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107. 片岡ジョージさんのお話会

先月のめいこさんの輪九チソ映画上映会に続いて、今月は昨年からの「おや?」なアレを4コマ漫画にしたら飛ぶ鳥落す勢いにノッちゃった漫画家、
片岡ジョージさんのお話会に参加してきた。
前回同様、「ハイ。」と、手を差し伸べられたような感覚があったので 「うぃ。」と差し伸べられた手を掴んだ感じ。

先月は、とにかくめいこさんや來場者さんと共鳴したくて参加したんだけど、來場者さんのコントラストが良くも悪くも複雑で焦点が合わないまま
だったから、五感外で完結してるだろうって所に落ち着かせてたこともあって、今回は、共鳴できたらイイネーくらいの、より軽ぅ~いキモチで行ってみた。
奥まった入口に氣づかず通り過ぎたことに氣づいて慌てて戻ってようやく会場入り。
開場待ちの人たちも既にいらっしゃって、開場までの時間を隣り合わせた人と初対面ながら氣づけばおしゃべりの花を咲かせてて、話がやたらとスムーズに進んでることが新鮮で、どうやろか?と思いながらぶっ込んだ『天丼』が通じたのはアガった♪
開場すると中では、今やレアアイテムと化したジョージさんの著書、
『コロナは概念☆プランデミック』が若干数販売されていた。
わたしはというと、その奥に並んでいたクリアじゃないクリアケースに
ロックオン!

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著書もコチラも、さりげなさからの ハッ!Σ( ̄□ ̄) が期待できるシレッとレジスタンスなアイテムだと思った。
全種類購入してプレゼント企画‥とも思ったけど、ないないwwとサポート団が笑いながらストップかけてきた。
所望な人がいたとしても既に ハッ!Σ( ̄□ ̄) 済みの人だろうからね。(笑)
席についてボーッとしてたら後ろの方々の会話が入ってキタ。

學校行ってないス。
マスクしないなら來ちゃダメっていうから行ってない。

馬鹿の一つ覚えで「コロナダカダシカタナインダヨー。」で子どもたちに向き合おうとも守ろうともしないオトナたちによる意味不明の強制マスクによって17日には、愛知県の小学1年生男児が熱中症で亡くなっている。
マスク常用の危険性やリスクを學校側に訴えているお母さん方もいらっしゃる。その上で強制してくるのであれば、子どもの命を守るという意味で通わせないという選択肢が必要な時代に‥というより、學校の存在意義を今一度
考える時なのだろう。
個人的には、友達に会いに行く以外の魅力が無かった學校もまた各方面と同じく『侵略』が進行してる分、我が子を行かせたくないと思う危険な施設と化してる氣がしてならない。

ぁー、14才で、こっちは13才。
そう、よく言われる。
もっと年上に観えるって。

その年齢でその選択する彼らのご両親への好奇心が湧いてきて、振り返って
お話の仲間に入れてほしいくらいの衝動にかられたけど、初老、そこはグッ
と堪えてみせた。

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時刻通りに始まったー。
Youtubeで大阪でのお話会の様子がバズってるらしいので、内容はそれに肉付けした内容だとジョージさん仰ってたけど、好きなお笑いのネタを繰り返し見てる感覚に似てた。(笑)
あくまでも、事實と「ん?」を淡々と、「おかしいよね?!」には、そこそこ
込めてツッコミ入れるみたいなリズムがとにかく心地よかった。
目下、爆売れの著書以上にやっぱり彼の『しゃべり』がスキだなぁと。

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講演会や講座中に突如、瞼が重くなり半ば強制的に目を閉ざされ、おでこの奥に妙な空間が発生してその中だけがボーッとしてるようなトランス状態ってコレのこと?と思う現象が起こることがある。
通知表には毎回『集中力がない』を記されてきたワタクシ、単に眠氣に襲われているのだろうと思ったこともあるけど、眠いのと違ぅ‥ぁ、ぃゃ、結果的にオチることもあるんだけど(笑)、強制的に降りて来た瞼をそのまま閉じて聴いていると自分以外の何者かが一緒に聴いているような微かな感覚があることに氣づいて以来、頭からではなくハートから入れなさいというサインというコトにしてきた。
引きこもり生活歴が更新されている中、そんなこともすっかり忘れてて、データに基づく輪九チソ関連の話題から『心の在り方』や『マトリックス』に話が及んだとたん、瞼ジュドーン!!來て思い出したり懐かしかったり嬉しかったり。 そんな感じでトランス様状態に入っていた時、

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とジョージさん。
あらw、コロナ脳って‥ 意外と攻めるのね。(笑)
おおぜいの中の一人のつもりで元氣に挙手したら、会場内が予想外に静まっているのにチョット焦ってスクリーンを確認し終えた所で、

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この後、ご家族がコロナと診断された方のお話があったけど、近代医療に対し、どこか懐疑的でナナメに観てるわたしの中にあるコロナウィルスなる存在への疑念を取っ払うには至らなかったけど、2015年には特許がとられていたCovid19、びるげっちゅはその年のTEDで「世界的脅威は戦争ではなくウィルスによって多くの人々が命を落とす。」と言っていたのだから自然発生には類さないモノであることだけは明白だろう。


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頭の回転が早い人特有のテンポの良さで1時間があっという間に過ぎて、
休憩後は、あらかじめ寄せられていた質問に回答頂く『ジョージと語り合おう』のコーナーが設けられていた。
何か質問ありますか?
と問われると、頭ん中まっ白になって何も浮かばなくなるから、あらかじめみなさんから質問を募集してくれていたのはありがたかった。
自分とは違う視点からの疑問て新鮮だし☆

面白かったのは、急遽、壇上に上げられた主催者関係者さん各位と、ジョージさんが、かつての職場だったりお子さんが同級生でお互いが保護者という立場だったりしてここで会う以前に既に繋がりがあったことを、この場で
氣づいて「ナニコレー!wwww」ってなってたこと。
これって、マトリックスあるあるで、此処での再会は、実は此処だけじゃないレベルの再会で、<偶然と書いて必然と読む>ないし<全ては必然偶然は無い>を裏付けるような場面だったりする。
こういうのがツボで内心はしゃいでたりする♪


それから‥
主催関係者の皆さんが非常に柔らかくてウェルカム感に満ちてて、目が合って会釈すると笑顔で返してくださる人ばかりだから一見、ゆるく進行しているように見えて各方面に迷惑がかからないようにとの配慮が感じられたタイムキーピングっぷりには脱帽。
伝えるべきことは、しっかり伝えて進行はスムーズ。
みなさんが醸し出す空氣感に浸っていたら、此処に降りてくる直前、同じ空間に集められた<姉妹>たちと此処で再会し、10年ほど活動を共にしてイベントのお手伝いや主催をしていたことが懐かしく思い出され、

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と内側で響いたらジーン‥とキタ。
独りで振り返ったり考えたり対話する時間を過ごすうちに、10年間で知ったつもりになっていたアレやコレが剥がれ落ちて現れたのが、子どもの頃のままの自分で、その子どものままの自分視点からだと学んだつもりの10年間がツッコミ処満載すぎて、体験の全ては必然で無駄なことなど無いことは知ってるつもりでも、寄り道しちゃった?が拭えなかった自我に対し、コアは、極上な時間だったことを知っていた。
押し寄せるモーレツな幸福感に浸りまくった時間は僅かながら、コアの知識がかりそめのわたしに反映された瞬間だったことは間違いないだろう。

至福だったなぁ‥。
主催者さんがこのタイミングでこれだけの人が集まれること自体が奇跡だと
仰ってたけど、この茶番の中で似たような思いを抱えて集まった人たちとは
覚えちゃいないけど、きっと再会だったに違いない。
共鳴が宣言となり、その宣言を楔のように打ち込むためだけに集結して三々五々解散するみたいな妄想を掻き立てられた。

ジョージさーん、主催者サイドのみなさーん、
心地良く楽しい時間のご提供、ありがとうございました♪


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