ピカソのキュビズムってなんなん?

「キュビズム」というと
芸術に少しでも興味がある人は
必ず聞くワードだが

同時に
芸術を"理解困難"なものに仕立てた
確信犯的な"事件"だ


実際これは
パブロ・ピカソと
ジョルジュ・ブラックが

半ば悪ふざけで始めた
"破壊行為"だった


バンクシーが壁や電車に
ゲリラ的にグラフティを
描いた行為のようなもの




日本で一般的にキュビズムの絵として
紹介されるのは
ピカソの「アヴィニョンの娘たち」や
「泣く女」があるが

実はこれはキュビズムではない
という諸説がある



キュビズムが何だか分からないのに
キュビズムでは無いってなると

ナニガナンダカナンダカンダ



もうこの先は物好きな人だけ
読んでください



キュビズムは
キューブ+イズム
を足し合わせた言葉で

その言葉の通り
「キューブみたいな」
という意味だ


先に紹介した
「アヴィニョンの娘たち」や
「泣く女」は
ぜんぜんキューブっぽくない

むしろこれらは
アフリカ民族の奇抜なお面を
パクって絵にしているって言った方が
しっくりくる

実際この時代は万博が頻繁に開催され
西洋人たちにとって
アフリカなどの民俗文化が
とても新鮮で衝撃的だったようで



さらにその頃の若手画家たちの間で

「セザンヌやばいよね?」



ってなってて
あえて分かりやすく言うと
構図がむちゃくちゃで
"下手うま的"な絵が
フューチャーされていた


素直なピカソはそれらに影響されて
代表作を描いた

やがてカリスマ性抜群のピカソが
キュビズムの代表格みたいに
言われるようになっていった



っていう流れ




むしろピカソとつるんでいた
ジョルジュ・ブラックのほうが
キューブっぽい絵を最初に描いた

(ブラックはピカソのアヴィニョンの娘たちを「これはないやろ〜」て散々バカにしながらも密かにめちゃくちゃ影響されてキューブっぽい絵を描いた)





それともう一つ
ピカソらは

パリのモンマルトルの丘で
創作活動をしていた
「モンマルトル派」と言われる
グループで括られ


それに対して

モンパルナス地区で活動していた
ドローネーやグレーズなどの
「モンパルナス派」がいた


もしろそちらの画家たちの方が
キューブっぽい絵をたくさん描いた



のちにモンマルトルの地価が上がっていき
ピカソもモンパルナスへと移住した




いずれにしても
ピカソはキュビズムという"悪ふざけ"の
きっかけにもなったし
キュビズムの時代を生きていたのは確かで




これは余談だが

各地で湧き上がっていた
キュビズムブームだったが
とあるキュビズム研究グループに
所属していたのがデュシャン三兄弟で

その三兄弟の末っ子が
"マルセル・デュシャン"
である



言わずもがな彼は
「便器」を芸術と言い放ち


ピカソ以来の
破壊行為で

芸術の息の根を止めた



と見えたが
その後も様々な芸術家が
"創造"でもって再構築をしてきた




これまでの歴史がそうであったように
"創造"と"破壊"の甘辛エンドレスが

やめられない止まらない

芸術の歴史を作っていくだろう


※参考動画
「山田五郎オトナの教養講座」

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