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数歩先へ行くために(2)

レンヌ、フランスのホテルにて

2週間分の考えを一度、書き出して整理をしたいと思うので分けて書いている。
「VESSEL」のツアーもブリュッセル、ロンドンと約1ヶ月間が過ぎ、折り返し地点となっている。3日間のオフを利用して、ホテルでいろんな気持ちの整理を行っている。

ブリュッセルにて、自分に問いかけていたのは「日本にいるのか、それとも海外に戻るのか」ということだった。パリから日本に帰国して3年が経つ、「月灯りの移動劇場」を2016年に名古屋で立ち上げ、3年間試行錯誤を行ってきた。日本において、ダンサーや振付家はもちろんのこと、カンパニーを維持すること、ましてやヨーロッパのようにギャランティーをしっかりダンサーやスタッフに払って行くことが助成金や文化の土壌も含めてかなり厳しいことを打破したいという想いもあり、自身の気持ちで受け入れる範囲で「自分が作りたいもの」ではなく、「今の時代に対して問題提起をするもの」尚且つ、「時代に受け入れられるもの」を作らなければ日本という国では生きていけないと思っていた。だからこそ、フランスのヌーボーシルクの世界観、そして、フランス滞在時に大きな影響を受けたミヒャエル・エンデ著「はてしない物語」とArvo Pert作曲「鏡の中の鏡」を作品の根幹とし3つの作品を作ってきた。もちろん、今振り返ればこの3年間は一筋縄で行ったわけでなない。理想とするヨーロッパの形態に近い状態でカンパニーを運営するために、運よく企業のスポンサードによって資金面や倉庫などのスペースを支援してもらい、1作品目の初演後すぐに3年間にわたり、名古屋文化振興事業団中川文化小劇場から共同制作を継続をしてもらうことができた。これらの多くの支援を受けることができたのも、創作拠点とする「中川運河近郊のものづくりと舞台芸術による新しい可能性そして、シビックプライドの創出」という目的を実施してきたからだと思う。
 しかし、常に自分の心にあった問い「お前が作りたいものは本当にこの作品なのか?」ともう一人に自分が問いかけ続けていた。芸術とは人の目に触れて育つものである。月灯りの移動劇場の作品はそういう意味では多くの観客に愛されるものに少しずつなってきており、それに大きな喜びも感じ、もっといい作品を作りたいという気持ちも常に湧いてくる。その反面、現役として残された時間、振付家として世に出なければいけない時期に「果たして今、自分が作るべき作品はこれなのだろうか」という疑問符を隠し切ることが出来なくなってきたのも事実である。

そしてもう一つ、大きなこととして黄金4422BLDG.の存在である。
2017年8月からオープンしたコンテンポラリーダンスを中心としたダンスプラットフォームの機能を有した地上5階建のビルである。元縫製工場であり、夜逃げ同然の状態から、ゴミの撤去、リノベーションなどほとんどDIYによって1年間かけて作ってきた。今ではコンテンポラリーダンスの拠点として、名古屋はもちろんのこと、国内での認知度も少しずつ増えてきてはいるが、立ち上げ当初はどこに向かうべきなのか、この途方もない空間をどう活用して行くべきなのかと日々悩んでいた。まだ、名古屋に帰国して間もない頃でもあり、仲間と呼べるような存在も少なく工事はおろか、維持するための経費を捻出することもままならない中で見切り発車のようにスタートした。「ただ一歩前へ」この呪文のような想いの中、多くの仲間が少しずつ集まり、今では維持することの大変さは何一つ変わってはいないが向かうべきところは見えてきている。

自分が名古屋に帰国して、3年で手がけた月灯りの移動劇場と黄金4422BLDG.
常に自分が思い描く「これはできないかもしれないけど、やりたい」という漠然とした欲求が自分を走らせるエネルギーとなっている。
もちろん、それには多くのサポートが自分の周りで支え続けてくれていることは言うまでもない。そんなスタート地点にやっと立つことができたこの時期になぜ、「日本にいるのか、それとも海外に戻るのか」という問いが自分の中に湧いてきて、それを抑えることができないのか。それは一つに「アーティストとしての存在意義の証明」という自尊心、そして、「この街に自分は本当に求められているのだろうか」という懐疑心の二つがあるからだろう。

しかしその問いは一つだった。
この場所でただ前へ進むのみ。
それがやるべきことでもあり、やりたいことでもある。

冷静にブリュッセルの滞在中、考えていた。
今、自分が与えられている仲間、場所、サポートは当たり前のことではない。
小さな自分自身の積み重ねと多くの人の期待と願いが詰まっている。それを重荷と思うのか、喜びと思うのかは本人次第だろう。しかし、今の環境を喉から手が出るほど欲したパリ時代。それが叶わず、敗北を味わって帰国した日のこと。二度と忘れることのないあの日のこと。あの時にそれほど欲した環境が今、名古屋にはある。しかし、ヨーロッパに戻ることへ心を惹かれる理由もある。なぜなら、自分に残されたダンサーとしての時間を納得いくまで追い込みたいという想いもある。現在、ツアー中の「VESSEL」など正しくそうだろう。もっと、残された時間をこういうクリエーションの中で身を置きたいと思うダンサーとしての欲求がある。

では、なぜ自分は踏みとどまれるのだろうか。
それは環境が人を変えるのではなく、人が人を変えることをこの3年間で仲間が教えてくれたからかもしれない。
家族はもちろんのこと、黄金4422BLDG.や月灯りの移動劇場のスタッフたち。そして、名古屋にいる場所を最初に与えてくれたスポンサー企業の小澤さん、黄金4422BLDG.という場所へ挑戦することへの勇気を与えてくれた冨田さん、出会った頃からもっとも信頼と尊敬をする存在として創作を共にしてくれた原さん、そして、ミューズのように自分に創作のイマジネーションを与え続けてくれる弟子。これらは自分が海外で生活した10年の期間でも出会うことのなかった貴重な人達であり、彼らと未来を見たいと思う気持ちが何よりも自分をこの場所に留めようとしてくれる。