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【弱い者ほど相手を許すことができない】と【トラウマは存在しない】

 マハトマ・ガンディーは言ったらしい「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ」と。そして銃弾に倒れても「許す」サインを示しながら他界したという。しかし、いくらガンディーでも私にはひっかかる。「弱い者」は在ってはならないのかと・・[#]。

 「弱い者」や「強さ」を持ちだす紋切り型の意見はほかでも目にするがいずれも虚勢を促す。そういう言い方でなくとも本質は伝えられる。

 「許すこと」も一般論にすると誤用を招く。すでに日本には【許す美徳】がある。そのため「譲り合い」の精神が醸成され平和で安全だ。けれど「許せる人は寛大」を目論んだら偽物となる。
 【許す美徳】には相手が[悟る]ことが織り込まれている。これも虚勢なら[悟]らず自己正当化し同じことを繰り返す。一方同調圧力となった【許す美徳】は害を被った「弱いもの」がその気持ちを表明することすら抑えつける。「弱いもの」の中には通低音の振動が発生し行き場をなくして心身を微細に揺さぶり長い時間をかけて壊していく。なんでも綺麗さっぱり、しがらみを捨てて過去に固執するのはやめようなんて言われてもお題目にすぎない。
 さらに、心理学者アドラーは【トラウマは存在しない】「過去の原因は『解説』になっても『解決』にはならないだろう」と言っている。これも【許す美徳】と同様のスタンスをとっている。アドラーの真意が「今を生きる」という目的論だとしても【トラウマは存在しない】と言い切る必然性はない。
 偶然見つけた以下のYoutubeもアドラー心理学の短所を指摘している:『アドラー心理学で苦しくなる!やってはいけない人とは?【うつぬけ道場7】』

 (ほかアドラーについては「褒めてはいけない」も理屈が過ぎる。)

 重篤なPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)においては海馬が萎縮している[1,2,3]。ストレスによる海馬萎縮は神経細胞死による[4]。そのMRI画像を前に【トラウマは存在しない】と言うことは到底できない(アドラーは医師なのだが)。その患者に「今を生きる」論を説くよりも医学的処置が喫緊だ。この場合、原因が神経細胞死なのだから神経再生[5]および細胞死抑制が有用なことは想像に難くない。医学やライフサイエンスでは生理現象や病気のメカニズムすなわち原因の解明が行われる。原因がわかると治療法が見えてくる。治療とはすなわち『解決』に他ならない。「過去の原因は『解説』になっても『解決』にはならないだろう」という理屈は私にはとんでもない誤りに思える。いくらアドラーでも。  


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 冒頭に記した疑念[#]への応答が若松英輔氏がコロナ禍で著した『弱さのちから』にあった。以下に引用する。


「弱く」あることを強いられている人がいる。


弱みを見せないことは強がりであって、真の強さではない。


「弱さ」こそが他者との信頼を深める契機であり、未知なる自己と出会うための扉にもなり得る。


弱いところを見せながらも、互いに助け合うということも起こる。


励まし合うのはよいことなのかもしれません。しかし、それよりも弱さを互いに受け入れることが最初ではないでしょうか?


世界には「弱い者」になってみなくては、けっして見えてこない場所があります。そこで人は朽ちることのない希望を見出だし、人間を超えた何者かと出会うのです。


「弱さ」と「強さ」も、人生においては分かちがたく結びつき、互いに補い合うものです。


<参考文献>
1. https://www.amel-di.com/medical/di/download/handbook?hid=18
2. https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0278584610002332?via%3Dihub
3. https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/hipo.20437


4.   https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=25600&file_id=17&file_no=1


5. https://www.ncnp.go.jp/topics/2021/20210122p.html


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