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26. 生きるの大好きです


junnosさんというシャーマニックなシンガーさんの存在をSNSで知った。
独特な歌唱法に、ストレートかつアイソトニックで深い歌詞にハートを掴まれ、動画サイトを漁ってjunnosワールドに浸っていると、<生きるの大好きです>というタイトルに「うっ‥!!」となった。
この反応がネガティブ的はたまたポジティブ的なものなのかは、今でもよく分からないのだけれど、「生きるの大好きって言えちゃうのスゴイなぁ‥」と思ったことで、死にたいと思ったことはないけど、積極的に生きたいとも思ってもいない自分が居ることに氣づき、いまだメガ級の傲慢さがあることを思い知らされた。
パートナーにコドモの頃のエピソードを話すと「ホントにお宅の姉妹はクールよなあ。」と言われることが度々あったけど、思い返してみれば確かに、幼い頃から自分が見ている世界に怒りを感じて、どこかシラケていたような氣がする。

<生きるの大好きです>を初めて聴いた時は、junnosさんの思いを受け取るように聴いたけど、ある日の夕方、夕食の支度をしている最中に ふと、
♪ いーきぃーるの大好きです ♪ と口ずさんだ時、背中がフッと軽くなったのを感じ、そういう言靈なのかと感じ‥って、どういう言靈なのかの説明は 出来ないけど腑に落ちたので、時々「生きるの大好きです♪」と声に出しては背中を軽くしていた。

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それからしばらくして、無性に<生きるの大好きです>が聴きたくなって
聴いていたら、トランプカードを重ねたように過去世も含めたこれまでの
人生の存在(質量)を感じると同時に、何かを思い出したというわけでもないのに、それぞれの時間を自分が精一杯生きていたという実感と理解がやってきて嗚咽し、怒り続けていてもこの世界を愛しているのだと理解した。

見れば見るほど、聴けば聴くほどシャーマンにしか見えなくなってくる
junnosさんは、毎晩22時頃からライブ配信をしていて、時間が合えばお邪魔しているのだけれど、先日、寝起きと同時に始まって一日中<生きるの大好きです>が頭の中で流れていた夜、登録している動画を閲覧していると、
junnosさんのライブが始まったのでお邪魔したら、1曲目が始まろうとする直前に「もしや‥?!」と思ったら<生きるの大好きです>キタ━━━━!!!
この人やっぱりシャーマンだと確信した。
ちなみに、日曜日はお昼頃から美しいお嬢さんと一緒に配信している。


起きたらMusic
そのままDansing
いつまでもSinging
あなたとLaughing
笑う声と海に乾杯

何かと誰かとも比べようもないかけがえのない時を刻んできた。
そうだ、わたしは生きるのが本当は大好きだった。


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