ウルトラで起きた平和ボケ?のお話
先週は、ULTRA JAPANに行って来ました!笑
会場の盛り上がりは夜になるにつれて増して行く感じ、お昼から涼しい風といい天気の中で友達と飲んで踊って楽しかった!
まあ、ウルトラは良かったのですが、悲しい出来事が起こった…
帰りの出来事なんだけど、混み合うのが嫌なのでフィナーレ前で帰ろうと。
まだあと1時間半くらいはいれたけども帰った。
すると、出口から出た瞬間、外人さんに声をかけられて手を差し伸べながら「ありがとーー!🙋♂️」って言われた。
いや意味わかんなと思って、スルーした。
そしたら次に若い男性2人が「え、お姉さんたちもう終わり?“それ”ちょうだい、マジで頼む」と。
彼らの言う“それ”とは、ウルトラの会場へ自由に出入りができるリストバンドのこと。
早めに出た人にバンドをたかって、無料で入ろう作戦。
これが出待ちのように沢山いた。
なので手を差し伸べてありがとって言ってた外人もバンドをくれと言っていたの。
楽しんだ後にバンドをたかられるなんて思ってなかったから、すごく驚いたし気分はよくないよね。
若い男性は2人ともただただ無料でウルトラに入れる方法に夢中になって、私達にたかっていた。 (めちゃめちゃしつこいの)
今の日本は、物も溢れかえっているし、体験や経験もたくさん転がっている、そして用意までされていることだってある。
もしも欲しいものが高くて買えないのであれば、より安く売っている場所がある。
そして、それに似た商品だってある、もちろん安いよね、偽物だってわからないくらいにね。
何もかもが、いつでもどんな時でも手に入ってしまうこの便利な時代。
たかってきた彼らがどんな生い立ちでなんてわからないし、言い切れはしないけど、しっかり服着て、靴履いて、流暢に喋っていた、特に生きることには支障はなさそうだった。
いい年をした若い人たちの「無料」への欲を目の当たりにした時、その姿の悲しさがなんとも言えなかった。
ウルトラに行きたい!が本質ではなく彼らにとっては「無料」が本質だったのかなと思う。
お金を払うことはできる。が、どうせ払うなら安くで収めたい。ここまでは分かる。
でもこれ以上になると、あわよくば無料でいけるんじゃない!?と、無料欲の怪物になっちゃってるよーーー。笑
無料になる方法に夢中になるよりも、なぜその値段なのか考える方が私はいいと思う。
そして、本質の向きを「お金(無料)」ではなく、「ウルトラに行きたい!」といった自分の心の中にある欲に向くと良いなと。
値段がつくものには理由もあるし背景もある。
安い理由、安い背景、高い理由、高い背景それぞれ。
価値があるとされているものを、安く、安く、あわよくば無料で!と、無料ルートを探して作り出すなんて、悲しいんじゃないかなあ。
だけど、平和ボケはきっと自分もある、色々考えてみよっと。
(こんな話に最後、ハッシュダグウルトラジャパン、ジワ!)
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