限りある年月を想うだけでも

 noteを始めて3年が経つ。当時、高二の12月。丁度この時期だった。記憶が正しければ、Twitterの代わりを探していて辿り着いた。UIがスッキリしていてスマートフォン向けの専用アプリがあって「つぶやき」のような機能がある。それでnoteを始めた。Twitterの代わりを探していた理由は、当時使っていたアカウントの運用というかそのような大袈裟なモノでは無いが、兎に角面倒になったからだ。かといって2年間育てて平均ふぁば数200を記録した垢を手放すのも惜しい。結局放置して、最後のツイートのふぁばは30かそこらだった気がする。30人の人間を数字として捉えるのは如何なものかと思うが。そのアカウントは翌年3月に削除した。

 3年間で色々な事があった。親は死んだし、高校は卒業したし、浪人したし。ひとまずは懐古している時点で、私は3年間を生き延びたという事である。


 今年の5月、母校の体育祭を覗きに行った。中高6年間かよったあの道を、実に1年ぶりに歩いた。一浪目の11月、気まぐれに駿台予備校を抜け出して最寄り駅まで行った事はあったのだが、何せ最寄り駅から学校まで2kmあるから歩く気にはなれなかった。6年間ほぼ毎日歩いたのだがな。卒業しちまえば私は完全なる部外者である。体育祭を横目に、近くの工事の警備員を学校の警備員と勘違いしてソワソワしていた。6年間で体育祭は6回あるはずだったのだが、何とかの影響で高二と高三の2回が飛び、高一は暑すぎて午後の競技が大体飛んで半分くらいだった。ともあれ私にとっては実に4年ぶりに目にした体育祭だった。変わったものが多かった。最近見たらホームページも刷新されていた。キラキラ私学やん。校則も結構変わったらしい。高三のLHRで行われた「校則改定委員会の案出し」で私が周りに迷惑かけてまでねじ込んだ「男子のスカート着用を認めるように」ってどうなったんすかね。でもよぉく考えたら、前の男の娘がスカート履いていたら私はドキドキしてしまいます。というか現に今。アレ?でも男子のスカート着用を認めたところで、男の娘は男子ではないからスカート履けない?略。

 街なぞに感慨を覚えたのは中高6年間だった。学校の最寄り駅前のミスドは潰れた。 Charlotteに出てきたゲーセン(パチ屋)も潰れた。ビルごと壊された。唐揚げ屋も潰れた。ミニストップも撤退してセンチュリー21になった。鳩小屋も壊された。新しい家が建った。クソ、思い出せない。何だか私だけが止まっているみたいだ。みたいだ?


 最近は時間が増えた。一浪目に比べて時間の使い方を覚えたからか知らないが、時間がある。時間があると、考える。すると、不安になる。


 余裕が無いのはよろしくない。心理的な余裕か経済的な余裕か他の事か知らんが。(心理的余裕の一因が経済的余裕なのだろう。)私は最近気が付いた。魯迅の『故郷』よろしく、歳を食うに連れてやっかみが増える。徐々に明確になる他者との差だとか俯瞰的に自分を見るようになるとか。自己同一性だか何だか知らねぇが。中高の制服は制服なので当然同じものを着ていた。同じはつまんねぇからとネクタイを太く巻いたり細く巻いたりスカート折ったり。制服が無くなりゃ目立たんように、周りから浮かんようにする。だがそれも何か癪でどっか細工する。ふふん。


 そりゃぁ人間なんて基本、怠け者だし。他者を貶めたいし凄いと思われたいし。自己中心的だし。何がしたいとか、本当はどういう事がしたいとか言えないし。誠実謙虚努力?素晴らしいね。身に沁みる。まぁ確かに嫌われたくない。一人で生きていく!などとそんなに強くない。考えるのは面倒だし。死ぬのは怖いし。

 ソシャゲのダンジョンで30分くらいかけて成果がないと、クッソ〜無駄だったなぁ!などと考える私が、十数年、何十年生きて何の成果もないとか、阿呆らしい。ヘンだよ。

 みんな仲良くして欲しいし長生きして欲しいし幸せになって欲しいし。美味しいものいっぱい食べれば幸せです〜とか、一日が終わって布団に入る瞬間が一番幸せです〜とか何とか。何でも良いけれど。だったらいつまでも好きなものを食べられるように、ある程度金があって健康でいて欲しいし。うわーん!お酒と煙草減らしてよ!ラーメンのスープ飲まないでよ!


 だってさ!私が思っている事と他の人が思っている事がどの程度一致しているか何て分からないじゃん!良い例はヴィトゲンシュタインさんの私的言語。話し手にしか分からなくて相手には分からない(かもしれない)ってアレ。私は人間さんの重荷になりたくないし、著しい迷惑はかけたくないし。だけれど私は人のアレコレを迷惑だとは思っていないし。本気で思っている。別に(相手によっては)手間が増えるのも良いし、半分くらいはくれてやる。一緒に死のうぜ!エゴ?泣いちゃいそうだ!


 もうこの先どうやって生きていけば良いのか全く分からない。元同級生は家庭を築いているというのに。私がしている事といえば教科書と睨めっこしてWordをカタカタ。こんなレポート100枚200枚仕上げったって、10年後には何にもならねぇのによ。それとも私は30になっても「あの時のビオ・サバールの法則の実験の考察、ホントに良く書けたんだよぉ〜!いや何、固定コイルの下側のみを考慮した解析だったから、上側もビオ・サバールで計算して!そしたら!添削で、面白い考察ですって返って来たの!」とか言っているのか?最悪過ぎる。その時は、おじいちゃんがまた何か言っているよ〜固定コイルの縦側の長さが分からなかったら適用出来ないでしょ笑とか返して下さい。お願いします。というか教授たちっていつ寝ているのだ?いつ自分の研究しているのだ?あの人たちは学部生のチンケなレポートを添削していて良い人ではない。黒板に向かってボソボソ何言ってんだか良く分からない(聞き取れない、と私の理解が追い付かないという両方の意味で)状態で数式並べて対面の映像授業を繰り広げている人も、一握りの人間たちなのだ。努力にしろ才能(私は才能という言葉があまり好きではないのだが)にしろ。本当に選ばれた人なのだ。博士取るのは大変だよ。多分。私は学士を取れるか不安で仕方がない。院行く予定なのだが。あと1.5年か2.5年か、4.5年か知らねぇが。それまでに食い扶持を見つけねば。まぁ見つからなければ野垂れ死ぬだけだ。


 何だか疲れたのだ。ニンゲンとしての強度が低すぎる。ウンコ。年を喰うと涙もろくなると聞くが、全くその通り。朝、目が覚めるだけで泣いちゃいそうだ。(嘘松)



 今日は頑張ろうと思っていたのですか、特に何もしなかったので明日は頑張ろうと思います。



 今年は頑張ろうと思っていたのですか、特に何もしなかったので来年は頑張ろうと思います。



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