見出し画像

YOSAKOIソーランの軌跡~想いを繋ぐ~prof.10 梶浦宣明さん(札幌TWN支部長)、舩山晶子さん(南北海道支部長)

以下 梶浦宣明さん→梶)
   舩山晶子さん→舩)
(敬称略)

初めてのYOSAKOIソーラン祭り

梶)
 私が参加したのは第5回からのYOSAKOIソーラン祭りからなので、約25年間見てきてるんだけど、30年全部は見てないんですよね。第1回から第4回までは見たことないです。YOSAKOIソーラン祭り。で、第5回で初めて参加した。5回目で参加して、初めてYOSAKOIソーラン祭りを見たんだけども、それまでYOSAKOIソーラン祭りっていうお祭りがあるなんてちっとも知らなくて、大通公園でやっているとも分かんなかったのね。その時は30歳ちょっとくらい。
 第4回のときに、たまたま大通公園通ったんですよね。大通公園を通ったら半纏を着た人たちが出てきて、抱き合ってすごい喜んでて、騒いでたんだよね。それが後から分かったのが、(第4回YOSAKOIソーラン祭りが)終わって、どっかのチームが優勝して盛り上がっていた後だったんだけど、それがそのお祭りだとは知らなかった。「札幌の大通で何かやってたのかな」「この人たち何盛り上がってるのかな」って思う程度でYOSAKOIソーラン祭りとは知らずにそこ通り過ぎて。印象は、よく東京の方にいた竹の子族¹⁾みたいな雰囲気だったな。竹の子族っていう原宿とかで踊ったりしてる団体がいて。それは公式にあるものじゃなくて、勝手に自分たちで好きに踊ったり集まったりね、そういうことしてたんだけど。そういう一種なのかなとか思ったり。


1)竹の子族:野外で独特の派手な衣装でディスコサウンドに合わせて「ステップダンス」を踊るという風俗またはその参加者の総称。

お祭りに参加したきっかけ

梶)
 そんな中で第5回のお祭りに参加するきっかけになったのは、地域の活性化とかね。地域の人たち同士で繋がり合いたいなとか、若い地域の者たちで何かをしたいなっていう思いでチームを立ち上げているんだけど、YOSAKOIソーラン祭りは4回まで見てないからどんなお祭りか分かんないし。ただチームの中に、第4回YOSAKOIソーラン祭りに参加してた人はいたんだよね。
 それは麻生の地域に FLAXあさぶ²⁾っていうチームがあって、そのチームは第4回からYOSAKOIソーラン祭りに出て、そこに参加してた 新琴似の人たちがいたのでね。その人たちが「麻生にあるんだから、新琴似にも作りたいよな」っていうことからスタートしたらしいんですよね。その時僕はいなかったんですけど。
 第4回で踊ってる人たちが第5回に出て、新琴似にでもチーム作るってことでスタートして、そんな所で僕にも声かかったんだけども。YOSAKOIソーラン祭りって何かわかんないから、「別に興味ないから参加しないわ」って。30人くらい集まって幹事会やってて、何とか来てくれないかと言われたんだけど、「俺興味ないから行かないわ」って言って。その時、新琴似 社會やしろかい³⁾っていう今もある団体で神輿をやってたので、特別ほかのお祭りに興味はなくて。YOSAKOIソーラン祭り6月でしょ、第4回が終わって夏くらいかな、一回声かかったのはね。そこは行かなかった。また10月くらいに誘いがきたんでね、同級生から言われたから一応ちょっと行ってみようかって思って、2回目は行ったんだよね。別にやる気はないけど。
 行ったらみんな集まってて、曲がある程度あって、YOSAKOIソーラン祭りに参加するってのを聞いてたから「YOSAKOIソーラン祭りってどんなのかな」って尋ねたんだよ。「全道から48チーム参加して、非常に盛り上がってるお祭りだから新琴似の活性化にも一役買えたらいいなって思って」って話してるから、「新琴似のためだ、生まれも育ちも新琴似だし、屯田兵で四国から九州から入植してきて先祖が開拓した地だから新琴似のためになるんだったら頑張ろうかな」と思ってね。最初立ち上げるときはこういう経緯だったんですよね。

舩)
 私は上の子が小学校2年生の時に同級生のお母さんに誘われて、地元は北斗市ですけど、その当時大野町の 大野YOSAKOI乱舞如来⁴⁾っていうチームに入ったのが1997年か8年くらいで。それまでは「YOSAKOIソーラン知ってる?」と言われると、地元チームが地域のお祭りで踊っているのを見る程度ですかね。
 今でこそもう道南ってチームほんとに数が1桁になっちゃったんですけど、私が関わり始めた頃って渡島と檜山に分けられて渡島だけで20~30あった時代だったんですよね。だからもう既に賑わっているお祭りでみんながすごく元気に楽しそうに踊ってるよねっていうところからのイメージの方が私は強いです。すごくみなさんがある程度頑張ってすごく盛り上がってきて、これから最盛期っていう新琴似天舞龍神とか 平岸天神⁵⁾もそうですし、 極楽とんぼ⁶⁾であったりとか、ほんとに多種多様なチームが出始めてて、すごいワクワクするときに始めた。子供の同級生のお母さんたちから誘われなければ「やらない、好きだけどあんな激しいのはできない」って道路からずっと見てる、そんな感じですかね。

梶)
 それ第6回だと思うんだ。1997年だからね、その前に1回から5回までのYOSAKOIソーランあったの知ってた?

舩)
 やってるよっていうのはニュースで見ていたんですよね。ただ、自分とは別世界だと思っているからそんなのめり込んでニュース食い入るように見ることはないけど。札幌じゃなくて地方なので本当に一部のやってる人たちだけの周知の方が強かったんですよね。
 だから、やっぱり梶浦さんが言った新琴似のように地域の活性化っていうので、大野町って北海道の水田発祥の地っていう碑が立っていて、米どころなんですよね。それを「道南地区だけじゃなくて、北海道の皆さんに知ってもらいたいよね」って言って、私が入った大野の乱舞如来っていうチームも町からのバックアップはすごく大きかったんですよ。だから札幌の大会(=YOSAKOIソーラン祭り)に参加すると、広報活動もYOSAKOIソーランの活動と一緒にやってくださいって(町から)言われて。
  新さっぽろ会場では演舞前後にお客さんが溜まりそうなスペースで町の案内のPR資料を配ったりだとか。それをやることによって町からも幾分かの助成が出るんですよね。そういうのが何年か続きましたよね。ほかの市町村でも結構あったみたいです。途中でだんだん助成が無くなりましたけど。毎年のように札幌行って町のチラシ配ったり、すごくやってました。だから地方のチームはみなさんに地元を知ってもらう、踊りも好きだけどそういう広報活動っていうのも併せてやっていましたね。たぶん田舎のチームは必ずやってましたね。


2)FLAXあさぶ:札幌市北区に拠点を置いていたYOSAKOIソーランチーム。第4回から出場。
3)社會《やしろかい》:新琴似に拠点を置く、神輿を担ぐ会。
4)大野YOSAKOI乱舞如来:道南・大野町(現北斗市)に拠点を置くYOSAKOIソーランチーム。
5)平岸天神:札幌市豊平区に拠点を置くYOSAKOIソーランチーム。公式HP
6)極楽とんぼ:札幌市に拠点を置いていたYOSAKOIソーランチーム。2010年解散。

チームが無くなってしまう理由と現状

梶)
 それぞれの町の予算が無くなってきて、何から削るか考えたときにこういうの(YOSAKOIソーランの活動)から削られていっちゃうんだよね。
 俺も最初チームを立ち上げて、いろんな地域と関わろうと思ったんですよね。それはなぜかと言ったら、YOSAKOIソーランが始まるまでは新琴似っていう地域を知らない人が多かった。札幌市の中でも知らない人はいたかもしれないし、ましてや全道なんかは知らない人はたくさんいるし。札幌市は北区とか東区とか西区とかわかるだろうけどその中にぶらさがってる地域もたくさんあるわけだから。
 例えば大野町の○○町までは分かるわけ無いんだから。それと同じで新琴似もそうなのさ。でもやっぱり何とかして新琴似の名前を広めたいっていう思いもあったもんだから。今YOSAKOIソーラン祭りに1996年に108チーム参加したのね。前の年から数えたら倍以上、そこから倍、倍ってなっていったんだけど。その中で「いろんな地域と交流したいな」って思って、チームもそうですし。
 そんなことでチームができた当初からいろんな地域を回って踊りに行ったんだよね。48から108チームになった時はかなりのチーム数になって全道に広がってるから。今言ったように自分たちの地域の活性化だとか地域の特産物をアピールしたりだとか、チームの立ち上げするときもなんでか分かんないけど色んな地域にアドバイスもらえませんかって最初から言われていて、俺だって1年か2年しか経ってないから的確なアドバイスはできないんだけど、いろんなチームが立ち上がってんだよね。その「こうあるべきだ」とか「ああした方がいい、こうした方がいい」とか、そういうアドバイスをいろんな地域にしに行ったことがあるんだよね。自分たちの交流も含めて。そこの地域・チームと親しくなれるから、そうやってどんどん関わっていったんだけど。
 チームどんどん増えていったけど、それぞれの地域から助成金をもらってできてるチームがほとんどではあったんだよね。今は179市町村だけど、 212市町村⁷⁾だったよね。212市町村の中でどれくらいの数の地域からYOSAKOIソーラン祭りに参加してたかわからないしょ?わかるわけないよね。約180市町村。ほとんどの町からYOSAKOIソーラン祭りに参加してるの。
 各地域がさ、非常に盛り上がってるYOSAKOIソーラン祭りに参加しないと乗り遅れてるって雰囲気がでてきて、地域おこし、町おこしのための、地域の宣伝とかそういうのも含めて絶好の場面だなということでいろんな地域がそう感じたんでしょうね。そうしたら行政も「うちの地域にも作ろう」ってなってくんだよね。そこで誰が要になるかってのは地域毎で見つけてるんだと思うけど。まず各地域から助成金をもらって作ってくんですよ。逆かもしれない。作ろうと思ってつくって行政にお願いを言って(助成金を)もらおうとした人もいる。最初から行政から「(助成金を)出すから作んないかい」って言われて作る人もいる、どっちもいるんだよね。
 でも俺はいろんなとこ回って、行政からもらえるのもありがたい話だし、地域まちおこしだし、地域のためにPRするのも必要だから地域から助成金もらうのも当然だと思っていたけども、僕らが行ったときは「行政の資金をあてにしてチームを作っていったら長持ちしないよ」って言ってきたんですよ。やらされてるんだったら続かないと思うんだよね。自分たちでやるんだ、そのために地域も応援してくださいよと。っていうことで、全面的に行政から支援してもらうと後続かないと思うね。
 それをどんどん色んなとこに言ってたんだよね。我々は札幌だからさ、行政からもらえるわけないよね。だから、自分で努力しなきゃないのさ。自分で努力っていうか新琴似のチームだからさ、新琴似のみなさんに協力してもらわなきゃいけない。新琴似の中に行政は無いからね、新琴似に住んでる人とかさ、新琴似で商売してる人たちとか、一軒一軒回って協力してもらってチームを立ち上げて。今もそうだけどね。26年間ずっと最初から地域の皆さんにお世話になって成り立ってきてんだけど。
 例えば大きなスーパーだとか、パチンコ屋さんだとかが新琴似に新しく出店したらそれはすぐ飛びついていくよね。みなさんも新琴似で商売するわけだから。「その新琴似にいるYOSAKOIソーランのチームなんで当然みなさん協力してもらえますよね」って。こうやって上から目線じゃないけどね、とっかかっていって、自分たちで開拓してチームを維持している。行政からもらってやってたとこはどんどん無くなってきてるから、札幌以外のチームがある地域、何市町村あるか数えてごらん。たぶんね、30ないと思うよ。なんかそういうのやってないの、何地域からチーム出てきてるかってやったことある?ちょっと今度やってみてよ、俺これ知りたい、今何地域あるのか。

舩)
 たぶんうち去年のオンラインのフォーラムのときに道南の方の移り変わりでそういうマップを流したような気は無きにしも非ずだけど…
 田舎町でも、「えっ、こんな町なのに2チームあるの!?」ってのいうがあったんだけど今は…。今は本当に数えるのって…。函館市と森と1つしかないの。

-北斗市もないんですね(髙田)
 そう、北斗市もないの。北斗市も昔、私がいた大野町ってとこと合併した上磯町と…

-私出身七飯なのでわかりますよ~(髙田)
 あっ、わかる!昔七飯だってあったのよ。わからないか、七飯のチーム時代…。七飯はチーム名変えたんだよね、本番は 酔紗恋よっしゃこい七飯あかまつ⁸⁾で、最初は 七飯あかまつ華舞樹かぶきっていって赤と白の歌舞伎の獅子の被り物があるんだけど、これを用いてできたチームが最初かな。そこのチームが一回チームの方向性変えるって代表が変わった月に酔紗恋七飯あかまつって名前に変えて、そういう流れだったの。だからまあやってる人たちもね、結構その当時はいたんだよね。

7)212市町村:昭和48年12月1日から平成16年12月1日まで。平成21年10月5日より179市町村となった。(https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/2/3/4/4/9/1/6/_/hensen.pdf)
8)酔紗恋《よっしゃこい》七飯あかまつ:道南・七飯町に拠点を置くYOSAKOIソーランチーム。

今チームがある地域の数…

梶)
 石狩は石狩でひとつでしょ。江別、千歳、当別、恵庭、北広島、夕張、滝川、岩見沢、妹背牛、小樽、余市、茅部、函館、室蘭、伊達、安平、登別、平取、旭川、名寄、和寒、東神楽、枝幸、稚内、斜里、網走、北見、大空、幕別、帯広、音更、広尾、釧路、ほら、35だ。35ちょっとしかいないわ。

舩)
 キャー!(笑)
 地方のチームを維持するのって本当厳しいのよね。

梶)
 179市町村の中で35地域、札幌入れて36だよ。

舩)
 助成金がなくなっても頑張るところは頑張るんだけど、これがまたね、盛り上がりと引き際の早いところがもう…。

梶)
 あと役場の人が関わって助成金をもらって、っていうのもあるからそういうとこはすぐ、部署変わったらその人じゃないから、中でね、次の人に引き継げないんだよね。そういった形でダメになっちゃって、本当にもったいないことなんだよね。だから地域に1チームは何とか残してもらえる状況だったらいいけど、リーダーも、熱とかお金が出なかったら自分たちで維持できないとかなっちゃうから、なかなかそこは頑張りようがないんだよね。
 そんなことでね、どんどんチーム数が減ってきてるし、179市町村で36地域しかないんだから、ほんとはこれからもそれぞれ地域でYOSAKOIソーランの火を消さないように、何かしていかないとYOSAKOIソーランには興味なくなってくるよね。そしたらYOSAKOIソーランを応援するっていう気持ちも無くなってくるよね。関係ないことをやってることになっちゃう。ましてや今テレビもやってないからね。
 そんな状況ではあるから、ここは何かしら、今はそこの地域に昔やってた人いるわけだから。辞めたけどいるわけだから。そういう人たちとこれからも繋がっていって、コツコツやっていって、YOSAKOIソーランまだあるよ、頑張ってるよっていうのを見せていく必要はあるよね。

昔行われていた地域での活動

舩)
 地方は地域ごとのお祭りがあるので、その中のアトラクションで声かけていただく。特に夏から秋口の祭りにかけては、「〇〇さん今回来てくれますよ」っていうようなお祭りの目玉にもなるんですよね。だからそこめがけて頑張りますし、介護施設であるとか、老人福祉関係のところで踊ったり、お勤めする人が増えてくると、踊り子さんもそこにいる(働いている)ので、ちょっとお年寄りが喜んでくれるような、軽い感じでYOSAKOIソーラン見せてほしいんです、っていって声かけられることも多かったですよね。
 おしまコロニー⁹⁾っていう知的障がい者施設があるんですけど、そこの秋祭り、収穫祭ってことでお祭り家族皆さん呼んでやるときにYOSAKOIソーランもやると、普段そんなに激しい踊りを見る機会もほとんどない中で厭世の人たちがYOSAKOIソーランを見ると気分がすごい上がって乱舞でもほとんどが乱入して一緒に踊るくらい、そういう人たちの年に一回楽しめる、障がいのある人も問題なくなる、こうやって(鳴子を振って)音を鳴らせば楽しい音が鳴って踊り子さん踊ってくれるよ、こういうので重宝がられてたっていうのはありますよね。檜山も昔びっくりするだけチームがあったのに檜山は今一切チームがないので、何年か振りにYOSAKOIソーランが見たいといっては1チーム2チーム声かけていただいて、もちろん梶浦さんのところも…

梶)
 今までやってきた人たちが、隣に住んでいても来るんだよね、YOSAKOIソーランが来るって言ったらね。自分がやってきたってこともあるんだろうけど。
 札幌に関しては当初札幌でYOSAKOIソーラン祭りがあるから支部大会はだめです、ってことだったんだよ。当時は札幌で大々的なお祭りをやるんだから、札幌のそれぞれの地域で支部大会をやってもらうと、札幌の本祭の価値感が下がるというかね。札幌、あれがメインだっていうことになってから、札幌の支部大会やれてなかったんだよね。でも札幌は広いし、色んなとこでイベントあるし、我々だったら地域に夏祭りも結構あるから、地元の見せ場になってるから出なきゃいけないし。
 コロナでイベントも無いけれども、コロナが始まる前までは1年間に100回くらいイベントあって、全盛期は190回とか180回とか。冬はほとんどないから、12月くらいで一回落ち着くんだよね。あとはずっとイベントだったのさ。だから190回って言っても190日もないんだよね。1日に4件も5件も行ってるんだよね。バスでどんどん移動して先方と時間決めて。それぞれのイベント場所で打合せしないといけないし。
 自分たちから「イベント出させてください」って言ったことないの。20何年間で「イベント出させてください」って言ったこと1回もない。全部依頼だよ。でもその中で「なんかよく分かんないな」って思ったり、重なっててどうしても無理だなって思ったりするから、1年間に何十か所はキャンセルしなきゃいけない。チームの運営としてもね、踊り子の会費もそうだし、地域の人から協賛金をもらうのもそうだし、イベントの出演料、その3つで成り立ってるから。年の初めに予算組むとき、イベントの予算組めないんだよね、何件来るかわかんないから。何件来るかわかんないけど、大体このくらいの予算来るだろうってやるけど。ずっと100件くらい?本祭以外はそういう活動してますよね。

9)おしまコロニー:現在は「ゆうあい会」と名称を変えている、北斗市に拠点を置く知的障がい者施設を運営する法人。公式HP

本祭に対する認識

梶)
 1年の活動の中で一番大きいお祭りはYOSAKOIソーラン祭りだけど、地域のお祭りや、本州のお祭りにも年に何回か行くし、でも1年のメインイベントはYOSAKOIソーラン祭り。本州なんかは最近のこの5~6年はそうでもないけど、前は毎月本州。踊り子たちも毎月行かなきゃいけないの。7,8,9,10,11くらいまでかな。まあ大変だ1年(笑)。

舩)
 さっき彼女(髙田)と話したら地元の道南の子(七飯町出身)だったんだよね。でも昔自分が住んでた地域にYOSAKOIソーランのチームがあったの知らなかったって。最初に七飯あかまつ華舞樹っていう赤と白の獅子の歌舞伎のかつら被ったチームがあって、そこから紆余曲折して次の代表にかわったときに酔紗恋七飯あかまつっていう名前を変えて、ずっと活動してしてたんですけど。もう知らない世代の子がいるんだと思ったら、やっぱりちょっと感慨深いというか、時間ってすごいなって思って。

梶)
道南考えたら、無かった地域探す方が大変でしょ?

舩)
そうですそうです。本当に奥尻まであったので。道南は基本全部の市町村に必ず最低1チームはあったんですよ。それが道南どこにチームあるのって言ったら函館がメインで森町に1チームあるだけなんですよね今。悲しくなっちゃうよね(笑)。

地方のチームに思うこと

梶)
 地方で頑張ってるチームにはね、頑張ってもらいたいと思うよね。だけども札幌だってそうなんだよ。札幌はいいよねって地方の人は言うけど、人も集まるから。お金も集まると思うのかわからないけど。そんなことなくて。YOSAKOIソーランやりたいと思う人は、もう過去にやってる。30回もやってたら、やりたいと思った人は、ピークは第10回の408チームだから。大体の人は経験してる。
 これから新しく、初めてYOSAKOIソーランやりますって人いたら本当に珍しい。若い人はわかんないけども。なかなかそんな人いないわ。うちに入ってくる新人も、どっかでやってましたとかね。大体経験者。「YOSAKOIソーラン初めてです」って人なかなかいないんだよね。YOSAKOIソーランを経験する人口は限られていて、そんなにこれから増えないと思うんだよね。

なぜYOSAKOIソーランに興味がある人が減ったのか…

梶)
 なぜYOSAKOIソーランが始まった頃こんなに盛り上がっていったんだろうなって思うよね。北海道にはこういった誰もが参加して感動を得られるような、自分が参加して感動を得れるようなお祭りがなかったからなのか。神輿なんかは自分でやりたい人がやるお祭りだけど、地域のお祭りにしたって、神社で関係者がやってるのをみるだけとか。参加して自分がヒーローになれるようなね、札幌のこんな大都会の中で注目されて拍手もらって。そういうのがやっぱり感動を得られたっていうことでみんなが参加したいと思ったと思うんだけど。
 その頃の人たちも今の人たちも何かが変わってるわけではないと思うんだけど今の人たちはなかなか参加してくれないよね。YOSAKOIソーランっていうのはあるもんだ、って思ってて自分が今更参加するものではないと思ってるかもしれない。もう成り立っちゃって。前からYOSAKOIソーランやってる人はやって、なんも関係ない人は自分の趣味があって、自分のやることではないみたいな。そういう風になってきてるのか…。時代とともに趣味が変わっていく。
 なぜ今ね、やりたい人が前みたいにいないのか。魅力を感じないのか。そこはやっぱり原点に返って考えていく必要があるよね。これからでも遅くないし、「YOSAKOIソーラン祭り参加してみたいな」って思うようなお祭りにしていかなきゃいけないと思うんだよね。今までの流れを汲んでなくてもいいと思ってる。今まで時代があるからね。次の時代に向けて違ったYOSAKOIソーラン祭りを作っていく必要があるかなって思うんだよね。 高知のよさこいも60何年やってるし、 徳島の阿波踊りも300年も400年もやってるし。同じことずっとやってきてあれだけ続いてきてるんだけど、その中でも右往左往されてきたと思うんだよね。
 高知だってね、札幌が始まる頃は30何回くらいかな。一時は地域の活性化のために盛り上がって、商店街をあげて、いろんな企業がそろってやってきたような祭りだけど。札幌ができた頃には確か50チームくらいまで減ってたんじゃないかな。それはもう飽きられてきたというか、今のYOSAKOIソーランと同じような。ここに激震があったのは、札幌にYOSAKOIソーラン祭りができた、偽物ができたみたいなさ。「なんなんだあの人たちは自分たちの真似して、鳴子持ってやってるけど全然 よさこい¹⁰⁾じゃないぞ」「よさこいの名前使ってほしくないみたいな」そういう声あったんだから。その時に、自分たち負けてられないぞと高知の人思ったんだわ。そっからまた盛り上がった。
 その時そんなに審査とかなくて、前夜祭っていうの設けてそこで審査をし出して、参加するチームの順位を決めるようにしたんだよね。それは札幌が順位を決めて盛り上がってるから。何か改革しなきゃいけないと思ったからやったと思うんだよね。札幌ができたから、「札幌に負けてたまるか」って気持ちで、「俺たち本場だ」みたいな。そんなことからどんどんまた盛り上がっていって今に至っていると思うんだよね。だから札幌もなあなあとしてやってたらジリ貧になってくと思うんだよね。別に 名古屋(にっぽんど真ん中祭り)とかと比べる必要もないからね。あれはまた違うものだと思ってるから。まあ高知の人も言ってたと思うんだ。札幌のやつは違うものだからって。

10)よさこい:高知は「よさこい」、北海道は「YOSAKOIソーラン」

これからYOSAKOIソーランはどうるべきか

梶)
 この辺で何か考えてね、また違うYOSAKOIソーランに向けて、40回、50回、60回って続けていくために。ちょうど今過渡期に来ていると思う。今やってる人たちで終わったら終わるからね。次の世代に繋げなきゃ。だって高知で60年になってるわけだから、20歳の人は80歳だからやってるわけ無いんだよね。でも次の人、次の人ってバトンタッチされてやっていってるわけだから、そうやって繋げていくことを考えなければいけないなって思うね。だから時代を見据えていろいろなことを考えていかなきゃいけないんじゃないかなって俺はちょっと思ったね。
 自分のチームでもそうなんだよね。30回のうち26回参加してるでしょ、毎年やること決まってるんだわ。12月くらいまでに曲作って、踊り作って、2月くらいからメンバー集めて練習して。決まってるんだよね、いつまでにこうしなきゃいけないとかね。これは作っていく過程ではそのスケジュールが必要なんだけど。なんか決まっててつまんないっていうか。ずっと同じことして、6月の本祭に向けて色々なスケジュール立てて。はいYOSAKOIソーラン祭りです、はい終わりました、みたいな。こなしてるっていうかね。こなしで続けてるみたいな。これじゃやっぱりだめだなって思ってね。踊り子たちがいなけりゃ成り立たないから、踊り子たちもいろんな趣味もあるからどんどん辞めてくさ。YOSAKOIソーランだけが趣味じゃないから、色々なことやりたいと思うから辞めていくけど、やっぱり関わってたら楽しいなと思わなきゃいけないし。YOSAKOIソーラン祭りが楽しいと思えないと、踊り子たちは辞めていっちゃうと思うんだよね。次の世代も、若い人たちもいつかやってみたいなって思えるような何かをその都度考えていく必要があるかなって思うね。今やってる人たちで完結してたら終わるからねそろそろ。

YOSAKOIソーランと子供たち

舩)
 ジュニアのチームで頑張ってる子たちって結局中学校までなので、高校に入った時点でその子たちが「まだ続けて踊りたい」って思えるようなチームであったり、そのジュニアが大人のチームも持ってたら「大人になってもそのままメインで踊りたい」っていう風に持っていけるのが理想ですよね。うちは最初大野で踊ってたんですけど、上の子が高校に入る時点でずっと地元のチームしか知らなかったから、自分が昔から憧れてた 函館 躍魂 はこだておどるたましいいさり¹¹⁾で踊りたいって言って上の子はいさり火で。下の子はいさり火で踊ってた人たちが、自分の子供たちを踊らせたいって言って 夢限舞童むげんぶどう¹²⁾っていうジュニアのチームを作って、たまたまうちに声がかかって見学に言ったら心掴まれちゃって「踊る!」って言って。
 一時わたしは2チーム送り迎え掛け持ちだったんですけど。心が熱くなって踊りたいっていう子供の気持ちをいかに維持するかというか、魅力的なチームであってそれがずっとその先まで続くかというか。お姉ちゃんはいさり火だけで終わってしまったんだけど。下の子の時はジュニアで中学卒業したら終わりだったんだけど、いさり火や他のチームにはいかないけどYOSAKOIソーランやりたいっていう卒業生が残ったんですよね。それをみた代表が、「一定の人数いるから大人のチームもやってみるか」っていって数年やったのが 夢限舞童「伝想連」¹³⁾。うちの子が高1のときにはなくて、高2高3と札幌で踊り、地元でも踊り、もうそれで辞めるのかなって思ってたけど、保育園のときからYOSAKOIソーランやってて、YOSAKOIソーランのおかげで受験合格したんだよね(笑)。北海道医療大に進んだんだけど、AO入試で自分がYOSAKOIソーランをどれだけ頑張ったか言ったら入ったので、「あんたのYOSAKOIソーランの功績大きかったね」って笑って言ってたんだけど、結局大学も4年間踊ってたんですよね。
 ずっと地元の大野のチームで子供だからいいよこのくらいで、っていうやんわりとした踊りの中から、戦うような夢限舞童に入り、もちろん天舞さん(=新琴似天舞龍神)ともジュニアの大会で競争させてもらってるし、そこで終わるのかなと思ったら、 医療大まで行って踊るって、昔から強かったチームだったので1年目はだめだったけど2年目3年目4年目はファイナル上がらせていただいて、やっぱりあそこで踊らせていただくと、モチベーションもぜんぜん違うし看護師を目指してたから実習もあるし、練習にもなかなか行けない。
 今年で辞める辞めるっていいながら結局4年踊ったので、やっぱり好きだと思うんです。それがじゃあ今どうなのって、社会人になるととてもじゃないけど自分の仕事を考えた時にはできないって言って。やっていなくても、毎年「今年はどこのチームが良さそうなの」って聞いてくるから、辞めた人間でもYOSAKOIソーランのことは忘れられないっていうのはどっかにあると思うんです。うちの娘たちはジュニアの夢限舞童で頑張ってるときには天舞さんの 子龍隊(=新琴似子龍隊)¹⁴⁾もそうだったし、平岸天神ジュニア¹⁵⁾もそうだったし。あの当時ってジュニアはすごい活気が溢れてて20数チームとかジュニア大会に出てたので。バラエティーですよ。保育園の子たちがかわいく楽しく踊るのもあれば、きっちりしっかり魅せてくるのもあるし。周りの子供たちも負けん気強くて何が何でも上に行きたいっていう子たちもいるし。様々だけど、そういう子たちが頑張ってたからある程度続いてチームも残って。

梶)
 今はまだそうでもね、当時の子供たちが、活気あった子供たちがチームにいたりするから。この先はちょっとわからないね。うちのジュニア大会に当時は深川でやってたっけ。あの時は6連覇とかしてるんだよね。その当時出てた子供たちが今33、34歳なんだわ。今もやってるんだわ。今度、その人たちの子供が入ってきてるんだわ。今1年生とかね。来年(小学校に)入ってくるとか。そうやって繋がっていくといいんだけど、子供たちなかなか入ってこないんだわ。子供たち入れないとどうにもならないんだよね。YOSAKOIソーラン続けていくためにはさ。

舩)
 子供が続くともれなく家族がくるのね。黙って親は見てるんだけど、ちょっと楽しくなると、動くのが嫌いじゃなければ意外と親もやりだすのよね。函館のチームって家族で、っていうスタイルがまだなんとか維持できてるからチームが成り立つけど、家族全員が抜けちゃうと、大幅に人がいなくなるっていう現実もあるので、梶浦さんが言うように、今いる子供をいかに続けていくか、またジュニアで興味をもってやらせるにはどうしなきゃいけないのかなっていうのはすごくもしかしたら…。

梶)
 これからの課題だよね。やっぱりこう10年20年前の子供たちとは環境も変わってきて親との考え方も変わってきてるから、「YOSAKOIソーランで」、っていう親の考え方がだんだん薄れてきてるっていうのもあるから。
 YOSAKOIソーランでも学べることってたくさんあって、YOSAKOIソーランやってたからよかったってこともたくさんあるんだけど、そこは経験しないとわかんないし。ちょっと反抗している子供たちも組織の中に入れてガチっとやると、ちゃんと真面目にやるし、更生されたっていうのもあるから、そういう意味ではね、学びの場としては素晴らしいとこはあるんだけど。最近の親御さんは学力の方にどうしても行っちゃうから、勉強するためにそういう遊びしてられない、みたいなね。そういう考え方が多いのかなっって思ったりするけど。
 でも野球やってる子とかはやってるし、野球なんて子供がいないと成り立たないし。子供の数は全体的に少子化で減ってるから、なかなか昔みたいに集まらないかもしれないけど、そういういろんなジャンルの中でYOSAKOIソーランも子どもたちが参加できるような、工夫していくしかないと思うんだけど。YOSAKOIソーランもさ、子どもたちがメインになる場面が8丁目ステージにできたりしてきて、あそこで踊って自分たちが感動するってことは、やってないとわからないことだから。いかに関わらせるかっていうことが大事だと思うんだよね。組織委員会もそうだし、各支部もそうだと思うんだけど、いかに子供たちを育てて入れていこうと思うけど、なかなか集まらないよね。

舩)
 そうですよね。学校の運動会のお遊戯の演目でYOSAKOIソーランを取り入れてくれて、一応やってるわけよね。だけどやっぱりそこで終わっちゃう人が大多数なのかなっていう。昔よりもYOSAKOIソーランの楽しさを見る機会も減ってきてると思うので、そこをなんとかうまくもうちょっとうまく子供たちに伝えることができればいいのになっていうのは。
 それこそ梶浦さんたち、今もそうですけど、ほんとうに盛り上がってた時期ってきらびやかなチームで、すごくたくさんのチームがいて衣装がすごくてっていう、その時の先入観が抜けてない人がいるからYOSAKOIソーラン楽しいよって、鳴子あればできるんだしってなったとしても、でも札幌行くならお金かかるんでしょ、衣装代もかかるんでしょ、って。YOSAKOIソーラン=お金がかかる っていうのが未だに抜けてない人が多くて。確かに昔もかかるときはかかるけど、部活で野球やろうがバレーやろうが、自分の趣味で習い事を外でやろうが、結局かかるじゃない。一度にどっとかかるのか、毎月だらりとかかるのか、その違いで、年間のトータルでは変わらないと思うし、できる範囲でいいんじゃないって。
 最低限子どもがみんなの前で踊りたい、おじいちゃんおばあちゃんも見たいって言うんだったら衣装と鳴子で頑張ってくれれば、わざわざ泊まりの遠征までどうしてもいけないならそれはそれで家庭の事情で仕方ないんだけど。もうとにかくYOSAKOIソーランをやるには年間10万近くの金を用意して常にお金が出て行ってみたいな。
 親が楽しいと思えば送り迎えも苦にならないけど、子供の趣味で親の気持ちがついてこないと、イベントにしょっちゅう送り迎えしてたら私の休みがないわよね、って親の気持ちも変わってきちゃうんだよね。私は子どもたちと一緒に動いていて、子どもが楽しそうに踊っているのをみるだけで幸せで「ああ~いいねえ」って思ってたんだけど、やっぱりみんなそれぞれ考え方が違うので、なかなかそうやって一生懸命同じように子どもたちとやろう、って考える人も若干減ったのかもしれないし、うちはYOSAKOIソーランじゃなくて空手一本で目指してますから絶対無理なんですみたいな、そこが徐々に変わりつつあるのかな。選べるものが増えすぎちゃったのかもしれないし。
 お手軽だったはずなんだけどね。だってイベントで「さあ皆さん最後に入って踊ってください」っていうとどれだけ子どもたち、ちっちゃい子が喜んで走って真ん中で踊ろうとするか、「鳴子貸すかい」って声かけると嬉しそうにその鳴子持ってお母さんの目の前で踊る子とかいたから、あの感情がずっと続くようにできたらまた違うのかな、これからどういう方法でそういう子たちを獲得すればいいのかなっていうのはすごく思いますよね。札幌でこれだけ大変なんだから、田舎町だとほんとうに大変なのよ(笑)。

梶)
こうやってYOSAKOIソーランを考えたり誘致って子どもだけでなくてね、YOSAKOIソーランを魅力あるものにしていかないとね。

舩)
でも見る機会がないと、その人の気持ちに訴えかけられないじゃない、普段気にしないとわざわざ自分から進んで映像見ようとか思わないわけだから、やっぱりつねにどこかで見れて興味を持ってもらえるように、生で見ていただく機会ってすごく必要ですよね。今残念ながらコロナで(その機会が)ないんだけど。


11)函館 躍魂 《はこだておどるたましい》いさり:函館市に拠点を置くYOSAKOIソーランチーム。
12)夢限舞童《むげんぶどう》:函館市に拠点を置くジュニアチーム。
13)夢限舞童「伝想連」《むげんぶどうでんそうれん》:函館市に拠点を置くYOSAKOIチーム。上記ジュニアチームの前身である。
14)子龍隊(=新琴似子龍隊):札幌市北区に拠点を置くジュニアチーム。新琴似天舞龍神と共に活動
15)平岸天神ジュニア:札幌市豊平区に拠点を置くジュニアチーム。平岸天神と共に活動。

チームが抱える“危機”

梶)
 このコロナでチーム大ピンチだともいますよ。お金もないだろうし、メンバーもYOSAKOIソーランのない生活に慣れてしまって。「実はYOSAKOIソーランって結構大変だったよね」ってね。「今、楽だな」みたいなね。「またあの大変な思いしたくないな」とかさ、そんな感じだと思う。ここを何とか踏ん張っていかないと。
 うちだってね30~40人いるったってね、ぽろぽろ抜けてくんだよね。じゃあ150人にするためにどうやったら集まるのかなって考えたら、んー?って思っちゃうよ。踊り子たちは、大変な思いしてるから、大変なこと友達にさせないんだよね。ただ、残っている人たちは何かしら楽しいから残ってると思うんだよね。友達ができることが楽しい、イベントが楽しい、普段みんなとコミュニケーションとれるのが楽しいとかね。そういうのがあるから、まだ残れているんだと思うけど。これから新しい人をどうやって取り込むか、YOSAKOIソーラン全体として何か参加したいと思えるようなものをつくらないと、チームは続かないし。さっきも言ったけど、もう出来上がってるお祭りだから、自分たちが新しく作って参加するものではないっていう考え方にとらわれてる。YOSAKOIソーランってのは、世の中にあるものだけど、自分たちがやろうとするものではないっていう感覚になってきているかなって思うね。

支部長に関して

梶)
 1998年。俺は最初から支部長。一回も変わったことはない、他の支部は代わってるけど(笑)。みんな次の世代、次の世代ってどんどん変えてっているからね、変わっていくのも必要かなって思うけどね。

舩)
 昔のことをわかっている人がいてくれることはすごく心強いので…。続けるって大変ですよね。色んなチームをみてくれて、理事もやっていただいているけど、上の違う目線からの立場からYOSAKOIソーランを組織委員会とともに支えて頑張りましょうっていうのと、支部長っていう立場から各北海道内の支部長と意見交換して気持ち一つにして頑張っていこうっていう2つを抱えなきゃいけないのはすごく大変だと思うんですよね。経営者でもあり従業員でもあるっていう。そこをバランスとりながらやってくれる人が最低1人いる、もう一人の理事が坂野支部長ですけど、そういう方たちがいないと全員が代替わりして何もわからないというよりはそういう人たちがいなきゃ組織って保っていけないと私は思っているので。

梶)
 いろんなことで「代替わり代替わり」、というんだけども。代替わりは絶対ないと次の人につながっていけないから必要なんだけど、YOSAKOIソーランに限って人を見ていると、代替わりしているチームはいろいろあるんだけど、そうじゃないのかもしれないけど、創った人の熱い思いと引き継いだ人の思いの温度の差が激しくて、引き継ぎましたといえども引き継げてないんだよね。形は引き継げても、気持ちが違うから。
 どうもね、引き継いでいくとどんどん薄れていく。だんだん薄れていってダメになっちゃった、みたいな感じが多いかなって。もしかしたら(後が)育っていないのかもしれないし。うちもそうなんだよね。ずっと変わんないのさ。変えようと思った人たちがつぶれていくわけじゃないんだけどね。
 最初の人の熱い思いがあったからYOSAKOIソーラン祭り、それぞれ地域で盛り上がったんだわ。道南は道南の支部で盛り上がったし、旭川は旭川の地域で盛り上がったし、そこの代表たちが出てきて支部長会議だからね。激動なんですよ、意見がね。でも今はちょっと意見もないというか、議論をする内容もそんなにないというか(笑)。当初さ、 長谷川¹⁶⁾vs支部長だからさ。さあ、今日も戦うぞみたいな。熱い思い、責任あるのさ。支部もそうだしチームもそうだし。みんなを守っていかなきゃないから。1チームの考えだけじゃなくて、支部のことも考えながら、支部長としてでてきてるからね。地域の代表ってことだからね。次の世代につなげるのも本当に難しいわ。
 続けるって大変なんだよね。年とともに(仕事での)自分の立ち位置とかも変わってくるわけだから、それだけやりたいと思ってもできない人出てくるし。
 高知のようにお祭りだけでみなさん集まって、ってできるならまだ良いんだけど、YOSAKOIソーランは1年中活動してるから。高知はお祭りのための練習で、終わったら解散だから。お祭りのために地方に出てった人も戻ってやるとか、お祭りだけ楽しめればいいなって思う人も多いんだけどね。チームを運営している人はまた別かもしれないけど。YOSAKOIソーランに関わってる人は、何かみんなでやりましょうって言ったときに結束するんだわ。同じ志を持った人ばかりだからね。そういう人たちがせっかくいるんだから、30回を40回、50回、60回にしていくためにはそういう人たちが結束して、続けていくことを考えなきゃいけないかもしれないね。 

16)長谷川:長谷川岳さんのこと。YOSAKOIソーラン祭りの創設者。現在は参議院議員。
---------

取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
北海道大学3年 澤田理子(取材時)
北海道大学1年 髙田冴花(取材時)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?