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私が迷ギタリストになるまで

はじめに

 お初の投稿となります。4人のめがねの食べ放題担当、イソめさんです。他の皆さんが投稿を重ねる中、なかなか投稿できずにいました。
  今回、何を書こうかと考えていましたが、皆さんが昔の話をしてたので、私もこれだと思い、音楽との出会い、ギターとの出会いなどについて、まるで人生を振り返っているが如く、つらつらと書きました。読みづらいところもあるかと思いますが、しばしお付き合いください。


音楽との出会い

  私には5つ上の姉がいて、隣の部屋からはザザンやマドンナの曲が流れていた。そんな環境にも関わらずドラクエのサウンドトラックを聴く小学生時代を過ごす。ゲームのエンディングを録音したりもした。テレビにラジカセを近づけて録音。そろそろ終わるーっていう頃に父親の「ただいまー」の声が入ってやり直し、というのがあるあるだった。
  中学生になり、周りの同級生たちが音楽の話をするようになった。中1の頃、TMネットワークを聴き始め、中2、中3の頃は、ßź、ユニコーンと、次第にドラクエのサウンドトラックからは卒業していった。
 そして私は高校生になる。

ギターとの出会い

  あれは33年前の秋だったか…高校1年生の頃、同級生Aが家に遊びに来ていて、一緒にゲームをしていると、別の同級生Zが「ギター買ったぞー」と家に遊びに来た。それは赤系サンバーストのレスポール(タイプ)…気になる…。そう、ユニコーンの奥田民生が弾いているのがレスポール。憧れの奥田民生。奥田民生といえばGibson、レスポールスタンダード。当時は500万ほどだったらしいが今ではうん千万というビンテージギターだ。


憧れのGibsonレスポールスタンダードと奥田民生氏


  メーカーも色もいろいろ違うけどそんなのその当時は分からない。するとAが「貸して」とレスポール(タイプ)を手に取るとジャンジャカ弾きだした。「えっかっこよ」と思ってると、私に手渡し、弾いてみてと。とりあえずジャンジャカ、というかパキョパキョと情けない音を奏でてみた。
 Aが「これ簡単だよ、教えたる」とある曲のイントロを教えてくれた。弦を3本押さえて上(6弦)から順に1本ずつ弦を弾く。弦を1本離したり押さえたりしながら。そうするとあの曲のイントロっぽくなるではないかー。あの曲とはユニコーンの「Finally」。初期ユニコーンを代表するバラード曲、セカンドアルバム「パニックアタック」に収録されている。

ユニコーン2ndアルバム「パニックアタック」

 その日からギターのことが頭から離れなかった。親に話したところ、押し入れの上の方に、ARIAのアコギが眠っているとのこと。引っ張り出してAを呼び、弦交換とチューニングをしてもらった。
 それからおんなじイントロを何日も弾いた。そのうちに、あのレスポール(タイプ)が忘れられず、親に何度もお願いして、通販で黒のレスポールカスタム(タイプ)を手に入れた。ちなみに、このギターは昨年、セカストに売るまで家の壁にかけていた。


初めてのギター「グレコ レスポールカスタム(タイプ)」

こうして私はギターと出会った。


初めてのバンド

   わたしが通っていた高校では2年生から文化祭のステージに出演できた。もちろんオーディションで選ばれればであるが。
  1年生の冬、Aからボーカルをやらないかとバンドに誘われ、文化祭を目指すことにした。Aはギター。すでに別のバンドを組み、ライブハウスで演奏している。他のメンバーも経験者だ。私はボーカルとはいってもカラオケボックスで歌ってただけ。1曲100円入れる時代である。ßźの「愛しい人よGood Night」を歌ったのを聴いたのが決め手らしい。当時は他にも、BUCK-TICKの「悪の華」、チャゲアスの「Love Song」(COMPLEXもこの頃か)とか歌ってた。
  そんなこんなしているうちに、オーディションで演奏する曲が決まった。ユニコーンの「自転車泥棒」である。4枚目のアルバム「ケダモノの嵐」に収録されている。


ユニコーン 4thアルバム「ケダモノの嵐」


 私は高音が出ない、ファまでしかでない。自転車泥棒のいちばん高い音はファなのでなんとかイケそうと思った。こうして私の初めてのバンド、スタジオデビューである。

 

迷ギタリストへの道

  ついこの間、居酒屋をしている同級生Eから突然言われた。「Aにあのこと謝ったか?」と。数年ぶりにAを含む同級生とその店で飲んでいるときだった。「えっ、何かAにしちゃったっけ?」とEに尋ねた。すると「だってILoveYouで…」、私は「ステージ上ですぐに謝ったわい!」と即答した。
  そう、あれは、高校2年生の頃。オーディションを見事にクリアした私たちは秋の文化祭のステージに立っていた。そこで1曲目に演奏したのが尾崎豊の「I Love You」。Aが尾崎となり、素晴らしいピアノの音色を伴奏に、歌ったのだ。それだけですでに成立している。オーディエンスもそう思ってる。しかし、サビが近づくにつれ、ザワザワ。途中から他のパートも入ってくるのだ。
  私は家庭用のギターアンプにしか触ったことがない。リハーサルでは「自転車泥棒」を演奏した。この曲ではギターはアコギでボーカルマイクで拾う程度。本番の1曲目である「I Love You」はスタジオ練習で1回も弾いていないし、家庭用以外のギターアンプを触ったこともない。
  本番のステージにあったのはJazzChorus。ジャズコである。今なら分かる、ローランドの名器。当時は音量の調節すら分からない。むしろ大きすぎるような気がする。ギターの弦に触れるだけでパキョパキョ音がする。なんだか嫌な懐かしい音だ。そう思っている間に幕が上がり、ピアノのイントロが始まった。そこからあまり記憶がない。
  気づけばサビ前。スライドするフレーズを弾いた…音が大きいー1フレットずれてるー…音が大きすぎた上に間違ってたのだ。あんなに静かに聴き入っていたオーディエンスがザワザワ…1番を歌い終わったAがステージのセンターからこちらをチラチラ見て手首を回す。「音量をしぼって」といったところだろうか。
  その後は弾く度にウケまくり、1曲が終わったときには、なぜか私はガッツポーズをしていた。開き直ったのである。あんなにウケたのは快感でもあった。しかし、そんな私はすぐに我に返る。2曲目からは私がボーカルなのでAと入れ替わる。そのときAが曇った表情をしていたのを見逃さなかった。すぐに「ゴメン」と私。Aは手を挙げて「いいよ」(と言った気がした)。その後は気を取り直しユニコーンの曲を数曲して、初ステージが終わった。
  文化祭が終わって卒業するまで、卒業して30年以上経った今でも「迷ギタリスト」として同級生たちから愛され(?)ている私である。

打ち込みの高校3年生、そして大学入学

  その後、ヤマハQY10と出会い、打ち込み、打ち込み!!  大学生となり、バイト代でMTRを購入し、深夜&自宅での録音三昧な毎日。また、大学で入部した軽音サークルでは、ユニコーンをしたかったが…周りは洋楽ばかりしている。「洋楽はかっこいい」「ハードロック最高」…そんな周りの雰囲気に内心ユニコーン命の私は、洋楽かぶれ、ハードロックかぶれの数年を過ごすことになるが、それはまたの機会に。

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