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YOSAKOIソーランの軌跡~想いを繋ぐ~prof.4綿貫嗣郎(わたぬきしろう)さん(株式会社Bondsync 代表取締役)

YOSAKOIソーラン祭りに関わったきっかけ~現在

 第4回(1995年)だったと思いますが、四番街¹⁾のパレードの本番2週間前ぐらいだっただろうか?学生実行委員会だけでホコ天仕切るのはヤバい(パレード運営で人手やノウハウが不足)と、STVさんに協力を要請したのが関わり始めですね。その時、僕は映画の試写会や雪まつりのアルバイトを手配したり番組のディレクターをしていました。STVさんでいろんなイベントで活躍していた方からスタッフの手配や運営のディレクターを依頼されました。学生以外でプロのイベント屋さんが関わった最初のメンバーと考えてもらっていいかな。

  それからはステップスっていう会社に入って、大通パレードとか、桟敷席の運営をやったりとか、その後、会社をやめて独立した後は、Ario会場²⁾とか、赤レンガ会場の運営を頼まれたりとか、淡々と関わりながらVirtual YOSAKOIソーラン祭り³⁾もお手伝いさせてもらって、今に至る感じですね。

1)四番街:南大通から南4条通まで連なる四番街商店街を舞台に北と南(Nステージ・Sステージ)でパレード演舞を披露 
2)Ario会場:サッポロガーデンパーク会場のこと。サッポロビール園、サッポロビール博物館、Ario札幌、北海道日本ハムファイターズ練習場などの施設で構成されるエリア。サッポロビール園の情緒あふれる赤れんがを背景に演舞が披露される。
3)Virtual YOSAKOIソーラン祭り:第29回YOSAKOIソーラン祭りの中止を受けて行った初のオンラインイベント

印象に残っていること

初めてのYOSAKOIソーラン祭り

 印象に残っていることはいっぱいあるんだけど…

   最初に関わった四番街会場で、僕は地方車の待機場所の運営をやったんだけど、スタッフが集合して配置についた30分後くらいに、待機場所のすぐ近くのゲームセンターの店長さんがいきなり怒鳴り込んできて、「お前らまた今年もやんのかふざけんな」って。「えっ、どういうことですか」って言ったら、「うちのゲーセンはゴミ捨て場じゃない」とお怒りで、僕は「いやいや、ゴミ捨て場にはさせませんよ。そういうルールにはなって無いので成らない筈です」と、説明したんだけど、聞いてもらえず、店長さんは「万が一ゴミ捨て場になったら警察に言う(怒)」ぐらいの感じで、驚きました。そして、ひとつ目のチームが入っていきたら、待機場所で音は出しちゃいけませんよっていうルールだったんだけど、もういきなり「お前ら行くぞー!」みたいな気合入れが始まり、そしたら近くのホテルのホテルマンみたいな人から「おいおい、客からクレームが来てるんだよ」と言われ、そりゃあ朝9時にビジネスホテルの前で爆音出したら、お客も怒りますよね…。「いやいや、このチームは、たまたま音を出しましたけど、ルール的には音出さないルールなので今後止めさせますから」って言って引き揚がってもらって、音のルールを守らないチームは代表の人達を説得してスタートするまで音を出さないようにお願いしました。  1日目終わったときかな、ゲームセンターの店長さんに「ちょっとこれ見てもらっていいです?」って言われてトイレの様子を見に行ったら、カラスにつつかれたゴミ捨て場みたいになってて。終わった後に、僕とほかのスタッフで全部ゴミ拾いして、ゲームセンターのオーナーさんに謝って、ホテルの人に「音出ちゃいました、すみませんでした」と謝って。最初の1日目はそんな感じ。

 2日目は、自分の奥さんは四番街でチームを誘導するっていう仕事をしてたんだけど、チームによっては一つのコース(100m)の中で半分で終わっちゃうところが殆どだったんだよね。残り50mあるからもう一回踊ろうかって感じになって。それをやっちゃうと、当然1チームの踊る時間が倍になるから、時間が延びちゃう。時間が延びちゃったら、道路を借りるルールの中で「何時までに終わりなさいね」の時間が守れないから、2回踊るチームを阻止するために、奥さんが50m走って迎えに行き、「そこでもう一回踊るな、とにかく進んで次のところに行くんだ」っていうのを2日間繰り返していって、股関節を疲労骨折しちゃった。2日間ずっと50m走を100何本やったってことだね。疲労骨折しちゃって、当時フリーター夫婦だったんで、いきなり収入が4割くらい減っちゃって、股関節ってギブスとかもできないめんどくさい骨折らしく、1か月半くらい働けなかった。収入が3割4割減っちゃってひもじい思いをしたってのが(僕にとって)最初のYOSAKOIソーラン祭りかな。

道庁赤れんがをバックに並ぶ地方車

目の前で起きた、あの事件

 それから転機というか、自分の中ですごい衝撃になっているのは、 
爆破事件 ですね。あの事件のときに、前の会社で大通パレードの運営を受け持っていて、僕と当時の社長さんと二人で1日目が終わって疲れ果てて6丁目か7丁目のベンチで「いやぁ~今年もやばかったな、すごい疲れた。でもみんな、よくやってるねって言ってくれてる」なんて今日の苦労を語り合っていた時に、突如、ゴミ捨て場で爆破が起こって、煙があがった。一瞬タイヤのパンクかと思ったんだけど、煙は出てるし。走っていったら、そこに今でも鮮明に目に焼き付いているんだけど、被害を受けた学生くんたち(の姿)が。一人はちょっと太った男の子が、足を抱えて「痛い、痛い」って転げ回ってた。例えるなら、ドラマや映画で、悪党に銃で威嚇するのに足だけを撃たれて苦しむシーン見たことある?それと同じように太ももを銃弾で撃たれたような苦しみ方でした。もう一人、強烈に印象に残っているのが、線の細い女の子が、足元がふらふらしていて、左手で口を押えてたんだけど、指の隙間から鮮血が床までまっすぐ伸びてた。もう忘れもしない、はっきり覚えてる。僕の中ではあの爆破での学生くんたちの姿には愕然としました。

 呆然と立ち尽くしてましたね。そしたら警察が飛んできて、証拠の確保するために立ち入り禁止のテープを張ることになって、そのテープを一緒に張っていました。

 後でいろいろ聞いた話なんだけど、一番静かに寝てた男子、あの子が亡くなっていたら俺は自分の性格や職業に影響するほどにトラウマになっていたと思うんだけど、肺か?心臓か?に釘が刺さって一番重傷だったらしく。その子が意識を回復したときに、お母さんに「自分が原因でお祭りがなくなるのは嫌だ」って言ったらしくて。その言葉を伝えに夜中にお母さんが組織委員会⁴⁾まで行って関係者に伝えたらしく。その後は、だったら中止じゃなくてやる方向で考えようと。けど、午前中はいろいろな捜査をしなきゃいけないのでいきなり午前中からお祭りやるって事にはいかなくなる。午前中を中止にすると不公平になるから、審査だけはなしにしよう。だけどチームにしてみると、「1年間努力に努力を重ねた結果が形にならないってどうなの?何か形を変えてでも審査はするべきじゃないの?」と。深夜に関係者たちの議論が起きていたそうなんだ。

 そんな時に、学生くんたちが治療を終えて組織委員会に戻ってきた。当然傷だらけで、あちこち包帯をして、ただ、来た。その姿を見た時に、組織委員会にいた審査やるべきだと言っていた人たちが全員黙ったって話があって。想像以上に学生くん達の傷つき方が酷く、事件の大きさを痛感して涙をこぼした人も多かったと聞きました。よく行ったよね、普通(治療が終わったら)帰るよね(笑)。けど、その姿を見ることによって別々のチームだったり組織委員会だったり、いろんな大人たちがまとまったっていう。これはすごいことだなあって思って。YOSAKOIソーランの中で残った方がいい歴史なんじゃないかな、っていう。

 次の日、僕は大通パレードの運営の統括する立場で、ゆうばり寅次郎⁵⁾さんっていうチームがあったんだけど、午前中全部中止になったじゃないですか。当然ニュースで前の日何があったか知ってて、チームのみんな入ってきたらすっごい暗くて、声出しの人も元気なくて、周り見ながら「本当にやっていいの?」みたいな空気があって踊り子さんも元気がなくて…。まったくどうしたらいいのかわからない嫌な空気に、なんか対抗したいっていう気持ちが自分の中モヤモヤあって。その時、北大生の優秀な若者がアルバイトで5丁目北側のスターターをやっていて、その子に「ちょっと気持ち悪くない?なんか嫌な空気だよね。お前の言葉でいいから一発目のスタートの前になんか元気づけるようなこといってくんねえか?」って言って、なんて言ったのか全然覚えてないんだけど、「昨日あんなことがありましたけど、元気出していきましょう!それではスタートの時間です、どうぞ!」みたいなこと言ったらね、へのへのもへじみたいな顔していた声出しのおじさんの目がいきなり三角になって、急に「お前ら行くぞ!!」みたいな感じの声掛けが始まり、踊り子さんも背中丸めてたのに急に背筋が伸びて!印象だけでいうと、草がへなってたのがワサワサ立ち上がる感じで気合の入った演舞がスタートしたのを印象的に覚えています。

 僕はすぐに別のポジションに向かったので演舞は全部見ていませんでした。けれど2年前スクランブル⁶⁾の羽二生さんっていう長きにわたって、YOSAKOIソーランのプロモーションビデオを作っている、いろんな演舞を見てきた人が言ってたんだけど、羽二生さんの中で歴代の演舞で三本の指に入る名演舞があって、その中の一つが爆破事件のときの5丁目のゆうばり寅次郎のパレードだったって言ってましたね。それを聞いた時、いやぁ!そうだったのかっていうのがあって。 あの一言がゆうばり寅次郎さんに名演舞を演じさせたきっかけなのかはわからないけど、何気ない一言って大事な事ではと、今となっては思っています。

4)組織委員会:一般社団法人YOSAKOIソーラン祭り組織委員会
5)ゆうばり寅次郎:夕張市を拠点に活動していたチーム。
6)株式会社 スクランブル(公式HP

翌年も…

 その翌年はスピカ会場⁷⁾を運営することになって。2日目かな、すごい大きなビジョンがあるんでこの映像装置を活かすために、各チームのメッセージやプロフィールを紹介してから踊るっていう演出をやったんだけど、その中で劇団果実籠⁸⁾さんの方がたまたま事務所が近くて。(事前に)かくかくしかじか(演出について)こういうこと考えてるんですけど、って電話で話してたら僕の作業している事務所に来てくれて、この子がこうこうこうで、この人の娘がこの子で、とか話をしながら作った映像があって、とっても楽しみにしてくれてるチームがいるんだなあって思いながら運営をしていたんだ。けど、日曜日の12時に爆破してやるみたいな爆破予告が入っちゃって。その時間中断しようと。12時だから11時30分に避難を開始して、12時までに全員逃げて、問題がなければ再開しようっていう話だったんだけど、丁度11時35分が映像作りも非常に頑張ってくれた劇団果実籠さんの出演時間で。実際チケットもお父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんもたくさん買ってくれて、せめてここは踊らせてあげてからでも間に合うんじゃない?という相談もいくつかのところから受けたんだけど、それやっちゃったらなんか違うよね。自分の中でもその会場で一番踊らしてあげたいなって思ってたチームだったんだけど、断りましょうと。ルール通り、11時30分から何時までのチームは全キャンセルで、ごめんなさいしましょうと言って。さすがに最初のごめんなさいは自分で言わなきゃって北2条通の最初のチームの入口の所に行ったら、会った瞬間に自分と映像作りをしてくれた人が満面の笑みで「綿貫さーん!よろしくお願いしまーす!!」って言ったんだよ。そしたら子供たちも当然のように「よろしくお願いします!!」って言ってきて。その声をかけられた後に「実はこういうことがあって…、劇団果実籠さんをこの会場で踊らせることはできません」っていったら、満面の笑みの人々が一瞬にして埴輪のように「えっ?」っていう顔になる。その表情をみて、なんなのこれって。見ていられんっていう。もう本当その場に立ち尽くして、全員の背中が見えなくなるまでその場を動けなかった。

 じゃあ避難させますよと。こんな経験自分の中でももうあの時しかないんだけど、どんなコメントで避難させます?っていう。できるだけストレスを与えずに、事実を伝え、行動させるための的確なナレーションを考えて、アナウンサーさんから流されました。だけど、誰一人動かないんだよね。800人。「え、なんの冗談?」って。「演出なんでしょ」みたいな。笑ってる人もいた。けど、リアルで。これは本当にヤバいと。なんとしても12時までにこの800人を移動させなきゃならないっていって。誘導を指示していた子が、「移動をお願いしまーす」って言ってんだけど、それも演出にしかみえないわけさ。人間って想定外のことって意外と受け入れられない部分があって、どうにもならないからって僕のとった行動は、その子のケツを全力サッカーキックで蹴っ飛ばして「てめぇ何言ってんだよ、早く避難させろ!!」て怒鳴り散らしたんだよ。800人の前で(笑)それを見た瞬間に、お客さんが「あ、本当なんだ」って。演出で人蹴るとかないからさ(笑)もう今だったらただの暴力事件なんだけど、その時はそんなこと言ってられなくて。12時の10分前くらいかな、800人外に出すことができて、自分たちも外に出て、何事も無くて、いろんな捜査をやって、再開できたっていうのがあるけど。あれ2001年だね、20年前。高田さんその時いくつ?
ー私今19歳なんで…
じゃあ生まれる前だ(笑)

 やっぱ第一印象(四番街)最悪、第二印象(爆弾事件)衝撃みたいな。これいいのかなとか。学生実行委員会ってなに、組織委員会ってなに、YOSAKOIソーランってなに、チームって何なのっていうのがずーっとあったんだけど、赤レンガ会場を運営するようになって、ガイダンスの雰囲気が当時のころから全然変わってたよね。昔はもっとチームと組織がバチバチやってた印象だったんだけど、そうじゃないんだよ。YOSAKOIソーラン祭りっていうくくりの中で組織委員会、学生実行委員会、それぞれのチーム、支部の人たち、一つでやっていこうねっていう雰囲気に変わっていたね。審査の件とかで学生くんたちとやりとりするようになり、耕作さんや横山さんともやり取りするようになり、会場関係者の会議とかにも出席するようになって、いろんな課題、これはYOSAKOIソーラン祭りだけに限らず何にも常に存在する課題に、みんなそれぞれすごい建設的に進んでるなっていう印象を受けてますね。

7)スピカ会場:STVが2000年から2008年まで所有していた札幌メディアパーク・スピカにて2001年にのみ開催された会場。
8)劇団果実籠:札幌市中央区に拠点を置くチーム(公式HP

Virtual YOSAKOIソーラン祭りの話

 放送の仕事も受けてたので、スクランブルの羽二生さん、僕、その当時ステップス⁹⁾っていう会社にいた高橋くんっていうメンバーで「学生をフォローしながらVirtual YOSAKOIソーラン祭りをなんとかしてほしい」と言われて、「わかりました」って。3週間前にその話を受けて、最低限こういう準備をしなきゃいけないなと。2週間くらい前にあんまり動いている気配がなくて、本番10日前くらいだったと思うんだけど、僕の中でトラウマが発射されて、酷い2ちゃんねるからの爆破事件ってのがどうしても思い出されて。このままでいったらまじでお前ら非難されねえか、と。そんな説明できっこないし、どうしたらいいかわかんなくて、ガツガツに、そんなんじゃだめだ、と。そんな感じでぐりぐりやったんだよ。あるときは、「会議室のここに機材設置するから〇時までに開けといてね」っていって、機材持って開いてなかった瞬間に、「話にならんわ、帰るわ」みたいな態度とってでも最悪を回避したかったというか。

 ずっとこれじゃだめだ、これじゃだめだ、みたいなことをやって、水曜日の放送終わりました。まあなんとかなったかなみたいな。これ木曜日担当だった子は不運としか言いようがないんだけど、明らかに学生くんたちのなかで「これでいんじゃね」みたいな雰囲気があって。例えば何か一つの行程があって、「これはこういう風にやった方がいいよ」。で、そうなります。終わって交代したら次の日、次の人が同じミスをするみたいな。「え、なんで引き継がないの?」みたいな(笑)。映像が流れてるときに電気系を切っちゃったりとか。一瞬パチって、「セーフ!」とかやってるの。いやセーフじゃねえしと。これが木曜日の雰囲気で。木曜日が終わって、今日一日について綿貫さんからどうですかって聞かれたときに、自分の中では論理的に話しつつ、ワンピースの覇王色の覇気みたいな、ふざけんな、みたいなことをやったら、女の子3人泣き出して1人廊下に走ってって、男子も2~3人足が震えてて。正直これはやっちゃったかなと。果たしてこれで本当にこの子たちは大丈夫なんだろうかと。ある程度しょうがないかなと。それぐらいやらないと土曜日曜は時間も長いし、気の抜いた映像が流れて、凄惨な書き込みがされるような可哀想な最悪だけは避けたいと思って、自分は全力でやったんであとは結果見るだけだという風に思ってたんだけど。

 金曜日の放送開始の30分前くらいから、なんか言った方がいいのかなとずっと考えていたんだけど、言葉が見当たらずほっといてたら、10分か15分ぐらい前に、君たちの先輩が突然に「みんなきいてくれ」とか言いだして。「今日うまくいかないと絶対土曜日曜は無理だ。とにかく今日ノーミスでやるっていうのに集中しよう」っていうことを言い出して。そっから、全然違ったんだよね。全員が。それみた瞬間に、あ、違う。俺がどうっちゅうんじゃなくて、自分たちの中で、誰かがこうしようって言ってはじめてなるんだな、っていうのを思って。

 そしたら、土曜日が無事終わり、日曜日、最後のいつものフィナーレ、学生くんたちがみんなに挨拶するみたいな。その部分めがけて視聴者数が増えていって、最後のありがとうございましたって言って終わった時に、コメントが読めないくらいのスピードでぶわーーっと書き込まれてて、これなんて書いてあんのって見てたら、Youtubeを管理していたおじさんが泣きながら走りこんできて、「全部学生くんたちへの謝辞です!」って。つまり感謝の言葉でいっぱいですって。「やったこいつら最高のフィナーレ来たじゃん!」って思って、ふって見たら「え?なに?書き込みいっぱいあんの?」ってみんなちょっとピンと来てない感じになってて。「いや、いまそこガッツポーズ見たかったんだけど俺」とか思ったんだけど(笑)。面白いなあって。

 その経験で、今の若い人たちに対して自分で決めれないとか元気がないとか、主張がないとか、そういうことを言う僕ら世代の人たちも多いけど、あの現象を見たときに、悪いのは大人だなと思って。もっとやりやすかったりとか、もっとなんとかしてあげるとか。うちらのときには普通に先生からげんこつで殴られてたし、友達に勝手にあだ名付けていじってたし。そういうのが今の世の中フラットにされてる中で若者たちにもっととんがれよっていうのは、そうじゃないっしょっていうことがあり、それは今後何とかしていきたいなっていう。Virtual YOSAKOIソーラン祭りでもつくづく思ったし、爆破事件でも思ったし。YOSAKOIソーラン祭りのなかで学生っていう若い方たちが関わってるってどういうことかっていうと、当然ミスにもつながるし、失敗も発生する可能性も増えるし、すごいリスクがある。一つのことを完成させようとするときにリスクでしかない。けど、それに対して有り余る、普通にはできないようなことを目の当たりにしてきたというか。それはねえ、YOSAKOIソーラン祭りに対してつくづく思ってるなあ。

9)有限会社ステップス 公式HP 

学生実行委員会に対して思うこと

 それまでは考えもしなかったんだけど、あのVirtual YOSAKOIソーラン祭りで自分の想像をはるかに超えた反応をみて、改めて、例えば最近ヒットしている、鬼滅の刃とか、東京卍リベンジャーズとか、そういう小学生中学生高校生がこれ面白いじゃんって人気にしたものたちをみると、すごく素直に家族を大事にしたり、友達を大事にしたり、残念なことに対して何とかしたいって気持ちを素直に思えて行動できる人たちなんだろうな、と思った。

 (30th)代表の香月くんにYOSAKOIソーラン無くなったときに「大丈夫?」ってLINEを送ったら、「正直気持ちの整理はついてません。けど軸としている、今できることを精一杯していく。そして、学生実行委員会を今後もよろしくお願いします」っていう返事がきたんだけど。自分の気持ちがちゃんと整理できてないっていう弱さを認めていて、自分の軸としている今後の行動っていうのがみえていて、そして自分じゃなくて、学生実行委員会をお願いしますっていう。100点満点ですよねえ。けどその前の年のあいつは泣いてばっかりいたから(笑)

 でもねえ、YOSAKOIソーランに積極的に関わってる人たちにきっと共通しているんだけど、学生実行委員会に対する「かわいい」と思ったりとか、「去年こんな感じだった子がこんなんになってる」とか、「本祭終わったときに心からお礼をいってる」とか、そういう姿をみてると、応援したいんだろうなっていう、その気持ちがわかったというか。``なんで学生実行委員?‘‘ プロのイベント屋として、(学生が)やるのリスクでしょって思ってたんだけど、なぜか数値化されないような効果があって、一つにまとまってるんだなってのがあって。Virtual YOSAKOIソーラン祭りのときにもみんなに伝えたけど、すごい必要なものなんだねと。学生実行委員会って君たちにとってもそうだし、組織委員会の人たちとっても、支部の人たちにとっても必要なものなんだなっていうのを感じたよ、っていうのを伝えたんだけど。なので頑張ってね。(笑)
 学校の先生にでもならない限り、人の成長を体験できるのって、子育てでもしてれば別だけど、そういうのが一通り終わった人たちにとって何かがよくなってるって感じられるってなかなかないからね。だから応援されてるんだろうなあっていう。それが僕のプロファイルかなあ。

YOSAKOIソーランを考える

 あと一個思うのがさ、YOSAKOIソーランっていうお祭りがなんで成立するのか考えたときに、普通に超身体能力に長けて、八頭身で、超かっこよくて。そういう人たちってモデルさんになったりダンサーになったりっていう。でもそれって一握りで。じゃあ何かを表現したいっていう欲求?こうやって考えてるんだっていうのを周りにみてもらう。それに対して拍手をもらったり声援をもらったり、時には応援のメールや書き込みやいいねがあったりとか。それができるっていうのって無粋な言い方だけど、市場の原理に合致しているというか、ニーズとシーズにあってるなっていう。普通にいろんな人がいる世の中で、役に立ってるなっていう。手軽な人もいれば、マジでガチな人もいる。ガチじゃない人も楽しめるっていう、この環境っていうのがハマったんだろうなあって思って。続いている理由なんだろうなあ。今何となく見てて思うね。結局どんなイベントも関係ない人とどう折り合いをつけるか。寝たいと思ってる人の睡眠を邪魔することはできないし、自分の部屋を汚されたくないと思ってるし、汚すわけにもいかないし。それに加えて、感染症怖いって思ってる人たちにストレスを与えないようにするにはどうすればいいかっていう新たな課題が出てきて、なんか``考えることが増えちゃったよね‘‘みたいな感じはあるんだけど、そういうのはずっと課題になってくのかなあっていう。自分も何かいいアイデアが浮かんだら協力していきたいなって思う感じかな。
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取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会 
北海道大学1年 髙田冴花(取材時)

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