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サッカーというスポーツ

数週間ぶり2回目の投稿です。自分のサボり癖を加味した上で緩めの週一ペースでやろうと自分ルールを決めていたはずが、サボり癖が想像を上回ってきました笑。

ということで第2回は自分の中の“サッカー”について幼稚園時代から今まで振り返っていこうと思います。

幼稚園時代

年長からサッカーを始めました。始めたきっかけはタイチという当時イケメンでクラスの人気者だった奴がやっていてそれに憧れて始めました。幼稚園の時は特にどうなりたいとかサッカーが好きとか全くなく、スローインを投げる事が1番好きでピッチに出たボールを全速力で追いかけてました。ちな今思い出すとほぼファールスローでした。

小学校時代

幼稚園から始めた少年団と同じ所で小学校時代もやってました。小学生の時はヘディングが得意で、2年生の時にはサッカーを始めたキッカケであるタイチの顔をボールと見間違えヘディングし、出血させました。そして小学3年の時からスタメンで試合に出れなくなりました。その時の感情は『悔しい』でした。

その頃からサッカー上手くなりたいと少しずつ思うようになり、そこから毎日のように近くの公園で球を蹴るようになりました。公園にはゴールがありましたが、その裏がドブになっていて外すもしくはネットを抜けるともれなくドブ行きだったのでシュー練はしなかったです。俺がシュート下手なルーツはそこにあったんだと今気づきました。

そして4年生になる頃にはスタメンで再び出れるようになり、5年生の時に市内の選抜に選ばれました。初めて自チーム以外の人とサッカーしてみて『もっと上手くなりたい』と純粋に思いました。6年になると地域の選抜に選ばれ少し天狗になっていました。しかし選抜の練習の際鳥かごで冗談抜きで200回くらいパスを回されその自信は無くなりました。

ただ中学校じゃなくクラブチームで上手い奴らとやりたいという気持ちは変わらずセレクションを受けました。結局地域のクラブチームでサッカーする事になりました。

小学校時代に気づいた事は『努力は報われる』という事と『もしかして俺ってサッカーちょっと上手い?』って事でした。

中学時代

当たり前のようにスタメンで出れると思っていたけど、結論から言うと3年間1度も公式戦に出られずに終わりました。正直1年生ぐらいの時はまだ努力すれば試合に出れるし、いつかプロになれる、と思っていました。皮肉な事に2年生になると最早プロには到底なれないと思うようになりまずは試合に出れるように努力をしようと考えました。

1学年3カテゴリーある中1番下だった俺はがむしゃらにまずはBの奴から喰ってやろうと必死な姿は最高に滑稽だったはずです。Bのメンバーから嘲笑われ、からかわれていました。特に気を病む事は全く無かったですが、そいつらの事はクソほど嫌いでした。その後も練習は休まず行くものの試合に出る事はなく3年生になりました。

中学の部活と違いテスト休みなるものはなく長期休みもひたすら試合のクラブチームで高校受験に対して不安を抱えるようになりました。当時サッカーにおいて試合に出て活躍する事が目的だった俺は、どうせこのままでも試合出れないしこいつらとサッカーやってても楽しくないなと思い、休部をして受験に備えました。

高校では中学の雪辱を晴らしたいと考えそれなりにサッカーができて、グランドが人工芝、かつ受験勉強を気にせず3年間サッカーできる附属の高校に絞りました。結果中杉を選ぶ訳ですが、中附の方が近いし人工芝も綺麗という事に入学してから気づきました。

中学時代の気づきは『あれ、努力って報われなくね?』って事と一緒にやる人も大事だなという事でした。

高校時代

高校入学時は中学の時みたいな失敗はしたくないと思い初っ端らから尖っていきました。入学前から練習に参加しているメンバーは既にグループが出来ていました。それを知らない俺はそのグループの中心であったジュンヤという奴の事を初対面でいじり倒し3秒で嫌われました。

サッカーの方はとにかく早くから試合に出たかったのでガンガンにアピールをしました。そして代替わり後の1年生の冬には試合に出れるようになりました。その後一個上のキャプテンが死ぬほど怖いけど、尊敬できる人でこの人に認められたい、追い抜きたいと思うようになりました。そのキャプテンはめちゃクソ身体能力が高くて多分正攻法で闘っても勝てないなと気づき自分の良さについて考えるようになりました。

結論としては『セカンドボールの予測と回収』です。俺は特別足が速いとか身体能力が高い訳では無かったのでボールがどこにこぼれるかを常に予測して速い出足を意識しました。この頃からただ練習するんじゃなくて自分の得意不得意なプレーを考えながら練習をするようになりました。

3年生になり、キャプテンになると自分に厳しく周りへも厳しくあたるようになりました。そこまで間違った事をしてたとは思わないけど何となく熱量の押し付けみたいな部分はあったかなと思います。

高校時代の気づきは『努力すれば良いってもんじゃなくて努力の仕方が重要』という事でした。

大学時代

大学入学直後体育会を受けるかサークルに入るかと2択で迷いました。結果サークルに入りました。体育会を受けなかった理由は正直ビビってたからです。推薦で入るような有名選手や既に活躍してる先輩達の経歴に圧倒され、自分が入れたとしてスタメンで出て活躍するイメージが湧きませんでした。

中学の時みたいに4年間試合に出られないのではないかと自分の可能性を信じられず結局サークルを選びました。当初サークルの事をなめていた&謎に尖っていた事で周りから煙たがられます。ただうちのサークルは尖った奴だろうと家庭環境が複雑な奴だろうと関係なくいじられる不謹慎サークルであり、秒で丸くなりました。

最初はなめていたものの周りの先輩は上手い人も多く、何より遊びと合宿が楽しくて気づいた時にはサークルにハマっていました。あっという間に自分達の代になるとサッカーとしての結果とサークルとしての組織のあり方の両立にとにかく悩みました。

結論俺は両方を取る事を決断しました。高校までの俺は『サッカーは結果が全て。勝ちこそ正義。』くらいに思ってました。だからこそ試合に出て活躍しないと存在価値は無いと思ってたんだけど、大学時代の色んな経験(前のnoteで書いたけど)から試合に出ない人の大事さや組織としてのあり方も絶対に必要だと考えが変わっていきました。

最終的に自分達の代は例えば『優勝』みたいな分かりやすい結果は全く出なかったんだけど、それ以上に得るものがあったなと本気で思える1年間でした。ただ『サッカーは結果が大事で、勝ちこそ正義』って考えはあながち間違いじゃないと思います。過程がどうであれ結果を出し続ける事は簡単じゃないし、結果を本気で達成しようとしていない時点でその過程で得られるものはたかがしれていると思います。

大学時代の気づきは『目的達成の為に努力をする事で報われる事は正直ほとんどないけどその中で得られるものは必ずある』という事でした。

まとめ

こうやって振り返ってみるとサッカーにまつわる経験は挫折の方が多かったなと感じます。笑各時代に環境や周りにいる人々が違うんですが学びや気づきもそれぞれ全く違ってきます。最近よく『自分のした決断を正解に変える』事が大事だと周りが言ってたり自分も思います。もちろん与えられた環境で努力をする事、周りの人と上手くやる事は言うまでもなく大事です。しかし自分が努力を続けられる環境か?周りの人とはどんな関係性を築けるか?等『自分の決断を慎重に責任を持ってする事』がより大事だと最近気づきました。笑



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