幸せを感じるとき

後輩くんとの文章練習。
今回のお題は幸せを感じるとき。まーたスピリチュアルな話題ですな。

# 幸せのときって言われてもな。。。

思い返すと、幸せの瞬間よりも絶望したときの瞬間の方が身体にこびり付くわけで、あんまし言語化するのは難しいな〜。
あとは幸せの定義もやっぱり難しい。大きな幸せ、小さな幸せ。大吉 ~ 末吉まであるくらいだから当然幸せには大小あるでしょう。そんな中で何を書こうか。

# 今でもこびりつく幸せのとき

今までで一番の幸せの瞬間ってのはなんだっけなと思うと、高校の部活動の思い出が一番かも。
私は一回高校を辞めている。辞めた理由は特に大したものではないけれど、いわば私は高校を入り直した。
転校ではなく、入り直したわけです。つまり一回ズレたんですね。

そんな中で私は吹奏楽の部活動をしてました。
ま〜昔の同級生が先輩で、後輩が同級生でという複雑な環境で、しかも学年で私は男子一人という存在でした。
でも、まぁ皆んないい人たちでして、楽しく部活動はやり切れたわけです。これだけでも幸せでした。

そんな中で凄いと思ったのが夏のコンクールでした。
コンクールは吹奏楽部にとって甲子園みたいなものでして、地区大会 から全国大会への切符をかけて、音楽を磨くわけです。
そんなコンクールは人数によって部門が分けれていて、 A部門、B部門 があります (C部門もありますが、そちらは賞とかは関係ない部門です)。
私の高校はそれまで B部門の常連でした。 B部門でも県代表に選ばれていたのでそこそこ強い高校だったかとは思います。
しかし A と B には確実に隔たりがあり、単純に言えばしっかりとした実力が評価されるのは A部門であると言って良いでしょう。

私が 2年 の年の夏、 A と B どちらに出るか?ということで一悶着ありました。
私が 1年の夏は B で県代表になっていました。当時 3年生は1人しか部員がおらず、人数的には妥当な洗濯でもありました。
しかし その年は人数的に十分に A部門に参加できる選択肢があったのです。
ここで問題になるのは、県代表に選ばれなければ 3年生の夏が終わってしまう。ということです。

それはもう、揉めました。
部員誰1人、A部門で金賞をとって県代表に行けるなって思っている人はいなかったでしょう。
でもそこは青春なんですよね。なんでか忘れたけど A部門に出ることになったんですよね。多分 2年生にとっては最後に一緒に3年生の舞台に上がりたい。とかそういう気持ちもあったわけです。

で、A部門では 自由曲に加えて、課題曲なんてのも練習が必要で、毎日毎日楽器の練習です。
あれも今思えば幸せなことですよね。

で当日、我々は全てを出し切ったわけです。順番もほぼ最後だったかな?
初出場でトリってのも凄い緊張するわけですよ。
で、いよいよ結果発表なわけです。
確か金賞の枠は3つあって、僕の地元の山梨県はそこまで高校が多くないわけですが、 10高校とかあるのかな? 次々と結果が渡されるわけです。

そんな中で事件が置きまして、常勝と言われる強い高校が銀賞だったんですね。会場がそれはもうザワつきました。
その高校から叫び声と泣き声が聞こえる中、我々もソワソワし出します。
まぁまさかな〜と思ってたんですが、
3つの代表の枠があるのに2つまでしか金賞が出ないんですよ。
で、いよいよ我々の番で言われたわけです 『金賞 ゴールド』と。

いや〜その時は何が何だかわからなかったですね。
嬉しいのは当然なんですが、身体が震えてしまって、あとはもう皆んなと抱き合って。そこには確かに幸せを感じた瞬間が確実にあったと僕は記憶してます。

# 最後に 

しまった、小さな幸せを書こうと思ったら時間切れ。
しかし書いてみると凄い話だったなと思いました。
特に凄いわけではないんです。そこから全国へ〜とか。でも確かに私たちのあの夏は熱かった。そういう話でした。

ここに記憶が残されていた。
http://yamanashisuiren.jp/concours/h19/rel070804_hba_co.html

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