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失ってからよくわかる、その存在の大きさ
何をするにも「あとで後悔したくないから」って思いながら生きているタイプなんだけれど、大好きな犬のクリが死んでしまって、後悔ばっかりしている。
家族が家にいる時間は、ご飯を作ったり洗濯したり、子どもの世話をして何とか自分自身を保ってはいるけれど、みんな仕事や学校や保育園に行って、静まりかえった家でクリの遺体と二人きりになると、泣けて泣けて仕方がない。
「あとで後悔したくないから」って思いながら15年間クリを可愛がってきた。クリを散歩に連れて行ったり、車であちこち連れて行ったりした。できる限り、旅行にも一緒に連れて行った。ドライブが好きな犬だったから、あちこち連れて行ったけれど、最近は異常に暑かったり寒かったりで、車でクリを連れて行くことがほとんどなかった。それに、ここ数年は、昼間でも眠っている時間が長かったので、そっと寝かせておいた。でも、それはそれで一人ぼっちにさせていたので、寂しくさせたのかもしれない。それに、子どもたちが生まれてから、子育てが大変だから、独身の頃のようにあまりかまってやれなかったから、そのことも申し訳なく思う。
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今朝も子どもを保育園に連れて行って、家に帰ってみると、いつも縁側で私の顔を見つけて喜んでいるクリの姿がない。その時、クリが死んでしまった事実が、私に鋭く突き刺さった。
私の記憶にあるクリは、私を待ってくれている犬の姿。
待ってくれる犬がいるだけで、私はどれだけ寂しい思いをしなくてすんだのか、今になってよくわかる。
失ってからよくわかる、その存在の大きさ。
じゃあ、クリにとって私はどんな存在だったのかな? 私に飼われて幸せだったのかな?
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クリが縁側で寝ていても、野良猫がそっと横を通って、家の中に入り込んできたぐらい、とても大人しい犬だった。手のかからないできた犬だった。番犬には全然向かない犬だったけれど、とても癒し系の可愛い犬だった。
どんなに辛いことがあっても、いつもクリが慰めてくれた。そんな、あたたかい犬だったのに、今では体が冷たく硬くなっている。こんなに冷たくなれるんだって感心してしまうぐらい、冷たくて硬い。
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腹水に気がついたのは6月の中旬。獣医さんには、手術をしたからといっても必ずしも回復するとは限らない年齢だとハッキリ言われた。そして悩んだ末に、家で看取りますと伝えた。今までいろんな手術を繰り返してきた犬だから、最期ぐらい手術は避けたかった。それから、たった1ヶ月半で別れの日がくるとは思ってもいなかった。
最期の最期は、とても苦しんだ。かなり苦しんだ上で、旅立っていった。多分、ひどい状況は1分か2分ほどの短い間だったんだろうけれど、私はあんなに苦しむとは予想していなかった。その時、獣医さんの苦しんだら安楽死もあるからという言葉を思い出していた。ひょっとしてら安楽死させてあげた方が良かったのかもしれないって後悔が押し寄せる。でも、たとえ安楽死させてあげたとしても、その安楽死を選択した事実を、私はずっと後悔していくんだろうとも思う。
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我が家ではペットが死んでしまったら、3日間遺体を家に置いて、そして敷地内に埋めるのが慣しだ。山の広い一角が我が家の敷地なので、どこに埋めようかと悩む。それも、私が後悔しないようにって思いながら。だって、これが、クリのためにできる最後のことだから。クリには何もしてやれなかった罪滅ぼしでもある。
縁側から外を眺めるのが大好きだったクリのために、私のお気にいりの眺めの良い場所に埋めてあげようと思う。クリの大好きなリンゴの木を、墓標として植えてあげる。天国で、大好きなリンゴをお腹いっぱい食べられるように。
北海道でとうもろこし畑でバイトしたクリ。
車の下でも待ってた。
農場のトマトを食べて、よく怒られてた。
新婚旅行にもついてきた。
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