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新刊3冊のイベントに台風が来た記憶

 2019年10月のことである。
 台風でイベントが中止になった我々は、呆然のあまり気象予報をただただ眺めて過ごしていた。

 イベント大好きなオタクはたくさんいると思う。わたしもそうだ。特に、自分が新刊を引っ提げてサークル参加できるイベントは、何より楽しい。それだけを楽しみに数か月かけて原稿をするのだから。イベントの楽しみなくして本を作るのは、わたしには相当難しい。

 本当は、去年の10月、イベントが中止になった直後にこういう記録を残しておけばよかったのだが、当時のわたしは何も手につかず、ふらふらと過ごしてしまっていた。そこで、半年以上もたって記憶が薄れようとしていくところで、忘備のためにこれを書いている。
 人間の脳は恐ろしい。あんなにつらい記憶が消えようとしているなんて……おそらく、つらすぎた記憶を気持ちの整理のために希釈しているのだろうと思う。が、こういう嫌な出来事には、後の世への語りが必要なものなのだ。
 ほんのイベント1本流れただけで、大した損害なく何をつらがっているのかと自分でも思う。だがオタクというのは年間予定で動くもの。最も楽しみにしていた日が流れるのは、あまりにもつらかったのだった。

 わたしは二次の文字書きだ。いつもは年に1~2冊くらい、本を出せたらいいほう、というようなぐうたらな過ごし方をしている。のだが、去年あたりのわたしはちょうど刊行ペースがおかしい時期だった。他人にとってはどうでもいい内容なので、以下に簡単にまとめることにする。
 以下はしばらく原稿のご苦労話なので、結論だけ見たい方はしばらく飛ばしてほしい。

2018年10月
 フォロワーG氏に自CPの出るゲームの布教を受ける

2019年2月半ば
 いつものジャンルで春コミの原稿を終わらせる
 布教されたことを思い出し、ゲームをプレイ

3月10日
 プレイ終了、寝るに寝られずその流れでワードを開き、書き始める

4月初頭
 わたしの急転直下を見て大笑いしていたフォロワーF氏、同じ沼にハマる

4月20日
 G氏のスペースに同人誌1冊目を置かせてもらう
 表紙も描いていただいた
 
5月初頭
 10月のオンリーに向けて計画を練る
 G氏、F氏と三人で合同誌を2冊やることに
 個人誌もあわよくばと計画し始める

 このような流れだ。記録を見ると、ハマった3月から5月までの期間、Pixivなどに10本ほど小説をアップしている。タグ荒らしのようにすらなってしまった。今は再録本にまとめ公開を終了しているが、ここまで暴れ散らかすのは自分にとって珍しいハマり方だった。
 4月に出した本はG氏におんぶにダッコという体たらくだったが、内容はA5サイズ54Pのものだ。これを、出すと決めてから約1ヵ月で出せたため、わたしは調子に乗ってしまった。いつもは数か月前から「3冊出す計画を立ててギリギリ1冊脱稿できる」ペースなので、この機を逃すまいと「5冊出す計画を立てて何とか3冊くらい出せないか?」ともくろんだ。

 さっそくネタを上げ、5月の時点から原稿を始めることにした。
 合同誌2冊のほうは、テーマに沿った内容でやればいい。ネタは決まっている。パロと言ったら吸血鬼パロだからベタベタな吸血鬼×人狼パロをやろう、という本、推しCPがどっちもTS(後天女体化)する本の2冊だ。濃い。合同誌を2冊やろうと言ったのでG氏とF氏は心配そうではあったが、4ヵ月以上あるのだから、と受け入れてくれた。この時点でなんだかイカれているような気はする。
 合同誌の原稿だけは落とせないため、先にすすめて、個人誌の原稿は合間にちまちまと進めておく。だいたい1本が1万文字前後、A5で8Pずつ2本のボリューム感である。途中、テーマの内容に合わない気がして人狼パロは書き直したりもしたが、なんとか6月になるかどうかで合同誌2冊分の原稿は一旦区切りをつけた。校正などは後回しにして個人誌に取り掛かる。

 10月の個人誌はなるべく文庫サイズで刷りたかった。文庫サイズの厚手の同人誌を出すとなんだか気分がいいからだ。ある程度のボリューム感を見越して、7万文字ほどの目安で書き始める。ここからが長いのだった。
 同人誌の原稿は孤独だ。あんまり中身の話をすると出した時のインパクトが薄れる気がしてTwitterなどでも話しにくいし、今書いてるところが盛り上がってたりうまくいっても、まだ誰にも見せられないので感覚を共有できない。ああ、マンガの人はセリフを抜いて途中経過をアップできたりしていいなあ、うらやましいなあ、と泣きながら原稿をする。原稿中は誰でも一人、一人きり、私の愛も私の苦しみも誰もわかってくれない。
 とはいえG氏やF氏は頻繁に作業通話をしてくれたので、本当の孤独を味わわずに済んだのは幸いだった。この時期は暇さえあれば書いていた。去年の夏の記憶がないのは原稿しかしていなかったからだと思う。後半は虫の息だった。そしてわたしはいつも想定より原稿が伸びていくので、いつ終わるのかわからないマラソンを延々走る地獄を味わった。

 表示されているのはテキストソフトに搭載された文字数である。
 7万文字の予定は最終的に12万文字になり、校正でまたもうちょっと伸びた。個人誌1冊目、文庫292Pである。表紙はまことにありがたいことにG氏が描いてくれた。感謝しかない。

 さて、個人誌が終わったところで8月半ば。まだ時間はある。どうやら文庫の原稿中もPixivに2、3本投下しているので書きたい時期だったようだ。ここでストックからネタを引っ張り出し、2冊目の個人誌を出すことにした。1冊目がハッピーだったので、2冊目はちょっと暗めなネタが書きたいと思ったのだ。切羽詰まった時期だったが、ダメ元で表紙依頼をした絵描きさんからもOKがもらえて、ちょっと冒頭を書いて止まっていたネタを一気に書き出す。
 幸いにして、すでに1冊目の告知を上げていたので「新刊長いね」「脱稿おめでとう」と構ってもらえる機会に恵まれ、「ここで2冊目も脱稿したらきっと褒められちゃうな……」と調子に乗れたため、9月末にはなんとか脱稿できた。
 まだ、9月末である。
 話はそれるが、わたしが以前フォローしていた推しキャラが原稿応援してくれるbotがあった。よくあるやつだが、そのbotはキャラがストイックだったせいもありかなり厳しいものだった。厳しさに耐えかねてフォローを外してしまった経緯があるのだが、その中でも一番印象に残ってるツイートが、たしかこうだ。
「イベントまであと2週間か……コピー本なら出せるな」
 これを聞くと「そうなのかな?」という気分になる。本当かな、いや、そうかも……出せるのかも……コピーなら……いや、もしかしたら特急で頼めば製本もしてもらえるのかも……という気持ちになってくる。

 3冊目の原稿が始まった。
 ちょうどTSのほうの合同誌で書ききれなかった部分があったので、本で同時に出してやろうと思ったのだ。実は合同誌の原稿が終わった後息抜き気分で休み時間にちまちま進めてあったものでもある。どっちもTSしたんだからTSから戻った後のBLも書きたい、その一心と「いや~新刊3冊も出したらきっとスペースがものすごく豪華になっちゃうな」というドヤ感だけで頑張った。実際は3冊目の原稿中、半日おきに「たすけて!!!!」とツイートするアカウントになってしまったが、首を絞めているのは自分なので誰も助けようがなかった。たしかに首絞めオナニーしながら助けを呼ぶ人間に関わっては良くないことが起きそうなので道理である。
 これは職場のマニュアル冊子風の装丁にしたかったので、自分でなんとかダサい表紙も作って入稿した。

 合同誌の原稿の校正をし、都合2本書いてしまった人狼パロは片方QRコードで読めるおまけに収録してもらった。表紙を人に描いてもらうなどして周囲に多大な労力を強いたので、手間のかかる漫画の原稿に比べたら電動アシスト自転車のようなものかもしれないが、それでもなんとか原稿をそろえて入稿することができた。合同誌(TS/人狼パロ)、個人誌(文庫/暗め/TS)の5冊を仕上げ、それは晴れやかな気分だった。
 そして10月がやってきたのである。

 月初めのころから、なんとなく嫌な予兆が出てき始めた。大型台風の予報がいつもよりずいぶん早くからニュースになったのだ。いやいや、そんなこというけど前も台風の中開催されたスパークあったしな、反れるかもしれないし。そう思って悠長に構えている間にも、どんどん勢力が強くなりまっすぐ向かってくるではないか。買い占めでスーパーのレトルトが減って、養生テープが品薄になる。
 だが、イベントは開催するかもしれないし、雨の中在庫を手搬入するのはつらい。わたしは自宅にある在庫や設営用品を発送することにした。なるべくビニールに包んで防水しながら段ボールに詰めて送り出す。

 中止が決まったのはほんの直前だったと思う。
 イベント前日に当たる日、関東は暴風雨で、雨戸を締め切った室内でハザードマップや各地のダムの水位の情報を眺めながら、フォロワー同士でぼそぼそと通話で慰め合っていた。自主避難をしようか迷う人もTL上でたくさんいた。
 締め切った室内で何をするでもなく絶望感で過ごした一日は馬鹿に長くぼんやりとしていてほとんど記憶にない。やはりつらい記憶から失っていくものなのかもしれないが。

 そういうわけで、わたしが新刊を3冊、参加した合同誌が2冊出るはずだったイベントは大雨に流されてしまった。翌日、イベント当日に当たる日は一過の天気で、ゴルフのネットが倒れたとか行方不明者が何人というニュースを見て呆然としてしまった。
 会場だけ晴れていても交通機関や搬入の人員がいなければ開催は難しい。事実スパーク2日目は開催されたもののやや閑散とした印象だったものだ。元々の推しジャンルは2日目だったのでわたしも遊びにいかせてもらい、多大なご厚意で本を置かせていただいた。故郷の村のようなジャンルだったこともあり、タイムラインでわたしが半日おきに発狂していたことも知られていたのでたくさん慰めていただいた。酷い顔だったのかもしれないが。あんまりお世話になりすぎではあったが、おかげで心の大穴が多少埋められて径が小さくなるような心持ちになった。好意で本は置かせていただけたが、何しろオンリーが流れてしまったのでそのジャンルの人はもちろんほぼいなかった。
 わたしが滑り込みで宅配発送した在庫と機材は、宅配業者さんやイベント会場での四苦八苦がうかがえる様子で二週間ほど経ってから戻ってきた。元々新品の段ボールではなかったので、家に着いたとたんとうとう力尽きたとでも言いたげに、横の一辺がはがれて箱の形を保てなくなってしまった。親が遠くに捨ててきた野良犬が、薄汚れた毛並みで鼻を鳴らしながら家まで戻ってきたような、健気で哀れな姿だった。

 その後、赤ブーがリベンジということで11月のイベントを格安で開催してくれ、わたしもそれに参加した。だが、それは中止になったオンリーのあるイベントではなかった。赤ブーの東京開催のオンリーは10月が初めてだったのに、そして、その新刊たちを「新刊」として並べられる機会は永遠に失われてしまった……
 11月、なんとか気力を振り絞って16Pのペラ本を出したが、わたしの書く気力はそこまでのようだった。表紙を依頼することもできず、のたのたとクソのような表紙を作って入稿した。わたしは自分で作る表紙になんの良さも見いだせず、大嫌いなので、酷くつらい時間だった。

 ハマって以降の鬼のような勢いでキーボードを打てていたのは台風が来るまで。それ以降、わたしはほんの短い話をぽつりぽつりと2、3回投稿するにとどまっている。
 中止になったイベントの振替コードはまだ残ったままだ。
 というのも、2月の春コミには10月初頭に、すでに参加振り込みをしてしまっていたせいである。

 よかったことがあるならば、春コミが開催されたことだ。
 わたしが10月に出られなかった東京開催のオンリーが春コミで同時開催されていた。原稿を書く気力がなかったわたしは、なんとかweb再録本を作り、表紙や校正で多くの人の力を借りたものの、ギリギリで本を出せたし、机の上に作った本をきちんと並べることができた。好きな作家さんにご挨拶もできてとてもうれしい時間だった。
 もちろん、この時点ですでにコロナの影響は出始めていた。多少欠席が目立つし、普段よりは人数の少ないイベントではあったものの、中止や延期にはならなかった。あんな時期に人ごみにいったのか、と叱られるかもしれないが、あの春コミがなければ、わたしはもう数ヵ月、数年、いや、もう二度と本を出せなかったかもしれない。そう考えると、春コミに滑り込みで参加できたことが心の慰めになるのだった。

 それと、これは本当に心の汚い話だが、多くの人がイベント中止で嘆き、苦しみ、残念がっている様子を見聞きすることは助けになった。
「お前の心を慰めるために悲しんでいるわけじゃない」というのは百も承知なのだが、世の中には同じ傷を負ったものの嘆きや涙でしか癒えない傷もある。そしてそこから立ち直ろうとする人の姿が、何より励ましになることもあるのだ。アメリカのドラマでよくある、カルチャーセンターなどでサークル状に椅子を並べてつらい体験を語り合うセラピーと似たような効き目がある。

 ありきたりな内容だが、いつか今の辛さは徐々に薄れていくと思う。わたしは非常に記憶が薄れやすい脳をしているのと、今年はインパクトのある出来事が多すぎたせいもあり、1年以内に記憶がなくなりご覧のありさまだが、今イベント関連で苦しんでいる人にもおそらく悲しみの半減期が訪れるはずだ。
 半減したとして、元の悲しみの大きさは人と比べることができないから、半分になっても当人を苦しめてしまうサイズである可能性もあるが、少なくとも今よりは軽くなる。
 それから、つらい人間は多いから、つらいならばレポ漫画なりnoteなりメモ帳スクショ4枚なりで吐き出してしまった方がよいと思う。時にはそれが誰かの薬になるかもしれないし、このとっちらかったnoteもそうなるときが来れば幸いだと思う。

 我々の同人活動はまったく別の領域に入ってしまった。
 印刷業界のこともあるし、オリンピックのことも心配だし、そもそもイベント会社が倒産しないとも限らない。それから、わたしが最も恐ろしいと思っていることだが、書き手の脳内に「イベントが開催されない可能性」を植え付けたこと。
 今までわたしはイベントを欠席しなければならない理由として、自分の体調不良や仕事の都合を考えたことはあっても、災害や感染症が理由になるなんて、想像することもできなかった。続けてこの二つを経験したあとで、たとえばワクチンの摂取なんかもすべて行き届いたとして、我々は安心してイベントを楽しみに全力を原稿に注げるのだろうか? 三冊目を脱稿して疲労困憊の中、ああ、あとはイベントを楽しみに待っているだけでいいんだ、と思ったあのときの安堵感を、いつか再び心から感じることができるかどうか、わたしにはまだわからない。自信がない。
 そうなるといいな、と思っているが、これから自分たちがどんな目に遭わされるのかわからない以上、そしてモチベーションの矛先を失っているうちは、答え合わせをすることもできないでいる。
 今はただ、こんな目に遭った経験が何か創作の糧になるなり、心の強さを増すなり、何事かに役立ってくれていることを祈るばかりだ。

 せめてイベントのことで心を悩ませているすべてのオタクが救済されますように。

※わたしの脳がここまでおかしくなった原因のゲームは「逆○裁判5」と言います。バレがすごいので検索せずに3DSソフトを購入するか、お手持ちのAndroidあるいはiOSのアプリストアでDLしてお楽しみください。

分かりやすい写真をいくらか追記しました。
タイトルのところにも乗せたこの写真は、上記の新刊3冊を含めたわたしが狂っていた間、約1年間で書いた本たちです。

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