きみたちはさ❔

去年、8月に見に行った「君たちはどう生きるか」の感想メモです。スマホに残っていた

めっちゃ混乱していておもしろい、
けど実はこの時から私の理解は全然進んでいないので、補助線をくれるひとをおおいに求めています

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*memo*

現代人というものを余程軽蔑している人の手になるものか?

原体験だとして、手伝いの婦女たちを群れ固まる異形の者たち 背が小さく顔が大きく皺が多く、腰が曲がっていない者もいるが例外なく愚鈍な、求めることしか知らない者たちであると見えるように描写してもよいとかんがえているのだと、晒してしまっていいのか

新しい 新しいという、
「新しい母」というアイディアを了解できるほどに
かれのなかで「母」ということばの社会的意味が成熟しているか、を考える大人のひとはいなくて、
あの安心な感触や温かい言葉の総体に冠されていたのと同じ名称を、にこにこと微笑む見知らぬ女性がもつことになるのを
すんなりと受け入れられたら彼は天才だ、それも悲劇的な

子供が、受けた衝撃を翻訳できずに、ころりとたわいもなく眠ってしまったり
こんな所もう それならばいっそ と合理性の皮を被った自己破壊衝動に 納得したつもりで血を流したり
している様を痛ましく眺めるしかない
しかし彼は行動する主人公だ

しっかり感情移入ができてのちに、彼が板についた言葉を喋り出すのがとても快
上から来た、とか ワラワラを燃すな!とか

父親の目の異星人感 これは意図的なものだろう
愛情はあるが理解し合えない人物として
車で送ってくれるとことか、やっつけてやるよと息巻いたり

母を亡くしてからのちの眞人くん
形骸だけ、礼儀だけでこなしている描き方が見事
空っぽな人間、無意識の機能だろうがおそらくは自ら抑制した結果
人を悲しませない様にとか、喜ばせてやりたいとか、人間的な感情は母とともに燃やしたのだ、自分の一部を終わらせないと喪失の巨大さに対して辻褄があわない様で 
それを回復していく物語として、私は観ました
かれが再び人と濃厚な関係を築けるように。

だから早く良くなってください。のシーンを経てから、アオサギが「夏子さんなんていなければいいと思っているくせに!」と言ったとき本当にびっくりした 凄いよ

自己保全への興味を失った人物として描きながら、存在を継続していくことへの躊躇いのなさが素っ気なく投げ出される 急須から水を直接飲むシーンなど この時代のいい家の長男って、こんな感じか

そんなにこの社会嫌いなのかなあ、、、とおもったら景色は美しいんだ、なんといおうと眼差しは世界への愛だ💞特に桜の舞う庭、差し込む光

泣きたくなるほどにくるくると豊麗な夢だ、現在のところはアニメーション映画の形態でしか彼の夢は十全に描き得ないのだろう 映画という媒体しかない よく掴んだものだ 巨匠と呼ぶに足る強烈な自我の持ち主だと遅ればせながら初めて認識した

これが日本人の共通の景色になる可能性が高いということを理解して、覚悟した表現が、格好いい

火の中をくぐるには水に潜らなきゃいけなかった子供(音響の効果)
火と水はテーマのひとつだろうか

幾何学的秩序に静謐な内的調和を求めたpedantのすがたには、聖遺物的な敬意だけをのこして
本ばっかり読んでいておかしくなっちゃった人、という評価はある意味でおおいに真理である
彼のユートピアはいくら未完成だったといっても ひどく狭量だ

フンをあびてけらけらと笑う

内面の地獄巡り

ワラワラのありかた、人間は生まれてこないうちから無数の殺生をしている(飛び立つための動力が魚のはらわた)
それを肯定し、保護するのが母性って
かなりぎりぎりのトリック

これがかあいらしいともてはやされる、消費される、それすら予見してふつふつと笑うような最小限の造形

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去年の夏は結構くさくさしていた頃なので、無駄に批判的な面もあるような
あとは瑣事にとらわれすぎているきらいがあり、集中力のない俺っちらしさがよく出ているねと思った

もっかいみてみよっかなあ

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