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あえて馬で耕す〜農と馬で人々をつなぐ〜

5年前から田んぼを馬で耕している。私は長野の小さな集落に暮らしているが、この地域は木曽に近く、働く木曽馬と共に生活する人たちが多かったと聞いている。古い家には馬が飼われていた形跡がたくさん残されているから、一家に一頭ぐらいはいたんじゃないかなと思う。馬は特別に扱われいてた。家のなかで南側の日当たりの良い空間は必ず馬が住んでいて、人間は北側の小さなスペースに身を寄せて暮らしていたそうだ。

現在、日本は世界でも最先端の技術を誇る農業大国。限られた面積でより多くの農作物を収穫できるのが素晴らしい農業の基準となり、害虫による被害を防ぐ農薬が開発された。また、化学肥料で作物を大きく育てたり、除草剤で雑草が生えないような技術も発達してきた。人手のいる農作業は機械化され、単独で作業ができるようになった。

その陰で、人と人との繋がりが薄くなっていったように思う。親戚一同集まって行った田植えや稲刈りは田舎でも消えつつある。農作業に必要な農機具の貸し借りでの人の交流も薄れつつある。農は本来、人と人とをつなぐもの。でも、そんな農の姿はあまりみられなくなってしまった。

5年前の初めての馬耕は5月のことだった。晴れの美しい空の下、シャカーン、シャカーンと音が響く。馬の背後にはスキをもった男が走る。田んぼはスキで耕され、冬眠していた黒い土が顔を出し、初夏の息吹を思いっきり吸い込み、目をさます。

トラクターなら30分で終わる仕事だったが、馬耕初挑戦ということもあり約3時間もかかった。機械のようにまっすぐな直線ではなく、幼児がクレヨンで描いたように柔らかく曲がった耕作の後が残る。そして楽しいひと時の余韻と、心地よい疲労感も、そっと私を包み込む。

田んぼの周囲には多くの人々が集まっていた。馬耕のまわりで集う子どもたちの笑顔。昔を懐かしんで喜ぶおじいちゃんたちの目元のしわ。たまたま通りがかった人も車を停めて眺めている。馬と農が重なって、蘇る昭和初期、のどかな風景。

これからも馬に耕してもらいたい。効率よく稼ぐために有機農業をしているんじゃない。人と人を、人と自然とを、過去と未来とを結ぶ農業。その理想を、今までどおり追い求めていけばいいんだよって、馬が背中を押してくれた、限界集落の谷間に吹く風とともに。

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