YOSAKOIソーランの軌跡~想いを繋ぐ~prof.13 橋本司(はしもとつかさ)さん

((一社)YOSAKOIソーラン祭り組織委員会札幌南支部長、北昴会長)

プロフィール

-プロフィールをお聞きしてもよろしいでしょうか。
 はい、昭和63年、1988年の1月1日生まれです。橋本司、33歳です。出身は札幌、生まれも育ちも札幌です。でー、大学は札幌国際大学¹⁾に通っていてそこでYOSAKOIソーランをやってました。コカ・コーラ札幌国際大学²⁾さんで4年間やりましたね。
 仕事は、食に関わる仕事をしていて。すすきのを中心に飲食店をやっているABRグループという会社に勤めています。それ以外には、食育ヒーロー爆食いマン³⁾という活動をしているんですけど、北海道のこども食堂を寄付で応援できる強い子カレーというのを売ったりしています。

1)札幌国際大学:札幌市内に位置する大学。4年制の大学と2年制の短期大学の2種類がある。
2)コカ・コーラ札幌国際大学:札幌国際大学のYOSAKOIソーラン部。今年で29周年を迎える。公式Twitterアカウント
3)爆食いマン:「強い子カレー」を開発し、札幌市内の子ども食堂へ無償提供を行っている。公式Instagramアカウント

-あとYOSAKOIソーランの経歴もお聞きしたくて。大学からYOSAKOIソーランは始められたんですか?
 そうですね。大学で初めてやりました。コカ・コーラ札幌国際大学さんで、ちょっと勧誘がすごくてですね。最初バスケットボールをやろうと思ってたんですけど、「バスケ部とか入ろうかな」と思った時に過度の勧誘というかですね、でもすごい熱い勧誘だったので興味を持って。
 で、入ったんですけど。だから1年目本祭のときはもう何が何だか分かんない状態で、とりあえずがむしゃらに練習をしてステージに立つっていうのは、もうすごい感動があって。その感動が多分忘れられなくて、体に染みついてしまっていて。
 まぁ今もやっているんですけど、大学まず4年間。その後にVOGUE038⁴⁾っていうチームがあって1年半お世話になって、そのあとRe:Birth⁵⁾さんで1年、2年お世話になり、Crew鍵(るーきー)さん⁶⁾というチームで1年、でそのあとに北昴⁷⁾を立ち上げて、北昴は今年で7年目ですね。

4)VOGUE038:かつて存在していたYOSAKOIソーランチーム。2014年6月8日をもって解散した。公式ホームページ
5)Re:Birth:登別市を拠点に活動しているチーム。公式ホームページ
6)Crew鍵(るーきー):札幌市清田区を拠点に活動しているチーム。公式ホームページ
7)北昴:札幌市を拠点に2014年から活動しているチーム。公式ホームページ

-結構新しいチームさんですね、北昴。
 そうですね。新しい部類、中堅なのかわかんないですけど。

-大学1年生の時から今まで毎年出てる感じなんですか?
 1年空いたり、1年やって1年空いて1年やって、みたいなサイクルです。

言いづらかったら全然いいんですけど、チーム転々とされた理由みたいなのってありますか?
 最初 VOGUE038は友人が入っていて、で楽しいよってことで入ったんですよね。結局 VOGUE038は、社会人になって初めてのチームで、仕事の両立もそうですし「なんか新しいことしたい」「環境変えてみたい」「どんどんチャレンジしたい」って気持ちがあったので、その時にRe:Birthさんに声をかけて頂いて、Re:Birthさんに所属させて頂きました。
 その後にCrew鍵さんで踊らせて頂きました。当時Crew鍵さんには自分が大学の頃にお世話になった先輩が入っていて仲間を募集していて。また先輩と一緒に踊ってみたいなという気持ちでした。そこでの時間は楽しくて、そのうち「YOSAKOIソーランチームどうせなら作ってみたいな」と思うようになって、思い切って立ち上げたという経緯で。
 (その中でも)どんどん新しいところにチャレンジしたいっていう気持ちが強かったのはRe:Birthさん(に入っていた時でした)。何か不満とかあったわけじゃないんですよ。いろんなとこ行って色々知りたいって思いました。

やっぱり違いはありましたか?
 ありましたね。環境もそうですけど、やっぱチームのカラーも全然違いますし、まぁそれぞれでルール設けてるじゃないですか。だからもうそれぞれの国みたいな感覚。こう最初思いましたね。全然違うなというのは。何人かでなにか決めることとか、決め方とかもそうですし、一つの社会だなと思いました。

YOSAKOIソーランへのイメージ


-元々YOSAKOIソーランの印象ってどうだったんですか。
 最初全然YOSAKOIソーランに興味なくて。高校卒業して大学入るまでは。何なら町をチャリでガーって走るのが好きだったので、全然踊りもやったことないし、興味もないし体験したことも無かったから。そんな積極的にお祭りを見に行く人間ではなかったですね。

-「またお祭りやってるなー」みたいな感じですか。
 「あー夏だなー」と思って。季節を感じる節目というか、夏始まった、っていう感覚はその時もありました。でも見には行かなかったですね。

なら始めるきっかけとしてはほんとに勧誘から(笑)。
 あの過剰な勧誘。はい(笑)。

そもそも15年前くらい?のときってどういう勧誘の仕方だったんですか?
 SNSも無いんで、もう雑草魂のアナログですよ。学校の入り口、廊下、そういう関所に皆待ってるんですよこうやって。横にいて。で、まあ僕だったら通るじゃないですか。「あ、昨日も通ったよね!」みたいな。「まず話聞いてこう!」って。で、無理やり手グーって引っ張られて。

-本当に強い勧誘ですね。
 そうですね。でも強い勧誘をしてないサークルもあるので、そういう方々はなんかポスター貼ったりとかを、学校内にしてるっていう感じですね。SNS無いからほんとに。

-ビラみたいなやつですか。
 そうですね、ビラ、ポスター、あとはなんかもうYOSAKOIソーランだったから踊ってらっしゃいましたけど。

-その後は強い勧誘やる側に行ったんですか。
 いや僕あの人見知りなんで。本当は人見知りなんですよ。大学の頃は顕著だったし、今ほど熱くなかったんですよ、YOSAKOIソーランに対して。友達となんかするのが楽しい。で、その手段がYOSAKOIソーランだったって感じで。
 今はチーム立ち上げてるんですけど、昔はそれこそ学生チーム同士の企画とかにも一切行かないですし。バイトとチームのイベント、人が足りないって言ったら出る、とかそういうレベルで。本祭がすごい楽しかったっていうのはありますけど、熱中してたわけではないんですよ。今よりもね。

-1個のサークル、ぐらいの感覚ですよね。
 そうですそうです。だからそういう勧誘とかも「YOSAKOIソーランやってる橋本です。」みたいなものではないので。いち参加者って感じでした。

-結局YOSAKOIソーランは大学では卒業まで続けられていたんですか。
 そうなんですよ、なんだかんだ。仲いい友人が、チームのスタッフとかやるわけですよ。そしたらやっぱその、友達のためにできることをやりたいじゃないですか。元々スポーツは好きなので、YOSAKOIソーランはなんかちょっとスポーツ感覚ってのがあったんですよ。だからなんか団体競技みたいな感じで、サッカーと近い感じかもしれません自分の中で。

-体育会系ですよね、YOSAKOIソーランは。
 間違いなくそうですね。めちゃめちゃ体育会系だと思いますよ。

-大学で引退した後に社会人のチームに入ったのは、「本祭が楽しかった」というのが1番大きかったんですか?
 大学卒業した後にもうやらないと思ってたんですよ。やりたい気持ちが無かったんですよね。で、卒業して1年目は踊ってなかったんですけど。新卒で働くじゃないですか。4月から働き始めて6月に本祭ありますよね、で、その本祭でまあ当然僕は大学のYOSAKOIソーランのチームを応援しに行くわけですよ。「頑張れー!」って。で、そういう時に会った友人たちが、「実は踊ろうと思ってるんだよね」、「どこで?」みたいな話になってくるんですよ。で、最初は、「あ、そうなんだー」みたいなちょっと他人ごとだったんですけど、その友達たちが社会人チームで頑張ってる話を聞くと、「なんかちょっと熱そうだなー」みたいな。なのでまあ、全て友人がきっかけですね。

-極端な話、大学でずっと続けられてたのも、ご友人と一緒にいたからなんですか?
 そうですね。なんか1つのものに向かっていくことが好きなんですよ。で、それがなんか人数が多ければ多いほどおそらく好きで。仲いい友人ががむしゃらにやってたら応援したくなるし、一緒にやりたくなるっていう思いで、YOSAKOIソーランはやってました。だからそれが別にバスケでも良かったかもしれませんし。
 でもYOSAKOIソーランってちょっと独特ですよね。なんかあのー、点数入れるゲームじゃないので。そこがまたでもハマってる1個の要因かもしれません。人間ドラマが濃いので。

-YOSAKOIソーランって人の繋がりが大きいですよね。
 そうですよね、距離が一気に近くなるので。そういう部分が好きなのかもしれません。言葉に中々しきれないですよね。それ程濃いんだと思います。

-今でも人間関係が濃いままコミュニティーができてるのがすごいですね。
 そうですね。コミュニティーはすごい重要だなって思います。なんか立ち上げて尚更思いました。あんまりコミュニティーの重要性とかは考えてなかったんで、立ち上げる前は。「楽しいことしたい」みたいな。で、結局人が集まる場所が重要だっていうことで最近やっと分かり始めてきた気もするんですけど、まだまだ勉強しなきゃいけないなと思います。

-もうちょっと学生のちょっとお話をお伺いしてもいいですか。
 今あるんですかね、あのソフトボール大会とかやってます?
 昔、北人⁸⁾ソフトボール大会ってのがあって。僕はそれを本祭の次に楽しみにしてました。

8)北人:正式名称は北海道学生合同「北人」。北海道でYOSAKOIソーランを踊っている学生たちが集まって作られている枠組み。

-やりたいですねそれ。
 めちゃめちゃ楽しかったですよ。もうほんと心待ちにしてて。で、それが無くなってから社会人なった時はきつかったですね。だから草野球とかちょっと、やってましたけど。
 やっぱりあの、チーム対抗戦で大規模なのが無いので、踊り以外の球技って言ったらこう燃えるじゃないですか。ソフトボール大会、秋だったかなぁ。うん秋ですね、それを目指して皆ソフトボール練習とかしたのもいい思い出ですけど。来年とか是非やったらいいんじゃないですか。めちゃめちゃ面白いですよ。

-それこそまた交友関係広がりそうですね。
 そうなんですよ。それで、戦ったチームと言葉にできない、なんかあるじゃないですか。

-はい(笑)。
 握手みたいな。そこから交流が広がるのはありました。だから踊り以外も結構重要でしたよ。それこそ飲みにもたくさん行きましたし。今多分あんま無いんすよね。300円居酒屋ってあったんですけど。飲み放題300円だっけな、ちょっと記憶は曖昧ですけど、まあそういうところに毎日行って皆でどんちゃんやってましたね。
 今こういう状況ですけど、食事をしながら話すとかいう文化はなくならないと思うので。次の日なんか毎日朝ゲロゲロ具合悪い状態で学校行って寝てみたいな感じでした(笑)。「もう何しに大学行ったんだ」って感じではありましたけど。

-大学での練習も結構頻度多い感じだったんですか?
 毎日でしたね。4月に入学して入部するじゃないですか、そっからもう毎日ですよ練習。ほぼほぼもう。週3回みたいな話だったんですよ最初。まあ最初の1、2週はそうでしたね(笑)。その後はもう毎日練習で。「ちょっと頭おかしくなるんじゃないかな」って思ったくらいでした。
 踊ったこともないし、なんかよく普通に映像とか見て、みんな踊りながらターンとかしてるじゃないですか。ターンなんか全然できないもんで。まあそんな中、「6月の本祭目指すから、時間無いんで毎日練習するぞ」みたいな。「ちょっと狂ってるな」と思いましたもんね、最初。100人同じ動きをやるから一人でも遅れたらあれじゃないですか。だからもう、結構追い込まれましたね、練習。まあその分感動するんですけどね、頑張るから。

-今ってどうなんですかね。
 でも学生チームってそうだと思いますよ、6月の本祭出るなら。不可能ですもん、それくらいやんないと。週3、4まずやっていって、5月ぐらいからほぼ毎日なんですから。出陣式⁹⁾もあるし。

9)出陣式:正式名称は学生合同出陣式。毎年5月ごろに学生支部のチームを対象に行われている。

-ほんとに詰め込んで詰め込んで…
 詰め込みまくりですよもう。練習着も何枚ある?って感じでしたもん。


学生チームの時の思い出


 ソフトボール大会は、まぁ(思い出の)1つですね。で、本祭。あとはもう日々が好きだったんで、毎日が。で、各地方祭りとかはもちろん出ていて楽しかったんですけど、なんか何気なく過ごす時間の方がよっぽど楽しかったので。YOSAKOIソーランの仲間とですよ。だからこれと言って無いんですよね、面白くないと思うんですけど。本祭、ソフトボール大会、地方お祭り・イベントに出たことは楽しかった。でも何よりやっぱり過ごす時間が楽しかったって感じなので。

-日々が楽しいって素敵ですよね。YOSAKOIソーラン関係の方ってなんか、純粋に面白い方多いというか。
 そうなんですか?

-濃いっていうか(笑)。
 あー、キャラがね(笑)。そうですね。 (私たちは)YOSAKOIソーランをしたいじゃないですか。YOSAKOIソーランをするってことは練習するじゃないですか。練習した後にご飯を皆で食べに行く。ご飯を食べに行く・飲みに行くどっちかですよね。で、そのためにバイトをする。
 だからもう、このためになってくるんですよ。YOSAKOIソーランのためにっていう。そうなってくると、YOSAKOIソーランのために何するか、バイト(もそうだし)、YOSAKOIソーランするには楽しいコミュニケーション(が必要)だから飯食う、飲みに行く、風呂行くみたいな感じで。そうなってくるともうこの、本祭よりもその日々の方が僕は楽しかったので。

-練習が毎日あって、YOSAKOIソーラン以外の学校の人って言うんですか。その、関わりって…
 あぁ!そう、あんま友達いないんですよだから。

-じゃあほんとにYOSAKOIソーラン関係の…
 が、メインになります。一応ゼミがあるので、そこで友人もできますし、ゼミ飲み会とかもありますけど。まあ、ちょっとYOSAKOIソーランやってる人ってあのー、頭おかしいじゃないですか。だから、温度感ではないので。今でも繋がってますけど、卒業して、「こういうことチャレンジしようよ」ってYOSAKOIソーラン以外のことでなんかあったとするならば、きっと、ゼミの友人じゃないです。
 YOSAKOIソーランの経験した仲間達の方がよっぽどイメージ湧くし、パワーあると思います。社会人になってYOSAKOIソーランやってる人、学生実行委員会もそうですけど、チームの運営スタッフやってる人ってやっぱ違いますもんね。社会でも、なんか生きてるパワーがあると感じます。

-パワーはすごいなって思いますよね、僕も感じます。
 結局、熱意情熱じゃないですか。で、仕事に対しても何かちゃんとモチベーション持ってやってる人は、そういう人は僕の周りは多いです。なんか不思議ですよね、YOSAKOIソーランって。

-YOSAKOI入るきっかけは個人的に勧誘が結構多いなって思ってて…
 ですよね。小さい頃からやってた子はいたんですよ。友人とか。それでずっと好きみたいな。稀にいますよ、お祭り見てかっこいいなと思って入ったんですよって。でもやっぱり、勧誘とか友人繋がりが多いような気がしますけどね。

-YOSAKOIが好きで入るって言うより、友人とかで入って徐々にYOSAKOIが好きになるっていうイメージが僕の中にあります。
 染まっていっちゃうやつですよね。確かに。

YOSAKOIソーランの良さに気付いたタイミング

 僕が過ごしてきたYOSAKOIチームって賞狙えるところが多かったんですよ。「勝ちたい」っていう。それに向かって勝ちたいって言った時にYOSAKOIソーランは過ごす時間が長いので、特に学生の頃は。その人の根っこが見えてくるんですよね。短期間で詰め込むわけですから、ピリピリしてくるじゃないですか。そいうときに人間ドラマってさっき言いましたけど、人の魅力がめちゃくちゃ見えるんですよ。「凄いな」って…。
 こういう追い込まれてる時に「この人のパワーすげぇ」とか、なかなか普段の生活してたら感じる機会はあまり多くないと思うんですよ。プロジェクトをやるとか普通の人生だったらあんまりないと思うんですよね。(でもYOSAKOIは)毎日がプロジェクトなので。「今日の練習、凄いドラマがあったよね」とか。これがサッカーだとテクニックが凄いねとか、キャプテンがまとめていくとかあると思うんですけど。
 YOSAKOIソーランはみんながみんな追い込まれているので、時間とプレッシャーに。ありのままの自分でぶつかっていくんですよ。人間関係がそこに出来ていく姿を見た時に、これは面白いなと思いましたね。ある程度裸の状態の心が見えるというか、伝わります?濃いんですよ。濃厚なんです。
難しいですね。言葉にするって。今まで当たり前に過ごしてきたんで、それを伝えるっていうのが今後僕らの役目なんでしょうね。

時間が生み出す人間関係に関して

ーYOSAKOIソーラン祭りを運営する側の人たちにも同じことがいえると思いますか?
 お祭り生み出すのも、全然時間ないですよおそらく。4月に入って1年目の時に経験される。(本祭は)2か月目じゃないですか。YOSAKOIソーランっていえば、YOSAKOIソーラン祭りってなってきてるじゃないですか。あれだけの何万人の規模の運営してるってプレッシャーはすごいですよね。そうなってくると当然寝泊りもね、事務所でするとか笑い話も出てくるでしょうけど。
 そうやって、みんな何かのために必死にがむしゃらにやるわけじゃないですか。それ学生の時になかなか経験しにくいレベルのことだと思うんですよ。そういう時間を過ごしたときに、そこで出来た人間関係ってやっぱり強いと思うので。

-普通の大学生にはできない人間関係出来上がりますよね。大人の人たちともそうですし…
 それでいくと大人たちとの交流、僕はなかったんですよ。ただ単に踊り子だったので、運営スタッフでもないので、ただ単に踊るだけで。仲間同士肩組んで「いぇーい」って言ってるだけだったんですよ。その魅力を感じる機会はなかった。

-代表とかやってたわけではないんですか。
 全く違います。末端の1踊り子で、「右向け!」って言われたら「はい!」って言って右向く人です。そういう責任感も嫌だったので。責任持つことから逃げてたというよりも、責任を持つ自分にありたいと思ってなかった。なので、今北昴をやってるのが不思議です。
 だからYOSAKOIソーランやってなかったら今の自分の考え方はないと思います。毎日ただただ仕事をして「疲れた」って言って飲みに行って、「いやぁ仕事だりぃ」っていう生活をしてたかもしれません。YOSAKOIソーランをやって夢中になっている人たちを見て、自分も夢中になることは素晴らしいなって感じ始めた時から、何かに対して「なぜ?」とか「もっと良くしたい」とか、向上心を持つことを覚え今に至るんですけど。
 熱量が異常な人たちと出会ってくと自分も引き上げられるんですよね。そういう時間とそういう人が好きですね。それが一番のYOSAKOソーランの魅力だと思います。それは今も変わらないですね。頭おかしい人たちの集まりなんで。過剰な熱が凄いんですよ。なんかちょっと比喩的な話ばっかりですね。申し訳ない。

-言語化するのは難しいですよね。
 本当難しい。準備してくればよかったですね。ごめんなさい。学生実行委員会の先輩方は巻き込み力とか人を巻き込む人はいると思うんですけど、先輩方をみてどう感じるんですか、どういうことを学ばれるんですか?
 僕がYOSAKOIソーランやったときに感じるのは「この人は人を巻き込む力が凄いや」とか「この人の情熱凄いな」とか感じることがあって、それがモチベーションで続けていったんですよね。今なかなか状況的に簡単じゃないじゃないですか。でもそういう中で頑張り続けてくれているわけで、お祭りのために。そういうときのモチベーションって先輩方とかいろいろあると思うんですよ。僕はその1つが先輩の背中だったので、そういう人っているのかなって思って。

-個人的にこんな情勢だけど、この団体楽しいなっていうのがありますね。
 そうなんですか。それは興味津々なんですけど、どういうところが?

普通になんかこう活動してるのも楽しいし、話してるだけでも楽しいし。今年出来なかったのが残念なので、来年出来たらなって。楽しいから、やめたいともあまり思わないし。今後大変になってくんだろうなと思うけど、言っちゃえば大学生のサークルみたいなものじゃないですか実行委員会も。運営ももちろんだけど、楽しむのも大事なのかなって。本祭運営してないので、今のところ楽しいが勝っちゃってますね
いいことですよね。市川さんは?

-僕も近いですね。1個のサークルとして純粋に楽しんでる感じはあります。例えばこういう場でお話しできる。僕はもともとお話好きなので。こういう場でいろんな方と、今回でいう橋本さんとか…
 いいなぁ、うらやましい!僕最初に話したんですけど、人見知りなんですよもともと。北昴の立ち上げの時も、もともと飲み会で。「なんか熱いことしたいな」のレベルの話から「やるぞー!」ってなって今に落ち着いてるみたいな。
 なのでそれがなかったら、代表やってなかったら、人と話すことチャレンジしてなかったですし。もともと好きじゃないので、人とかかわることがあまり。でもそれがYOSAKOIの世界に入ったら強制的に変えられていって今があるっていう感じなんですけど。だからお話好きっていいですよね。僕は純粋に羨ましいです。

-僕の性格的にもそういうところはあるので。このような場も設けさせていただいたりとかできるので。いろんな方がいらっしゃるので、お話してて飽きないし。
 すごいですね、学生実行委員会さんってお祭りの運営をされてるわけじゃないですか。だから、北海道の初夏のスタートをどうにでも出来ちゃうわけですよね。イベントとして。今年のYOSAKOIソーラン祭りでこんなプロジェクトをやるってなった時に、あの年の夏と言えばYOSAKOIだよねぐらいな、今までと違ったことが出来るわけじゃないですか。街を動かせるってことですよね。
 でも、今お話聞いて、コロナ禍で今年も本祭やりたかったけど出来なかった。でもこの場所が楽しいと思ってるからいるって伺ったんですけど、うちのチームの話をするとYOSAKOIソーランチームって結構、踊りありきが多いんですよ。うちも当然そうでしたし、今もそうかもしれないんですけど。
 本祭がなくなった時に、「YOSKAOIソーラン踊れないならもうええわ」ってなる人ももちろんいると思うんですけど、本祭は中止になったけど、なんとなくこの場所が楽しいし、なんとなくワクワクするし、好きだからいるんだよね、来年やれればいんだよねって思える場所にしたいなって去年からずっと思ってて、コロナで本祭がなくなった時から。二人の話を聞いて、凄い素敵だなって思いますし、自分のチームもそうしたいと思います。まだ、なりきれてないので。
 凄いことじゃないですか。お祭りがない、お互い本祭がないっていう時にこの場所に居続ける。やめる理由がない、楽しいからってすごいと思うんですよね。そのために、1年のその一回のためにみんな突き進むのに。その一回があったときに、こうしたらいいとか、来年こうしようっていう夢が生まれてまた1年を迎えるわけですけど、自分たちの中で楽しさとかそういった整理をつけながら場所に居続けるっていうのは勇気がいることだと思うんですよね。続けるって大変だし。投げ出すのは簡単だけど。

-大学の時もスタートと最後で人数減ったりしました?同級生とか。
 全然違いましたよ。あ、でも僕の大学は結構特殊で、4年制大学と短大があるんですよ。女性が多いんですよね。なので、私が入った年は2006年なんですけど、1年は6、70人いるんじゃないですか?そのうち8割が女子大生なんですよ。保育学科あったんで。

-当時のパンフレット見させていただいたんですけど、女子多!って思いました。
 そうなんですよ、それも最初入った時「失敗したな」と思って。男子の世界で生きてきたので、怖いじゃないですか逆に。男子の方が…。僕あんまり女性が多い環境に慣れてなかったので、勧誘の時から、過度の勧誘って言い方をするのは、女性がなんか「あ~来て来て!見に行こうよ」みたいな。僕からしたら異常な世界で「なになになに?」みたいな。だからずっと「怖いな、こいつら」と思ってたんですよ。入った時も女性が多いので。
 最終的に話が戻っちゃうと、1年の時は6,70人いましたけど、卒業する時、同期は5人です。2年間で8割ぐらいが短大やめていきますよね。で、続けていく人は減ってくわけですよ。本当にYOSAKOIソーラン好きの人しか残らない、ってなった時に最後は5人ですよ。

-ここで話す内容とはちょっと違いますけど、個人的に思うのが学生はYOSAKOI途中で抜けちゃう子が多いなって思います。以前、学生支部の副支部長(2022年現在は支部長)の方とお話させて頂いたんですけど、支部長の1個下の代は1人とか。最初は何人かいけど、多分ハードだから…。
 熱しやすく冷めやすいんですよね。あれって短期集中でいくので、嫌でも抜けれなくなるんですよ区切りまで。それ終わってイベントがちょこちょこあっていくと、ちょっと義務感が抜けるんですよ学生の頃って。楽しむ手段がいっぱいあるはずなんですよ。社会人もありますけど、アルバイトも山ほどできるし、別にYOSAKOIソーラン以外もスポーツもやりたいならやれるだろうし、そうなった時にそっち行きますもん。だから難しいと思いますね。
 本当どんどんやめていきましたね。ネガティブなことじゃなくて、事実として。でもその分新しい人も入りますし人の入れ替わりは凄かったですね。

支部長になった経緯

 今は札幌南支部¹⁰⁾長をやってます。もともと、2015年に北昴が立ち上がって本祭出場したんです。「支部もなんとなく入った方がいいんだろうな」っていう感覚のまま、お世話になったルーキーさんというチームが南支部だったので、南支部に入りたいと思って。
 その時にいらっしゃった支部長が平岸天神¹¹⁾の穴沢さん¹²⁾だったんです。「何年か経って北昴も人数規模多かったし、若いのに任せてもいいんじゃないか」っていうことで穴沢さんから。僕も「とりあえずやってみます」って感覚で答えた。

10)札幌南支部:札幌市内には支部が4つあり、そのうちの1つ。
11)平岸天神:札幌市豊平区平岸を拠点に活動しているチーム。過去大賞10回、準大賞10回の最多受賞チーム。公式ホームページ
12)穴沢さん:平岸天神チームリーダー。

-そこも1つの挑戦ですよね。チーム立ち上げた後の支部長になることは。
 そうですね。なんか、あんま深く考えなかったです。穴沢さんは凄い方なので。僕の中ではずっとカリスマですし、僕はこういうのやってみない?って言われたら基本断らないので、自信はないけど、まぁ何とかなるだろと思ってやってみました。怒られるかもしれませんけど。何とかならないこともあるんですけど、その時は次に生かせばいいと思いますし、そんな感じです。

-僕は逆に考えすぎちゃうタイプです。
 いいと思います。そういうのを持ち合わせた人が個人的には一番強いと思うので、今いい経験されてると思います。色々考えちゃうけど、でもそういう人の話を聞くわけじゃないですか。僕いろんな考えのディスカッションをしたことないので凄い良い経験されてうらやましいと思います。いろんな人の話聞いて、いいところを見つけるのはいいと思うので、考えちゃう一面もありつつも、重要なんだなって認識されてるのは強いと思う。

-確かに、YOSAKOIソーランに長く携わってる方ってチャレンジ精神みたいなこと言ってる方が多いから、そういう方から刺激もらえて楽しいっていうのもあるかもしれないですね。
 逆にちょっと気になることがあって。気になるというか今思ったんですけど、学生実行委員のみなさんからしたら社会人チームってどういうイメージなんですか?学生チームさんとお話される機会って社会人チームより多いと思うんですけど、どういう目で見てるのか。
 例えば、社会人の集まりでちょっと怖い団体とか、堅そうとか、なんで社会人になってやってるんだろうとか、いろいろ感じることってあると思うんですけど、なんか思ったことあるのかなって。

-ほんとに好きなんだなとは思いますね。YOSAKOIが本職ではないじゃないですか。だけど、その本職じゃないのに練習して、大学の時は部活としてやってただろうけど、大人になってやってるってほんとに熱いんだな、って。
 そうですよね確かに。ほんとに好きじゃないとできないですね。社会人って、社会に出て仕事をしていくと自分の居場所ってなかなかないんですよ、会社以外で。会社と家庭、第3の場所がないというか。
 第3の場所って僕重要だと思っていて、家庭は家庭ですよね、職場は自分がチャレンジする場所、当たり前の家庭、社会の重圧と戦う。でも、心の安堵できる居場所って家庭だけじゃ足りないと思ってるんですよ。家庭でうまくいかない日がある。そういう時に、何処で誰がいる場所が自分の大事な場所か、生きていくうえで重要な気がして、僕が踊りを続けている大きな理由であります。
 みんな楽しそうにするんですよね。ちょっとYOSAKOIソーランにハマりすぎちゃってる人はYOSAKOIのために仕事してるわけですよ、夜の活動が楽しみで今日も仕事頑張りましたみたいな。嬉しいし、責任感生まれますよね。「この場所をもっと良くしよう」とか。
 運営されてる方、運営陣にはそういう人が多いんじゃないでしょうか。責任感、使命感、ひとつの会社みたいな感覚です。正直どうやったら満足してくれるのか、いい思い出を作ってくれるきっかけがあるのか、会費頂いて活動するので、より考えるようになりましたね。毎年それは濃くなるので、終わりはないのかと思うときもあります。

北昴を立ち上げた経緯

 きっかけは飲み会です。コカ・コーラ札幌国際大学の時の先輩、同期の4人で飲み会があったんですけどそこで「今年のYOSAKOIソーラン祭り見た?」って話を9月くらいかな、してたんですよ。「毎年ファイナル行くチームって変わんないよね」「歴史変えたいよね」みたいな。先輩もいましたし同期もいたんで。「もう作っちゃう?」「作って、翌年にファイナル行っちゃう?」「やっちゃう?」みたいな。
 で、なんとなくずっとチャレンジ精神は持ってるんですけど、勢いのきっかけがないわけですよ。「やるべ!」みたいな乾杯をして、次の日に「や、やるって言ったけどほんとにやるんですか?」みたいな(笑)。

-お酒の席あるあるですね。
 あるあるだよね(笑)。「みんなでやるって決めたしな」っていうドラマから始まったんですけど「で、曲どうする?」「衣装どうする?」「練習場所の取り方なんてわからない!」から始まって…。

-チーム名はそこで決まったんですか?
 チーム名は後付けです。まず4人じゃ成り立たないので、運営の仲間を集めて。例えば僕がYOSAKOIソーランの中で出会った人とか、先輩、集まって10人くらいかな、運営陣が集まったんですよ。そこで「曲を作るのが~」とか運営会社とつながりのある人とか、枝分かれをして派生していくんですけど、衣装だったら「僕コカ・コーラ札幌国際大学、スージーパーカーさんに作ってもらった記憶あります。連絡してみる?」から入るわけですよね。必要なものとか必要なこととかを考えるばっかりで、このチームの名前とか全然考えてない。
 で、「チームの名前どうしようか」ってなったときに、「まず北海道は付けたいよね」って話になったんですよ。北海道のチームってイメージはつけたいよねって。そこで、誰だったっけな…「昴って言葉いいと思いませんか」って。昴って星になるって意味があるんだけど「それいいね」ってなって、北の昴、北昴でいこうかって。北海道の地で様々な志の人たちが一つになる。星になる、昴になる。北の昴だと別の意味になっちゃうから、北昴どう?って言ってロゴを書いてみた時、かっこいいねって決まったんですよ。だから、これも勢いですよね。思いつきに思い付きのアイディアの重なりです。
 最初10人で、「人集めましょう」ってなったときに繋がりもあんまないんですよ。学生チーム出身者が多いから人集め楽だったんでしょって言われることが多かったんですけど、全然逆で。それがめちゃめちゃ大変だったんですよ。なぜかって言うと、学生チーム経験者って逆に僕らの時代の時、完全燃焼しちゃってるんで「今更YOSAKOIソーランやる必要がないよね」って。
 なので、運営立ち上げの時から、学生チームのつながりとかに連絡しますけど、断られることが凄い多かった。逆に初心者の人が集まることが多かった。結果的には65人集まったのかな、1年で。6:4くらいかな。学生チームの出身者が6割で、初心者が4割。
 で65人で、本祭出て、新人賞頂いて、ファイナルを目指していたのでめちゃめちゃ悔しかったんですよ。「なんで行けねぇんだ」「歴史変えれなかった畜生」みたいな。でも嬉しいんですよ。夜の西8で新人賞もらえたし演舞させてもらえたし、なんなら、ステージで賞まで頂いて、たいへん名誉だったんですけど、歴史を変えるって思いが強いので悔しいと。
 その次の日くらいから来年どうするって話で、「まず人数は120人ぐらい集めて、よりパワーアップした北昴で来年ファイナルにいこう!」って言って。2年目120人ちょいかな、でファイナルいったんですよ。その時は大賞目指してたんで、途中からファイナルに行くっていうよりも2年目から、「大賞をとるぞ」っていうのになっていたんで、悔しいと。「なんで大賞とれないんだ」と。繰り返しですよね。やってます。
 0から1を作るの大変でしたけど、1を10にするのも大変だなと感じますし、振り返ればまぁ、話しきれないですけどね。そんな感じです。

北昴の”今”


―ちなみに今はどのくらい人数なんですか?
 136(人)。

―すごい多いですね。
 いや有難くそうですね。去年はでも165いますから。うちは1年目65、2年目120ちょい、で3年目140ちょいかな。で、4・5・6・7(年目)は150人を超えてるんですよ。で7年目で久々に150人切ったっていう感じですね。

―メンバーってもう常時募集って感じですか。
 うちはまぁ今は常時ですけど、まあ分けてます。
 毎年1月からメンバー募集を始め、で定員になり次第終了。でそのメンバーで本祭に出ましょう。で本祭に出た後、7月くらいから後期メンバーというのを募集しています。年会費も大体半額近くなんですけど。で、各地方イベントに出るための募集ですね。なのでまぁ2つ分けてます。区分として。
で大体ここで、最終的に165人の話をするんならば、ここで140人くらい。
で後期っていう本祭後のイベント出ましょうという募集で20人くらいが集まるという形です。
 で、たいていこの人たちが来年もつづけてくれるという形で。うん、続ける方もいれば「転勤します」とか「結婚します」、「子供産まれます」とかで辞められる方もいますし、ていう感じですね。はい。

―やっぱり去年とかって中止になってモチベーションが…みたいな方もいらっしゃったんですか。
 あーもちろんもちろん。目標を作らなきゃいけない。というか目標が失われるので、「どうする?」ってなる人が多かったですし、もちろん今年もです。だから、目標は常になんかすぐ作ろうと思ってはいます。去年もそうですし。
 本祭中止になったんですけど、中止になってからその時緊急事態宣言中だったのかな確か。で緊急事態宣言が明けて、すぐ全体会議をしたんですよ。でも全体会議といっても去年は、まぁ今はねぇコロナ、ワクチンもありますけど、ワクチンも何もない時期なんで集まることすら皆怖がって、怖い怖いコロナなんだみたいな感じだったので、なのであのー10人、おっきい会議室で10人集めて僕が説明会をする、結果11人とか、の規模の説明会を15回くらいわけてやりました。
 あの、1か月のうちにもう、毎週日曜やるけど平日も何回もこう分けて全員参加出欠をとって。「この日これでこの日これで…」っていうっていうのをやったんですけど・その1か月の時に、まず人前で見せれる舞台を用意するっていう話で、でそれをどうするか。でも、お客さんが入れない可能性もあるからYouTubeで配信しようとか。でこのために皆でもう一回走りませんかという説明会をして。で今年も一緒です。 
 この時点で中止になりました、でも私たちとしては年間活動なので、僕たちだったら11月21日に共文で踊る舞台があるので、まぁこういう舞台を用意したのでここに向かって走りましょうという話で。
 まぁちょうど、この前の日曜日しましたね。目標がないって難しいと思います。それ示してあげないとやっぱモチベーションはきついっすよね。

-1番でかい目標がなくなるわけですもんね。
 そうです。でもなんか改めて、待ってましたではないですけどいい機会だとも思ってます。それこそ本祭は1年の中で重要なイベントだけど、本祭のためにチームを運営するっていう概念をちょっと変えるきっかけになりました。
 「年単位の活動ですよ」って考えた時に、「このチームにいたい」ってなんで思うのかとか、このチームに集まってくれる人たちの、魅力もそうですけど「居続けたいと思えるモチベーションって何なのかな」とか、あの環境とかもそうですし、全部全部考え直せる機会になったので、きっと、いや全然望んでないですよ、来年本祭がなくてもチームは続けられると思います。自分のあの今のチームの雰囲気を見ると、もし来年本祭がないと、もしなったとするならばそれで解散とかはないですね。全然。
 それだったら踊れる場所を作って、今年よりももしコロナが良くなっているのだったらね、もっと規模を大きくしてやりましょうとか。っていう、チームの自力はついたかなと思います。

―今も新しく入ってくるメンバーって学生が多いんですか。
 社会人社会人。

―学生チームの出身の人とかが多いんですか?
 いや全然違いますよ。

―初心者とか…
 初心者のほうが多いです。この前も2名入ってくれました。初心者の方。

―その方々はほんとにYOSAKOIソーランは経験していないんですか。
 全く経験してないです。それこそ、YouTubeを見たとかもそうですけど、結局メンバーの友達だったりとか。でもそういう時にもちろん本祭がないので。でもその人たちが入った頃は僕ら本祭を目指していたので。あるかわからない本祭。不安を持ちながら、話を聞いてくれたんですけど、僕らは話をするわけですよね。「これを目指している」と。でもうちとしては年単位の活動で楽しいと思っている時間を提供すると思うし、「一緒に作りませんか」っていう話で入ってくれるんで。
 で結局、そういう人たちは居場所が少ないんです。居場所が欲しくて、コミュニティーを探す。で、YOSAKOIソーランを見て、「あ、かっこいいな」と思った。でたまたまうちの演舞を見て「面白そう」と思っただけであって。「北昴のここがかっこいい」という人もあんまり多くないので。タイミングの重なりだと思うんですけど。
 特にこのコロナ禍ではなんか、なかなか人と集まれる機会って多くないですけど、心のどこかで探してるんだと思います。寂しい。一人で生きれないですし。つまりですね、社会人が「第3の場所」を探しているんですよ。
 YOSAKOIソーランやってなくても、やってようがやってまいがそれが探していて、それがYOSAKOIソーランチームなのかバスケットチームなのかの違いだとおもいます。結構いますよYOSAKOIソーランやりたい人って。ほんと。
 まぁチームの勧誘活動、勧誘というか活動している、人を募集するときに毎回思います。めちゃくちゃいます。いないわけはないんですよ、なんか。
YOSAKOIソーランをやりたいんじゃなく、コミュニティーを探しているって人が多いので。その活動する手段が踊りなので。結構いますよ。

―僕が入ったきっかけもほとんどそんな感じです。
 ですよね。なんかサークルね、どっか入ろうと思った時「ここのこれがもうごりごり熱いからここしかないわ」、とか中々ないじゃないですか。
 「なんかどっちにしよっかなー」みたいな。で結局なんかのきっかけでね、「おい入るぞ」って言って話してくれた人の態度が良かったなのか、まぁそんなレべルですよね、きっときっかけって。
 いやたまたまYOSAKOIソーランの動画を見たからうちにきたと思っています。あの、考え方の一つとして、違う方もいますよ。「YOSAKOIソーランがほんとに好き」だとか、「北昴の演舞を見て入りたい」と思って勇気を出して問い合わせしてくれましたっていうすっげーありがたい方もいるんです。そういう人もいれば、うん普通に居場所が欲しい人もいると思います。

―社会人チームの勧誘って主にどんな感じですか
 SNSは手段としてもちろんやってます。でも一番はやっぱりメンバー同士ですよね。メンバーの友達。そのメンバー例えば、このコーラちゃんがうちのチームに入ってくれました。で、このコーラちゃんの友達が綾鷹ちゃんみたいな。したっけ¹³⁾、この新しくYOSAKOIソーラン始めた人、この人がめちゃめちゃその自分、この綾鷹ちゃんからすれば本祭を見に行きますよね。

13)したっけ:じゃあ、そうしたら、そうすると、といった意味の北海道弁。

-なるほど。
 見たことないような姿をするわけですよ、あの顔とか。したっけ、「え、だ、大丈夫」みたいな話になるわけですよ。したっけ「面白いんだよやってみない?」っていう、このやっぱり人のつながりが強いと思います。身近な人の豹変が面白いっていう。

-1回見たら結構豹変しますか?まだ本祭見たことないので。
 自分の友達が輝いてる姿とか自分の知り合いが輝いてる姿を見たらなんか自分も輝きたいと思う人が多いと思います。

―普段と全然違いますもんね。
 いや、そうなんですよ。話は変わっちゃいますけど、チームを運営する時のモチベーションを、なんかさっき使命感とかの話もありましたけど、人が変わっていく姿、すっごい楽しいです。 
 めちゃめちゃ物静かで、パーカーのフードもかぶって物静かの極の人がいるとするじゃないですか。で練習を重ねていくと、だんだんだんだん、あの無口なのが声出しはじめますよね、「はっ」とか、「せいっ」みないな。そういうのも嬉しいんですよ、親心みたいな、ふるふるふるみたいな、うわたまんなーいみたいな。
 でもそういう人が、本祭を迎えてめちゃめちゃ感動していて泣いていたりとか、あの普通に周りの方々と会話をしながら友達ができている姿を見たときにやっぱりこういう場所を運営していてよかったなって思うのもモチベーションです。
 人が変わっていく姿ってやっぱ一番面白いよね。良い悪いは色々あると思うんですけど、影響を受けて変わるじゃないですか、何かに。だからそういう姿を見るのも楽しいですし、きっと自分もそういう事、そういう現象とか人に出会って変わっていってる自分が、多分楽しいんだと思います。

―仕事じゃないのにチーム立ち上げてやってるのがすごいなと思います。
 まぁ後に引けないんじゃないですかほんとに(笑)。
 いやいや、っていうのはちょっと冗談もありまぁ、後に引けないってのはそれこそ言った通り、このチームを言いすぎちゃうと人生、今の人生のモチベーションにしてくれている方もいるので「そういった場所を守り続けたい」っていう使命感はもちろんあると思います。それはなんか後に引けないっていうこととちょっと似ているかもしれません。「こんなに思ってくれる人がいる場所を作ったんだったらもっと良くしていかなきゃいけないよな」っていう思いはあります。

―飲み会から1人の人生を変えるような団体を作ったんですね。
 いや、そうですね。なんか目指してはいたんですよ、それこそ「歴史を変えたい」っていうモチベーションのきっかけが乾杯だったので、ずっとイメージはしてました。「ファイナルに行って大賞を翌年にとるチーム」っていうモチベーションでやっていったので、もう人数も絶対100人集めるぞ、120人・150人集めるぞ、って思ってイメージしてくんだけど、周りからは当然、「無理だよ」って言われるわけですよ。

―そうですよね。
 うん、チーム立ち上げて、まず「人集まるのか」から入るので、僕らの中で「100人集めるよ」って誰も信じないわけですよね。入ってくれた最初の仲間もそうでした。「そうやって言ってるけど実際きついんじゃないの」みたいな。「とりあえずやってみるけどさ」みたいな。でも誰もが信じなかったけど信じ続けた結果だと思ってます。
 でもまぁね、実際に形になったのは仲間たちが、ほんとに支えてくれたし、僕も仲間たちのために頑張れたからだと思うよね。必然だと思いつつも奇跡だと思ってます。

今向かいたい先

 なんだろう、なんか北昴っていう、町を作りたいイメージです。その町に来たくなるとか、この場所に住み続けたいとか。そういうコミュニティーとしての場所をもっとブラッシュアップして。言いすぎちゃうともう文化くらいになりたいなと思ってます。絶対簡単じゃないですし、文化ってそんな軽率にいう話でもないんですけど。
 あえて表現するならば、街であり、「北海道って北昴っていう楽しそうな場所あるよね」みたいな。人と人の集まるコミュニティー探してるよりも「北昴いいじゃん、楽しそうだよね」っていうようなラフであり、すごく奥深い団体にしたいなと思います。

―もう行っちゃえばもうゴールはないんですね、だから。
 ない。なんかもうないんですよ、

―ずっとなんかこう常に高みを目指し続けるというか。
 そうですね。だからもっと楽しい、もっと癒される、しかも毎年チームカラーってやっぱり違うので。本質は変わらないんですけど、ムードがあるので。例えばピーピー、ギャーギャーうるさい人がはいってきたら、その人結構ムードメーカーになるじゃないですか。で、そういう人がいない年は、静かだけど。でもなんかね、「すごく仲がよさそうだ」とか色々あると思うんですけど。まぁ毎年改善改善だし、いいところが違うので、なおさらゴールないと思います。求めてるものもそうですし。
 いや、ほんとこのコロナ禍で変わりましたね。あの、変わりましたねっていうのは、「本祭で大賞を目指すチーム」は変わりないんですけど、たぶんそっちの方が比重、ウエイトは大きくて、そのために「皆が過ごしやすい場所を作れたらいいよね」ということがまぁあったのかもしれません。自分はそんな言わなくてもコロナ禍でなんかそういう大賞とりたいという野心があるので、でも今はそれこそ本祭がなくて大賞どうこうというよりも、よりチームを愛して、よりチームの皆を知ろうと思うので、大賞目指すという地点ではないわけですから、すごい考えさせられる日々はありましたし。

―チームの皆知るいいきっかけにもなりますよね。
 160人とかいて、本祭あったらもう本祭にむかっちゃうじゃないですか。なんかもうこの本祭が無いことをプラスに、人のこと深堀してくわけでもないけど。だから実際現実的に160人に僕ひとりが向き合うっていうのは難しんですよ。仕事してなかったら別にいいんですけど、向こうにも予定もあるし。
 だから運営スタッフも仲間がいて、きっと僕なんかよりね、隣にいるまぁAさんがいたらAさんのほうが相性がいい人もいるかもしれない。でも、ここの運営陣は「こういう場所が北昴だよね」ってことを認識してるから、ぶれないわけですよね。だからなんか逆に効率的にも考えるとその方が明らかにいいんですけど、ほんとは向き合いたいけど向き合えない、でもその人が話してくれるなら問題無いよねって話にもできたりするし。
 でも最終的にやっぱり今、人って向き合ってくれたりとか向き合うことを待ってたり、望んでる気がして。会いましょうって気軽に言えなくなったってすごい思う。寂しいし。なんかね、ステイホームとかも厳しいしあれだけど、「向き合ってる人がこの辛い時にどれだけいるか」ってすごい人生で重要な気がしていて、だから僕が別に、「最近調子どう」みたいな連絡をしたとして、違う人からもいくっていうのはきっと今はうざいよりもプラスだと思うんですよ。
 逆になんか機会と捉えてるけど、有意義ではあります。今は。ちゃんとそのチームがどうあるべきかを、考えられてるし、メンバーの思いも聞けるっていう。求めてはないんですけどね、コロナは。

―そうですよね、でもこれプラスに捉えないといけない部分もありますよね。
 いやそうですよ。なあなあと過ごす1年なんかあり得ないんで。嫌じゃないですか。どうせならこの時間を前進のきっかけにしたいですし、停滞は衰退だと思うんで、やっぱ。現状維持も衰退だと思う。なんかもうほんとにイレギュラーな今の状況だから、考えることは本当に新しいこと考えていかないといけない。
 だから尚更疲れますし、色々大変なことは多いなとは。
 でもほんと、時代のスピードが速いじゃないですか。一日で入ってくる情報量も違うし、こうやって多いじゃないですか。で、敏感にもなるし。語弊を恐れずいうと、いい人間トレーニングになってると思ってます。もっと僕は平和を穢していたので、なあなあと過ごしる時間も今よりはあったと思いますけど、今はなんだか1分1秒が惜しいです。

―今練習とかってされてたりしますか。
 明々後日から練習再開します。で、学校開放も再開されたから結構がちがちやりますよ、週3、4でやります。11月のステージに向けて。

―大体主な場所は学校開放の体育館借りてみたいな
 そうです。札幌市の、小中学校の体育館を使っていて。うちあれなんですよね、火・木・日が基本3回なんですけど、必ず水曜で自主練習の場を設けていて。シフト制が多いんで日曜日の練習に来れない人とかって多いんですよ。だから場所を用意して、夜ちょっと遅い時間にして、9時から11時とかでするんですけど。まぁそういう遅い時間の気軽に練習できるような環境は作ってるんですけど。結構これが今のところ、周りの評価もそうなんですけど、これで人が増えたっていう一つの要因ではあります。
 9時から11時の自主練習会場の提供っていうのが、僕らはなんか思いついてやったんですけど、その時にはなかったので。「YOSAKOIソーランは週末休みの人の種目だ」みたいな話をよく聞いてたんで、「なんか嫌だな」みたいな。でも自分がそうだったら、週末に練習に行けないことがなんでストレスなのかと思ったら、練習時間がやっぱり長いから、進むんですよ。練習がっちり。で、おいてかれると。それが嫌だからやんないんですけど。なら置いてかれると思うその長い時間をどっかで補填すればいいよねと思ったので、まぁ、今思えば良かったなと思います。

―今はどういう活動されているですか。
 ちょうど緊急事態宣言中はZoomを使った、コミュニケーションの場を結構用意してました。で、あとはチーム内のおちゃらけたキャラが、YouTube番組みたいなのを作って。配信なんかもやってましたけど。あまり踊り踊りは行かないようにしてましたね。
 体操とかはやってましたけど、筋トレとか。なんかそういうのが好きな人は筋トレ企画とかやってくれてましたけど。あーZoom飲みとかもたまにやってましたけどね。

―常に連絡取り合いつつみたいなことはやっぱり意識はされてるんですか?
 頻度は考えてました。義務感にはならないようにしたかったのと、結構時間は空けてました。詰め込まなかったです。毎週恒例とかはやってないです。月2回くらいです。
 逆にZoomに参加しにくい人からしたらおいてかれちゃうんですよ。で、だんだんそのZoomの、「今日やります」とかなった時に、だんだんストレスに変わってくんですよ。「またやってら、Zoom」みたいな。おもろないみたいな。で、実際あれやる人って負担かかるんですよね、Zoom。
 Zoomの筋トレとかも画面でみんなのリアクションを見ながらやってくんですけど、当然対面じゃなくて画面越しなんで、楽しそうにしてんのかとかってちょっとリアルとは違うわけですよね。で、やってく人が疲弊しちゃうので、なのでやってく人が楽しくなるような頻度でやった方が、見てくれる人が楽しんじゃないかなと思って。月2回くらいにしてました。

―難しいですねZoomは。
 いや、Zoomで練習とか、すごくやられてるチームさんもあって、普通に尊敬します。難しいし。
 うちのスタッフでもそういう話出たんですよね。「やったほうがいいんじゃないか」みたいな。「え、でもさ」みたいな。「あーでもない」「こーでもない」って意見ありますよね。最終的に思ったのが「え、それ見て練習毎回したい?」みたいな。それで週2回3回練習。「ほんと、楽しい?」みたいな。「やめるか」みたいな感じでやめたんですけど、でもたぶん楽しくやられているところがあるのでほんと尊敬してます。すごいなって、

―すごいなって思います。Zoomで3人で話すだけでも難しいっちゃ難しいじゃないですか。
 ね、そうですよね。だれのターン?みたいなさ。
 難しいなと思ってね。だからあんまりその自分たちが追い込まれすぎないようにはしてました。つまんなそうにやったらつまんなそうなイメージになっっちゃうし。難しいんですけどね。
 偉そうに聞こえちゃうかもしれないですけど、今走れなくなっちゃうとしばらく走れないと思うんですよ。なので、もうコロナ無くならないじゃないですか。それでしばらくコロナ禍で生きていくうえで、多分なんか「もうコロナなんて終息したからみんなで激しく行動しようぜ」なんか言う人いない。みんなが多分自分たちの中で考えて、選択して、道を決めたりとか判断するじゃないですか。だから今走れなくなったら怖いっすよ。今走んなきゃいつ走んの、って感じで。
「今は黙っておいて来年走ろっか」って言ったって、「来年走ろっか」って時にこの1年何もないわけですから、走った瞬間に沢山の人がもっともっと先に走ってるわけですよ。そんな怖いこと無いなと思って。で、コロナだから何もできない、やりようがないと思っていたら自分の走るペースも忘れちゃうし。だから今走れなかったらもう5年くらい走れないんじゃないかな、と思ってる。だから何もしないより考えてる方が楽です。考えて動いてる方がやってる感もあるし、コロナに対して「負けねえぞ」っていう反抗心も自分の中に生まれるし。
 だから正直楽です、考えてる方が。でも考えてない時間暇だからろくな事しないじゃないですか(笑)。食べるか飲むかしかしないし、家で「暇だな」と思ったら、「とりあえず飲むか」みたいな。で、目的もなくテレビ見ながら飲んで、「なんか食べるか」って言って食べて。「デリバリー頼むか」って言って大して腹も減ってないのにデリバリー頼む(笑)。ろくな事無いんで。僕の話ですよ、皆さんは違いますんで(笑)。だから僕はその方が楽ですね。全然答えになって無いっすね(笑)ごめんなさい。

-何回本祭には出られたんですか?

 12(回)。今絶対YOSAKOIバカだなって思ったでしょ(笑)。でも僕も今そう思いました。「俺ヤバいな、本当YOSAKOIバカだな」と思ってますよ。12か。めっちゃやってるな俺。

-昔のお祭りと今のお祭りってやっぱり全然違うんですか。
 昔は週末昼からずっとテレビからYOSAKOIソーラン流れてる、みたいなことはありました。YOSAKOIソーラン一色までは行かないけども流れてましたね。

-会場数も多かったですもんね。
 そうですね。僕の先輩方が言ってた話では、一気に火がついてからドカーンと行ったみたいな。年数が経ったからなのか、考え方が変わったからなのか分からないですけど、今の方が分かりやすい気がします。YOSAKOIソーラン祭りっていうのが分かりやすい気がする。昔はなんかもう「とりあえずどんちゃんなフェス」っみたいなイメージでした。

-昔は「新しいことをどんどんやっていく」みたいなイメージだったと思うんですけど、今は「伝統を大事にして、昔の物を守りながらやっていく」っていう感じになって来てると思うんですよね…
 とりあえず思いつくことはやりつくしたんじゃないですかね。で、チームも作品も一緒で、「新しいことしたいよね」「他と被ってないことしたいよね」ってなるんすよ。みんなもうやっちゃってるんですよ。だから「何やる?」みたいな。うちのこの前の会議で「何か新しいことしたい」っていう話が出た時に「しゃちほこでも出す?」みたいな。無いしょ(笑)。そんなふざけたアイディアを言っちゃうくらい何も無いんすよ。あるんでしょうけど、そんな簡単に出てこなくて。で、思いついたことはもう色んなところでやっていて。
 うちって自分でも思うし、周りにも言われるんですけど、北昴としての作品の個性が無いって。王道のソーラン節を攻めながら、楽曲は耳に残るようなポップなものにして、鳴子と太鼓で盛り上げるって。で、とりあえずめちゃめちゃ声出して、みたいな感じなんですけど。
 えさし¹⁴⁾とかだったら白い扇子、天舞¹⁵⁾だったら花形の女性たち、花隊?天神¹⁶⁾だったら波とかの。ずっと探してるんすよ。倭奏¹⁷⁾さんだったら和楽器とかあるじゃないですか。だからある程度出尽くしてはいないと思うんですけど、思いつくことはどんどんもうチャレンジされた方が多分いっぱいいるんだと思います。で、その中で形として続いてきたものを守り続けたうえで、新しいチャレンジをしよう、っていうのをおそらく関わっている方々は思っていると思うし、俺もそう思いますし。

14)えさし:夢想漣えさしのこと。枝幸町と札幌市を拠点に活動しているチーム。前回の本祭である第29回では大賞を受賞している。
15)天舞:新琴似天舞龍神のこと。札幌市を拠点に活動しているチーム。第29回では優秀賞を受賞している。公式ホームページ
16)天神:平岸天神のこと。平岸天神に関しては脚注11を参照。
17)倭奏:グラフィックホールディングスpresents倭奏のこと。札幌市を拠点に活動しているチーム。演舞の際に横笛をはじめとした和楽器の演奏がある。公式Twitter


-やっぱりまだ“チームの色”っていうものを探して、チャレンジしていっているんですね。
 そうですね。作品の色はもう毎年チャレンジしてますし、チームの中の本質的なカラーとかムードとかそういったのは年々チャレンジっていうよりも、太くなっていってる気がします。ようやく「北昴とはどうありたいか、どうあるべきか」っていうのが見えてきたというか。運営して、継続したからこそ「私たちの大事な物ってこういうものだよね」って見えてきた。それをもっと太くしようと思えるようになってきた、っていう段階に入れました。だから5年目までは結構勢いです。「とりあえずもうみんな行こうぜ」「イェーイ!」みたいな感じ。6年目から「北昴とは」とかめっちゃ考えるようになりました。
 凄い団体ですから、学生実行委員会さんは。街を動かせるわけですから。すごいっすよ。僕もYOSAKOIソーランをやって、さっきも言いましたけど、学生の頃はくそだったので、はっきり言って。学生実行委員会の皆さんと話すことも無かったんですよ。本当0。北昴を立ち上げて、3年目くらいから耕作さんにお会いことも増えてきたりとかして、そういった時に他のお話させてもらう機会を設けさせていただいたりした時に、「すごい団体だな」ってその時気づいたんですよ。「何やってたんだろ今までの人生俺」みたいな。だからすごい意味のある事やってると思いますよ。

次の本祭に向けてのビジョン

 ちょうど作品作りを始めてですね、うち早いんですよ。本当は8月くらいから動くんですけど、今年は色々押してて。今月入ってから結構具体的に動き出すんですけど。来年に向けては全く新しい曲と衣装を用意してるので。    
 今年2021年は2020年度の曲をリメイクしたもので、衣装も同じで、作品の構成とか変えて新作っていう表現をしたんですけど、全くお金もかけて違うものをつくるものですから、ちょっと来年って言いすぎかもしれないけど、新しい時代というか、コロナで自粛が終わって、その時にお客さんがどういうものを見たら喜ぶかを考えているんですけど。うるさすぎてもダメな気も個人的にしてて。
 見てて「やっぱり何かやるときはいいな」ってことを衣装とかで表現できるとなって思ってますし、120人以上また頑張って集めて、「コロナがあったから人が減った」とかそういったことはイメージつけたくないな、と思っていますし…発想的にも、演舞内容的にも。
 お客さんの感情も、踊り子の感情も、たぶん運営される方々の感情も、今までにないものだと思うんですよね。僕ら踊り手だったら2年間無くて、「やっと踊れる」と。で、創って下さる西8の舞台で踊れるという感動。お客さんのこととか考えたら、コロナになって人で何かをやることに対してみんな怖い思いを持ったわけですよね。そんな中での初めてのYOSAKOIソーランなんで、その時に賛否両論はあるとは思うんですけど、「やっぱりYOSAKOIソーランっていいよね」っていうのが重要だと思うんで。だから本当新しい一歩だと思います。で、やっぱり自分たちも「僕らが頑張り続けていれば、その勇気が誰かに届いて、誰かがチャレンジしてくれる」って思ってます。だから来年もそうあり続けたいな、って思ってます。
 作品はよくわかりません。衣装と楽曲は新しいものにする。作品に関しては「今までにない熱いことを踊りで表現したい」、以上!って感じで(笑)。
よく分からない未来が待っていたとしても「頑張ろう」って思うことってすごいと思います。コロナがあって、(その中で)挑戦し続ける人ってすごいと思うので、そう思えているってことは僕としてはすごく勇気をいただけます。
 学生さんはよくも悪くもリミットがあるじゃない。どうしようもできない定めというか。だからこそこれを逃したら、っていうのはあるだろうし。社会人も社会人でみんなの中でリミットがあって、そのリミットを過ぎた人はやっぱり辞めたりもするし。うちも来年転勤、とかね。仕方がないで片付けたくないけどどうしようもできない。だから続けていくしか無いんだよ、きっと。

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取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
北海道大学2年 市川裕次郎(取材時)
北海学園大学1年 勘川凌雅(取材時)


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