。


 卒業後の金川は趣味のゲームの購入資金を稼ぐために断続的にアルバイトで働くフリーター生活を続けた。スリルと冒険に満ちたゲームの世界に魅力を感じる一方で現実世界に面白みを生きがいを見出せなかった彼は死を考え始める。こんなくだらない世界とはさっさとおさらばしてFF(ファイナルファンタジー)のような魔法を使える世界に行きたい。でも自殺するのは痛い。だが死刑は絞首刑なので苦痛は一瞬で済むーー彼は死刑になることを思いついた。

 父には以前から定職に就かないことを詰られているが、来春になれば父は定年退職して家にいる時間が増える。小言も増えるだろうし、家に居づらくなって嫌でも働かざるをえなくなるだろう。めんどくさい。そういえば最近は楽しみなゲームも発売されない……。

 ーーよし、今なら殺れるーー

 倦んでいた現実世界からの脱出を図るべく、彼は一連の通り魔事件を引き起こした。

 第一の殺人から第二の殺人を起こすまでの逃亡期間中、彼は都内のホテルに潜伏していた。その間、童貞を卒業しようとソープランドに赴いたものの、直前でためらって入店しなかったというエピソードがある。

 2009年12月18日、一審で死刑判決が下る。望み通りのを受けた彼は控訴を取り下げ、翌年1月に死刑が確定。確定から三年後の2013年2月21日、刑が執行された。享年29歳。精神的にも社会的にも性的にも大人になれないまま迎えたエンディングであった。

【引用元】

読売新聞水戸支局取材班 『死刑のための殺人―土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録―』 (新潮社) 2014 p149~p150