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死後の世界

ばあちゃんのいない家で、薪をくべて風呂を焚く。
いつもしてもらっていたから、まともに焚くのは初めてだった。
赤く燃える薪を眺めながら、火葬の時を思い出す。
このときわたしは初めて、仏教の死後の世界観について調べた。

よく耳にする三途の川。
これは死後七日目にたどり着くらしい。
いわゆる初七日法要のある日だ。
「死にかけて〜三途の川が見えて〜」みたいな話あるけど見えるはずないらしい。

手前にあるのが賽の河原。
そこでは、幼いこどもが石を積み上げていて、あろうことか一生懸命積んでも積んでも、鬼に蹴飛ばされるらしい。なんそれ。
親より先に亡くなることは親不孝とされ、五逆罪と呼ばれる大罪の一つになるようだ。
徳を積む前に死んでしまったから、石を積んで仏塔を作ることで、徳を積むらしい。
「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」「石にすれた手足がただれ、指から血がしたたり…」
て、ええええ。そんなんお父さんもお母さんも望んでないし、そもそも生まれてきただけでもう親孝行よ!大丈夫よ!
さっきまで寒いわあ、冬やわあっておもってたのに、上着脱いでブラトップになるくらい熱くなってしまった。
泣きながら血まみれになりながら石を積んでは鬼に壊されを繰り返してるうちに、地蔵菩薩が現れて「私を冥途での親だと思いなさい」って抱きしめてくれるらしい。
いやいや遅ない?もっとはよ来てあげてよー!
違う徳の積み方はないのかよぅ。体罰にも厳しくなった令和の時代になっても変わらんのかよぅ。
わたしが賽の河原行ったときは、こども集めて、「水切り大会@賽の河原」開きたいわ。
おばあちゃんの行く末に関係ないところでもう辛い。

三途の川は、おばあちゃんも通る道。ここを通らないと成仏できないらしい。
罪の重さによって、橋を渡る、浅瀬を渡る、深瀬を渡ると変わってくる。
深瀬は江深淵というらしく、調べたらこのように説明されていた。

流れは矢を射るように速く,波は山のように高く,川上より巌石が流れ来て,罪人の五体をうち砕く。
コトバンク

こんなん絶対死ぬやん…。って、もう死んでるんやった。
おばあちゃんは悪人じゃないから、にこにことわ橋を渡ったとおもう。
仮に多少わたしの知らないちょっとした罪があったとしても、うーん、たとえば近所のおばさんにもらったお菓子をじいちゃんに内緒で食べ尽くしたとか?
きっと問題なく渡れたはず。うん。
この罪の重さの計り方もなかなか独特だった。
川のほとりにいる奪衣婆という者に衣服を奪い取られるらしい。
それで、受け取った懸衣翁が木に掛け、罪の重さによって枝の垂れ方が変わるらしい。
服やのに?なんでー!ふしぎ。
むこうの世界にも四季とかあるんやろうか。
夏やったら脱ぐのもいいけど、おばあちゃん亡くなったの12月やから、すごい寒そう。
そのあと服返してもらえるのかとか、違う服着せてもらえるんかとかは調べても分からなかった。
地獄絵図とか見たらすっぽんぽんだったから、みんなずっと服ないのかもしれない。

そうして初七日をはじめ七日おきに大王たちによって裁判を受け、四十九日目にして何に生まれ変わるかが決まるらしい。
ようやくばあちゃんも四十九日を迎えた。
こんな過酷な旅をやっと終えたんやね。
死ぬ前も苦しかったろうに、死んだ後もたいへんやったんやねぇ。
本当に九十年間おつかれさまでした。
なにに生まれ変わったんやろう。
そもそも、なにになりたかったんやろう。
わたしたちにまた会いたいとおもってくれてたかな。
そんなもう答えの聞けないことを考えたりする。

人生第二章を歩むための、なにか"きっかけ"を与えていただけたら嬉しいです!あなたの仕事や好きなことを教えてください。使い道は報告させていただきます。(超絶ぽんこつなので遅くなっても許してください)