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犬を土葬した8月2日のこと

犬が死んで4日目。朝から私は丘の上で穴を掘った。死んだ犬を埋めるために。

土葬するには広く深く穴を掘らなければならない。狭い穴だと犬が窮屈そうな体勢になるし、浅い穴だと野生動物が犬の匂いを嗅ぎつけて、穴を掘りおこして犬を食べてしまうからだ。今朝は梅雨が明けたばかりの青空が広がっていたけれど、直射日光はさほど強くなく、穴を掘るには最高の天気だった。

2ヶ月ほど異常に長く続いた雨のおかげで土は柔らかく、力の弱い私でさえも掘ることができた。30センチほど掘ったところで、大きな岩がゴロゴロと埋まっているのがわかった。大きなシャベルでは細かく掘ることができないので、岩が出てくるたびに小さなスコップで掘っていった。ちなみに西日本では大きな方をシャベルと呼び、小さな方をスコップと呼ぶ。ところが東日本では大きな方をスコップと呼び、小さな方をシャベルと呼ぶらしい。なんてややこしいんだ。

穴を掘りながら考えていたことは、昔の人たちはこんなふうに土葬していたんだなっていうこと。仏教の伝来と共に日本にやってきた火葬だけど、一般人に普及したのは戦後だったらしい。それまでは、誰かが亡くなると村の人たちで穴を掘って、土に葬ったんだなってことを想像しながら掘っていた。

丘の上を掘っているうちに、犬が死んでから私の心にぽっかりと空いてしまった穴を、目に見える形に再現しているような気がしてきた。掘り続けて穴がある程度深くなると、わたしは穴の底に降りないと掘り続けられなくなった。そして同時に、現実的な世界では、深い穴の中に入って手足を動かして土を深く深く掘る作業によって、わたしの精神的な世界では、自分の心にぽっかり空いた穴の奥の、深い深いところまで降りていっているような感じがした。

話はちょっと変わるけれど、バイオダイナミック農業では、宇宙のちからが植物の成長に関与しているという前提で農事歴が作成されている。とはいえ、植物は直接宇宙のちからを受け取ることはできないらしい。そこで、宇宙のちからは地中に存在する受信機であるケイ素にいったん受けとめられて、そしてケイ素を通して植物に流れ込んでいくと考えられている。土として使用できるものの約半分がケイ素化合物でできているので、地中には宇宙のちからが充満しているのが想像できる。

わたしは犬の遺体を埋めるために穴を掘っているのだけれど、犬を土に埋めるということは、宇宙のちからに満たされた世界に犬を葬ることなんだと思った。昔の人たちは、大切な人がなくなった時に遺体を土に埋めるというのは、宇宙の世界に死者を置くという認識があったのだろうか? そんなことを考えながら、わたしは黙々と土を掘っていた。そして気がつけば、3時間も穴掘りに費やしていた。

そしてお昼前に、犬を埋めるための穴が完成した。そして、わたしは今さらながらバイオダイナミック農業の農事歴を開いてみた。午後5時以降が、果実を植えるに良い時間帯だったので、夕方になるまで犬を葬るのを待った。墓標としてリンゴの木を植えるからだ。どうせリンゴの木を植えるのなら、よく実って欲しいから農事歴に従うことにした。

時間があったので、犬が大好きだったスヌーピーのぬいぐるみを探した。一緒に葬ってやりたかったから。犬はスヌーピー以外のぬいぐるみには興味を示さなかったので、スヌーピーだけが世界で唯一の友だちのようだった。寝る時には、犬はスヌーピーをくわえて寝床に連れていっていた。その姿はとても可愛らしかった。スヌーピーは耳も鼻も手も噛み取られていて原型を失っていたけれど、それでも犬のお気に入りだった。わたしたちは、そのスヌーピーを犬の友だちという意味で「クリトモ」と呼んだ。そんな大切な友だちなのに、家中どんなに探しても見つからなかった。息子たちは、犬がもう天国に連れていったんじゃないかなって昼食の時に話していた。

そして、ようやく午後5時が来た。その頃には、空は雲で覆われていた。

死んだ犬を抱えて、わたしは穴の中に入った。穴の底に死んだ犬をそっと置いて、黄色い花で飾った。最後に犬の手を握った。この手のぷにぷにした感触を忘れたくないと思いつつ、まず、わたしが土をそっとかぶせた。つづいて長男、次男、三男、そして居候のお兄ちゃんが土をかぶせた。犬の顔が土に埋れて見えなくなった時、突然雷鳴が響き渡った。すると、雨を予感させるひんやりとした強い風が吹いてきた。

思った以上に広くて深い穴を掘ったので、なかなか土で埋められなかった。でも、穴を埋めるのに時間がかかったおかげで、わたしの心にぽっかりと空いた穴をも、ゆっくりと埋めているような感じがした。もうお別れなんだって、ようやく犬の死を受けとめられた気がした。

雷鳴の中、穴が土で埋めつくされて地表が平らになった。中央に小さな穴を掘って、そこにリンゴの木を植えた。そして、木の周囲には15年間生きた犬のために、15本のお線香を炊いた。すると、さっきよりも大きな雷鳴がして、空気がビリビリと震えた。天が大きくうなっているようでもあった。そして、黒い雲が物凄いスピードで流れてきて、バケツをひっくり返したような大粒の雨が降り始めた。そして子どもが空を見あげて言った、「神様が雨に乗って迎えにきたんだね。」

雨に濡らせたくなかったので、子どもたちを先に家に戻らせた。土葬をしている最中にドラマチックな雷鳴や雨が始まったことで、わたしは情緒的になってしまったのかもしれない。わたしは一人残り、強い風が吹く激しい雨の中で、死んだ犬の顔に土がかけられた瞬間を何度も思い出していた。どのくらい時間が経ったのだろう、気がつけば小雨になっていた。リンゴの木の葉っぱから雨粒がぽとりと落ちる姿は、わたしに何かささやいているようだった。

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