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お笑いとサンプリング

そういえば見たことなかったなと思って、Netflixで『空飛ぶモンティ・パイソン』を見ていたら、「イタリア語をイタリア人に教える」旨のコントがあった。(始まって4分ぐらい)

これを見て、「あ、この前見た志村けんのコントと全く同じじゃん」と思った。

概要的には同じコントだが、上記は生徒が話すイタリア語が「分からない」と素っ気なく返したり、「ミラノに住んでるのに、何故”ナポリ”と言わなきゃいけないんだ?」みたいな知性を感じるギャグになっている。ちょっと考えて可笑しみを感じる笑い。後者は圧倒的に日本人発音の志村けんが英語の上手い外国人生徒に下手な英語を言わせようとするもの。音や表情のギャグになっている。「”Father”じゃないんだよ!”ファーザー”だよ!」と何故か田舎っぺ先生を演じていることも込みで、脊髄反射的に笑えるものになっている。同じコントでも、通るフィルターが変わってくるとこうも違ってくるのかと思った。『空飛ぶモンティ・パイソン』の方が古いので、志村さんはここからも勉強されたんだなぁと思った。「俺ならこう出す」とかあったんだろうなぁとか。

志村さんが亡くなられた週の『岡村隆史のオールナイトニッポン』では、「僕の7割志村さん」と岡村さんが語られている(尚、3割は加藤茶さん)。

たくさん志村けんから影響を受けた話をしていく中で印象的だったのが『めちゃ×2イケてるッ!』で当時やっていた「ノーリアクションドラマ」の話。

『8時だョ!全員集合』のタライリアクションではドリフの面々に敵わないとのことで、落ちてくるタライに一切リアクションを取らないという”逆の発想”から考案された企画だったとのこと。今これを見ると、タライが落ちるきっかけ台詞があることや、美味しいところ(顔面など)に当てさせるように顔を上に向かせる誘導などをする心理戦の面白さだったことが伺える。「ドリフの反対をしただけ」と岡村さんは言っているが、これも通るフィルターが変わることによって概要は似ているが内容はガラリと変わることになる。タライが当たる瞬間が面白いことは両者変わらないが、ドリフは”リアクション”、めちゃイケは”心理戦”の面白さだったと思う。

僕は何か素材として用いて、自分の表現に落とし込むものがずっと好きだった。所謂サンプリングというやつ。元ネタが分かったときの興奮って一個人体験としてなかなか忘れがたい。もちろん最初はヒップホップ/ラップを聴いていて、「この歌詞はここから引用されているんだ〜!」とか、「このトラックの元ネタはあれなんだ〜!」とかから、「スチャダラパーの『ついてる男』はフリとボケの構造でできている(お笑いのサンプリング)!」とか、「『水曜日のダウンタウン』はTV名シーンをサンプリング的に使っている!」とか、「東葛スポーツは目の前で行われている演劇と、映像で流れているシーンがこういうことでリンクする!」とか、「クチロロの音楽は、もう全部がそう!」とか。予期せぬところからの引用みたいな幅の広さや深さ、そしてそれがぶっ飛びつつもポップに昇華された表現をこれからも見たいし聴きたい。できれば自分がそれを歌えつつ。

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