見出し画像

YOSAKOIソーランの軌跡~思いを繋ぐ~  村元秀之さん


プロフィール


 ー自己紹介をお願いします。
 
 
村元秀之と申します。今は、今年(2023年)新しくできたYOSAKOIソーランチーム、BASARA¹⁾の顧問をやらせていただいてまして、その前は1999年から去年2022年までGOGO’S&クワザワグループ²⁾の副会長をしておりました。それで今年の2月でチームを閉じまして、今年のYOSAKOIソーラン祭りからはBASARAのお手伝いをしているという感じです。

 この3月で小学校の校長を退職しまして、それまで小学校の教員としてもYOSAKOIソーランに関わったりしていました。結局踊り子で5年、チーム運営やMCとして20年。ですから25年間YOSAKOIソーランに関わってきたことになりますね。

1)札幌市に拠点の一つを置き活動するYOSAKOIソーランチーム。2023年に結成。
2)札幌を中心に活動するYOSAKOIソーランチーム。2022年活動を終了。

 ー始められたときは踊り子でしたか?
 
 そうですね。当時白石にあったエグザスっていうスポーツクラブに通っていたんです。そこにGOGO’SというYOSAKOIソーランチームが、スポーツクラブ内のサークルとしてあったんですね。ポスターを見てこういうのがあるんだなって知りました。

 当時YOSAKOIソーラン祭りがちょうど4回目くらいですかね、中継をテレビで見る機会はたくさんあるなかで自分は直接会場に見に行くっていう感じではなかったんです。でも「楽しそうだな、大人の部活だな」という感じがありまして、顔を出しました。そしたらチームを実際に作った代表が、実は同じ小学校の教員で、私の友人だったんですね。「村元くんもよさこいやる?」って声をかけられたのがきっかけですね。本当に縁があって。

 ースポーツクラブに通われてたということは運動がお好きだったんですか?
 
 運動として音楽に合わせて体を動かしたりとかは好きでした。衣装着てお客さんの前で踊っている映像を見ていて、「楽しそうだな、自分もできるのかな」っていう思っていましたね。

 この25年間、踊り子として、MCとして、チームを運営する立場として、学校の運動会でYOSAKOIソーランを子供たちと一緒にやる立場として、YOSAKOIソーランに関わってきましたね。教育委員会にも勤めていたことがあるので、そういう立場から子供たちや先生にYOSAKOIソーランの良さをわかってもらうにはどういうお手伝いができるかなと考えてきた25年間だったかなという気がします。長くやっているだけありますね。

 ーいろいろな面で関わられているんですね。
 
 そうですね。お二人も大学に入って学生実行委員会に入ってってことですよね。踊られた経験は?

 ー小学校の運動会で南中ソーラン節³⁾をやりました。
 
 そうですか。どこで、どういう期間にYOSAKOIソーランに触れるかって人によって全然違うじゃないですか。幼稚園・小学校で終わっちゃう人もいれば、大学入って、そういえば小学生の時踊ったなって思って大学生のチームに入ったり。久保さんのように昔踊ったことがあるから実行委員になって支える側として関わる方がいたり。僕なんかはチームに入ったのは33か4くらいですから、仕事もして社会人になってから自分の趣味としてYOSAKOIソーランに携わるようになってる。だから長くできているのかもしれませんね。大学生だったら大学生の時だけで、就職したら北海道離れちゃったりとか環境が変わったりとかもありますから。
 
 もう来年3月で60になりますけど、こうやって子供とか学生実行委員会・組織委員会の皆さんとか、若い人たち…たくさんの年代の方とずっと関わることができることがありがたいし、元気もらってます。うちのチームも10代とかいるんですよ。

3)民謡歌手の伊藤多喜雄が北海道の民謡であるソーラン節をアップテンポにアレンジした曲を用いた踊りの通称名。北海道の稚内市立稚内南中学校の教員と生徒が考案した事が名前の由来。小学校の運動会等で踊られることも多い。

 ー踊り子さんからMCに変わるのには何かきっかけがあったりしましたか?
 
 やはり仕事が忙しくなったのがありますね。始めた頃は仕事かYOSAKOIか飯食ってるか寝てるかというような日々でした。自分たちで振り付けも作ってましたし、とにかく祭りに参加できるのが楽しくて、目指す作品をつくるためにああしたいこうしたいと没頭していましたから、毎日スポーツクラブに通いやってこれた状況でした。40歳くらいになるとだんだん仕事の方も難しくなり、チームの副会長という形で立場でありながらなかなか練習に顔を出せないことも出てきました。それで、たまたま当時MCをやられていた方がチームを離れるということもあって、自分が引き継いで始めたのがきっかけですね。


 ー毎日スポーツクラブとなると相当エネルギーを使いますよね。
 
 そうですね。でもよさこいに関わってきた人なら、たぶんそういう時期は絶対にあるんじゃないかと思いますね。
 
 YOSAKOIソーランって情熱と創意工夫の塊だと思います。それがそれぞれの立場・年代・関わる人の形になって一つのチームや作品ができてくるわけじゃないですか。それが200チーム300チームあって、参加しようと思えば誰でも参加することができる、手伝おうと思えば誰でも手伝える、見に行こうと思えば誰でも見に行くことができる。そういうところがYOSAKOIソーラン祭りの素晴らしさだと思います。
 
 ただのイベントではなくて、地域・歴史・文化と繋がったお祭りだという価値もちゃんと感じながら関わっていける、そういうお祭りなんだよということを子供達にも伝えながら一緒に踊る。そこがダンスのカテゴリーの中にはあるけどちょっと違う。YOSAKOIソーラン祭りというのは各地にどんどん波及して大きくなってきていますけどもそんな気がしますね。

GOGO'S&クワザワグループ 2016年度作品「大地讃頌~北の大地に幸あれ~」
一瞬で北海道のかたちをつくる隊列移動は練習の賜物


 ー北海道の歴史や文化に根付いたものであるからこそ違うものがありますよね。
 
 そうですね。今高知のよさこいが札幌に来て色んなところで色んな形で進化していく。それぞれいいなと思った人が自分の地域に持っていって、そこの地域とよさこいとの関わりを広めていってそれを楽しむ人が全国に増えていく、そういうのをこの25年でずっと見てきたような気がします。
 
 最初はただ「踊りたい」「いいねって言ってもらいたい」っていう気持ちから入ると思うんですけど、それが今度は「チームのメンバーにやりがいのある作品を踊って欲しい」っていう、チーム運営やスタッフの側の見方に変わってくる。それがだんだん「自分のチームはYOSAKOIソーランの中でどうあるべきなのか」「地域やお祭りの中にチームとしてどう関わっていけばいいのか」っていうところにまで思いが大きくなり…そして色んなところに関わりが広がってくる。
 
 毎年10月池袋で行われている東京よさこい⁴⁾。実は第二回からずーっと参加していた北海道のチームはGOGO‘S&クワザワグループだけなんですよ。池袋の大きなホールに子供達を集めて、GOGO’Sによるよさこい教室をお祭りのプログラムに毎年入れて頂いてたんですね。お客さんと子供達に鳴子を渡してよっちょれを踊るっていうのは17、8年ずーっとやっていました。そのうち北海道から参加するチームも増えてきましたし、本当に全国色んなところからチームが参加するお祭りに成長していきましたね。あの時自分たちは本当に東京で踊れるんだろうかって思っていたのが、ここまで来れてよかったなあって。その次の年は東京よさこいの大賞頂いて。

4)都内最大級のよさこいコンテスト。2000年から毎年10月、池袋駅周辺で行われている。

 ーすごい!!
 
 YOSAKOIソーランが色々広がっていくのを嬉しいなって思ったり色んな所で頑張ってるなっていうのをすごく感じることができた25年かなと思っています。 

YOSAKOIと人と地域、新しいつながり方

 ー繋がりの広がりを感じますね
 
 そうですね。GOGO’S&クワザワグループの活動を閉じたときに、振り付けを「いおり屋⁵⁾」という名古屋のスタジオにお願いしていたんですよ。北海道で初めてYOSAKOIソーランのプロデュースをやってみませんかということでこちらからオファーをして、2019、20、21と途中本祭なかったですけれど、名古屋の皆さんとチーム作りをして。そして2022年コロナ明けの本祭をもってチームを閉じたんですけど、メンバーはまだいるので名古屋の皆さんと札幌で新しいチームを立ち上げませんかという話が進み、今年BASARAができたということです。他にも元GOGO’Sのメンバーは新しく幸輝⁶⁾というチームを立ち上げたり、他のチームで踊っていたりスタッフで頑張っていたりします。
 
 だから今のBASARAは札幌のC-ASH支部⁷⁾所属のチームではありますが、実際に作品を作ったりする事務局の本体は名古屋の皆さんなんですね。もちろん、札幌に行ったりもありますけれども。昔なら、名古屋と札幌で一緒にチームを作るということはできないですよね。でもこのコロナ渦を経てリアルタイムで映像を使って練習をすることが可能になりましたし、飛行機が安くなって行き来しやすくなりました。コロナ渦を経て、さらにGOGO’Sと名古屋の皆さんとの関わりがあって生まれたチームなんです。

5)衣装制作・振付・映像制作などお祭りの総合プロデュースを行っている名古屋の会社。
6)札幌市を中心に活動するYOSAKOIソーランチーム。2022年結成。
7)札幌市内には支部が4つあり、そのうちの一つ。

 ーGOGO’S時代に名古屋の皆さんと関わり始めたきっかけは何でしたか?
 
 実は私がオファーを出したんですよ。たくさんのメンバーで本当に楽しい経験をたくさんさせていただきました。でもコロナ禍でメンバーが減ってきて、チームも20年を超えてくると、一般のチームもたくさん増えてきました。要は学生が社会人になって立ち上げたチームも増えてきたという状況もあって、一度ここでチームに区切りをつけようという時期を迎えたんです。
 
 じゃあ全く新しいGOGO’Sをスタートしてみようということで全国のチームの作品を見まくりました。このチームはどういう人たちやスタジオが関わっているんだろうということをリサーチして、そしてこのチームは今までの北海道にはない作品を作っているなと興味をもってメールを送らせていただいたら、「めちゃめちゃ老舗のチームじゃないですか」という名古屋弁の返事が来て(笑)。「うちでいいんですか」という感じでした。ちょうど東京よさこいでそのチームとお会いしてお願いしたのが2018年のことでした。翌年2019年にそのスタジオプロデュースでの作品を作ることができたんですよ。そしてそのあと2年間コロナで本祭が無くなって、でも最後の2022年の作品をしっかり作って披露してという感じでした。
 
 だから各地のお祭りでいろんなチームを見たことがきっかけでしたね。名古屋や東京のよさこいだけどこれをYOSAKOIソーランにしたらどんなチームになるのかなという想像や楽しみから、そこに声をかけて開拓していただいたのはご縁ですよね。それが今BASARAに繋がっていると思うとあのときメールして本当によかったなって思います。

BASARA 2023年度作品「耶馬都~YAMATO~」
陰陽師と式神をモチーフにした独自の世界観


 東京や名古屋の皆さんが”札幌のチームで”YOSAKOIソーランに参加できるわけです。つまり、道外のチームが参加するという事ではなくて、地元でも踊っているけれども、札幌のBASARAとしてYOSAKOIソーラン祭りに参加できる。「札幌よかったよ~」「パレードの会場は他と違って競技場みたいだったよ」人がごちゃっといるのではなくて桟敷席があるところが他の地域の人から見たらまさにスタジアムなんだよね。一度はあそこで踊ってみたいって思う。そういう交流があれば、逆に札幌の人たちが、BASARAは参加しないお祭りでも、名古屋のチームに加わって踊る、私も行ってMCをやらせてもらいました。
 
 そんな風にお祭りの枠とか地域の距離を超えて出来るようになってきていることは昔では想像できない。自分のチームが参加しなければそのお祭りに参加することはなかなか難しかった。今でこそ個人でそのチームに参加することが可能なチームはありますが。だから学生実行委員会の皆さんも名古屋にお手伝いに行ったり、名古屋から札幌にお手伝いに来たり…。でもそれはそういう仕組みがあって行ける個人があるっていうことなんですよね。YOSAKOIという大きなくくりの中で札幌のチームとしてじゃないけれど他の地域のお祭りに参加できるとか、名古屋のチームだけど札幌の人も参加できるという。地域という枠が広くなる気がします。

 ー確かに。地域の垣根を越えてという事ですね。
 
 そうですね。だから、自分のチームにとって地域とは何なのか考えると…”どこか”にある、もちろん札幌にもあるんだけど。でもメンバーは東京にも名古屋にも大阪にもいる。そのメンバーが6月には札幌で一緒に集って、また戻って札幌の良さを伝えてくれる。そう考えると、自分のチームにとっての地域っていうのがめちゃめちゃ広いなって気がします。
 
 今思えばですがコロナ禍があったからこそ、映像でお祭りに参加したのをきっかけに本祭に来るようになった人もいるなぁと。そういう映像を活用した取り組みを色んなお祭りでやるようになりましたね。コロナ禍でも何とかお祭りを継続していこうという、皆さんのまさしく「情熱と創意工夫」じゃないですか。コロナが明けてまた違った手段を得て強くなっていくような気がしますね。

 ー「枠を超える」というのはよく聞きますが、「地域が広がる」って初めて聞いてすごく響きました。つながりがあるからこそ「超える」もそうだけど、「広がる」っていうことがいいですね。
 
 BASARAにとっての地域は今は本当に全国。だからどうやってその地域に関わっていくのか、貢献していくのか。いろんな地域の人にYOSAKOIソーランに参加してもらえる。そして北海道や札幌、“YOSAKOIソーラン”の良さを感じて、地域に戻ってもらえる。それってすごい価値があるし、うちのチームだからできること、やっていかなければいけないことなんだろうなと感じてますね。
 
 そうやってたくさんの地域の方と関わるとそれぞれの地域でお祭りに踊り子として参加する人、スタッフとして参加してMCをする人それから、皆さんのように学生実行委員会とか組織委員会のように運営で支える人とか、それから仕事として会場運営をやっているエンジニアの方だとか、ダンススタジオ、音楽スタジオ、機材だとか、交通関係、観光関係の方だとかスポンサーの方だとか。札幌だけではないそういう人と触れ合ったりする。もちろんお客さんもそうですよね。東京行けば、「俺北海道出身なんだ~」って声をかけてくれるわけですよ。「ありがとうございます!」ってたわいもない話をしながら。チームとして色んなお祭りに参加すること、それから他のチームに個人で参加すること、受け入れることを通して、地域が本当に広がるかなっていう気がします。
 

あつまれ!支援よさT

ーコロナ禍をきっかけに「あつまれ!支援よさT⁸⁾」を発起されたと伺っているのですがその時はどのような経緯で?
 
 実際に本祭が出来るのか出来ないのか、いつなら出来るのか、どうやったら出来るのかという事を、組織委員会をはじめ各支部長がいろんな形で悩み試行錯誤して、閉じた空間でならという事でhitaru⁹⁾や元四季劇場でやったりと、演舞する場を絶やさないようにいろいろ工夫されてましたよね。それでも実際に2020年、2021年はYOSAKOIソーラン祭りの通常のかたちでの開催は見送られてしまったので…。そりゃ私みたいにまた来年再来年出れる人はもちろんいますが、今年じゃなきゃ出れない、20年だから出れた、21年じゃないと出れない、という学生の皆さんとかも、たくさんいたはずなんですよ。それに向かって準備を一生懸命されてたという方たくさんいたはずです。その時じゃなきゃ関われなかったという方もたくさんいるんじゃないか。下畑さん¹⁰⁾から「こういうのやりたいんだけど、村元さん発起人として手伝ってくれるかい」と連絡をいただいて、当時は北昴の橋本さん¹¹⁾と3人で呼びかけていました。
 
 で、Tシャツを作ることで全国のお祭りが1つのTシャツに集まってくる、そしてお祭りはないけども、それを見ることで、高知のチームも東京のチームも名古屋のチームも札幌のチームも入ってるわけじゃないですか。通常はありえないですよね。そうやってチームロゴを皆さんが快く提供してくださって、Tシャツを着ていただくことで、コロナでもYOSAKOIはまだ続いているぞ、こうやって繋がっているぞ、こんなにたくさんの人がTシャツ買って着ているぞって感じることができる。お祭り行けば来てる人がいるじゃないですか。すっごい嬉しいですよね。発送作業もチームから何人かずつ手伝ってもらって、マスクしながら梱包してたんですよ。第二弾を今年やって続いているのはとてもうれしいし、しかもその売り上げが道外から来るチームの皆さんの手助けになる。地方車をレンタルする補助になる。僕も自分で何着も買いました。大事にビニール袋に入ってるのもありますし、着てるのもありますけども、こう見るとなくなっちゃったチームもあるし、今年Tシャツに新しく入ってきたチームもあるなっていうのを眺めるだけでとても楽しい気持ちになれます。

8)全国のYOSAKOIソーランチームのロゴをプリントしたTシャツ。売上が道外からの本祭参加チーム支援に活用される。
9)札幌文化劇場hitaru。札幌市内にある劇場施設。
10)下畑浩二さん。YOSAKOIソーランチームグラフィックホールディングスpresents倭奏の総代、C-ASH支部長をされている。
11)橋本司さん。YOSAKOIソーランチーム北昴の代表、YOSAKOIソーラン会の会長をされている。

MCとして伝える、MCだからこその出会い

BASARAの演舞でMCをする村元さん(右)

ーやはりコロナがきっかけでというのもあると思うんですけど、村元さんは長くかかわってきたからこそ、地域を越えてという思いが生まれたのかなと思いました。
 
 そうですね。長くいればいろんな場で人と会いますし。しかもMCは、演舞をしてる時にはチーム皆を代表してお客様にご挨拶をし、チームを知ってもらうという立場です。そんなポジションを20年やっているからこそ、声をかけてもらいやすい。そしてありがたいことにいろんな場でマイクを渡していただけます。緊張もしましたけどね。

 ーそうなんですか
 
 はい。やはりMCって演舞の一番最初じゃないですか。皆さんは司会とかってやられるんですか?

 ーはい。二人とも司会なんですよ(笑)
 
 ああ、じゃあもうしっかりわかりますよね。さあいくぞというときに、カチっとスイッチ入れて、どういうテンションでお客さんとこの4分半を過ごすかというのは、その第一声にかかりますよね。本当に・・・一瞬しか会ったことがないっていう人は世にたくさんいるわけです。ということは、その一瞬だけ、うちのチームを一生で”この4分半”だけしか見ていただけない場合もあるわけですよ。そういう人たちにも、短い時間でチーム・作品をより理解してもらえて印象に残してもらえて楽しんでもらうには、どのような言葉を投げかけたらいいのか。また、「ここはこういう会場だぞ、みんな頑張れよ」という、メンバーへのメッセージも込めながら、そして会場を運営してる皆さんへの感謝を込めながらっていうところを・・・噛んじゃ駄目じゃないですか(笑)

 ーそうですね(笑)
 
 それを噛まずに、時間が決まっているから長くならないように。でも演舞を見て、「なるほど。これがそれなんだ。」って思ってもらえれば、役に立ってる。お祭り全体を盛り上がるきっかけになる一言も、「確かにそういう価値・見方もあるな」と何か考えていただく言葉も大事だなと思います。ただ純粋に楽しんでもらうのもそうだけど、MCの前口上やかけ声を通して作品・お祭りを感じていただくのは、大事だと思うし難しいことでもあると思う。
 
 もちろん最初は緊張しても、慣れてきますし、イベントによっては「すいません、ちょっと時間が空いてるんで、伸ばしていただけませんか」っていうお願いもくるじゃないですか、すると、「おそらくはじめましての方多いと思うんですけど、YOSAKOIソーランを初めて見に来た方、どれくらいいらっしゃいます?」と聞いたりしますよね、そして、手を挙げていただく。「じゃあ、踊ったことある方は?」と聞くと、こう手をあげたりする人がいて、「おー!」って盛り上がったりして。そういうお客さんとのコミュニケーションをアドリブでやりながら、「実はこの祭りって、こういうところから始まったんですよね」って、長く参加してるから知ってることとか、「昔はここでやっていた」「ここも会場でして…」なんて話をしたりします。緊張感もあるけど、「今この会場では、自分しかできない、自分がやらねば」と思うところで、でもそれが楽しいと思っているから、多分20年もやっているんでしょうね(笑)
 
 そして、22,23年の祭りは、YouTubeでの映像配信の司会進行もやらせていただきました。二時間全国のいろんなチームの映像を紹介しながら、どんな活動をしているのか、このチームがよく活動している地域のお祭りはどのようなお祭りなのか、ということを自分でも「なるほどな」と思いながら色々調べてます。そのチームの良さや地域の素晴らしさを皆さんに伝える機会をいただけたから、自分も知れる。これは今年、22年の映像配信枠を手伝わせていただいてとてもよく感じますね。
 
 映像だと伝えたいことがはっきり伝わってきますよね、でもライブの演舞だと、何を見るかは見る側によって違う。あの人の踊りがすごいから見たい」という人もいれば「作品全体を見たい」「衣装が見たい」っていう人色々いるじゃないですか。けど映像だと「ここを見せたい」っていう風につくってくるでしょ。そこが決定的に違っていて、それが今やっているテレどま¹²⁾でも如実に表れてきますし、少ない人数でもチームの魅力というのをしっかりと伝えることが映像では可能ですよね。でもリアルの祭りの演舞ではたくさんの人数での群舞のよさなどが出てくるし。だからいろんな良さをどう発信するか、どう受け止めるのか、というのが多様になってくるのはいいことでもあるし、それを伝えるお手伝いをするMCの仕事は楽しいなって感じます。

12)テレどまつり。名古屋で開催されているにっぽんど真ん中祭りのリアル開催の代替策として2020年から実施。以来、毎年11月、新しいお祭りのかたちとして各地で撮影された演舞動画をYouTubeなどで生配信している。


いろいろな人から人へよさこいの入り口が開く

 逆に、お二人はなぜ、学生実行委員会をやられているのですか?だって踊ったことないでしょ?

 ーもともと二人とも別々の高校の放送局で活動していて、大会で知り合って連絡先は交換していたんです。それから大学に入学して学生実行委員会の宣伝を受けて、司会の仕事に興味をもって私は入会した感じですね。
 よさこいは好きでしたし、高校でやっていたアナウンスも少しは生かせるかなと思ったので。そのときに山下を誘ったんです。

 ー一年ぶりくらいに突然連絡が来て、「なんだろう」と思ったら、「一緒に司会やらない?」との誘いでした。けど、私はよさこいのことをほとんど知らなくて、毎年テレビ中継をやっていることぐらいしか知らなかったんですけど、入会して様々なことを知ることができました。

 いつ入会されたんですか?

 ー今年の春ですね。
 
 では、今年の6月の本祭を経験されたのが最初なんですね。大学生は2年間、本祭をやっていなくて、去年、今年がはじめてっていう人がたくさんいらっしゃったと思うんですけど、これが本当に「縁」ですよね。僕も、もし自分の学生時代によさこいがあったらどうだったんだろう。ってすごく思いますね。
 
 僕は吹奏楽をやっていて四年間吹奏楽コンクールやいろいろな演奏会に出ていました。「大学時代何やっていたの」と聞かれたら「吹奏楽やっていました」と答えます。それが皆さんは、「YOSAKOIソーラン祭りの学生実行委員会として企画、運営やっていました」と胸張って言えますよね。私からしてみれば踊らないのか、チームには入らないんだなって思いますけども、お祭りを実際に運営した人じゃなきゃその良さはわからないし。実行委員を終えて踊り子をやっている人ってたくさんいますよね。実行委員長だった人がうちのチームに入って踊ってくれたこともありました。
 
 やっぱりYOSAKOIソーラン祭りに触れるきっかけって人によってわからないじゃないですか、だからこそ、そのきっかけをいろんなひとがいろいろな立場で、網をかけるっていったら変ですけど、受け入れられる、受け入れてくれる、自分も楽しめそうだっていうのをたくさんたくさん出していかないと。趣味など自分の自己を実現する方法が多様になってきた時代です。来てくれるお客さんが発信してくれるのももちろん十分ありがたいんですけど、直接関わって自分YOSAKOIソーラン祭りやっているんですよって言える人が、皆さんや私のような20何年もやってるのもそうですけど、それぞれの立場でそういうことを発信していく必要があるかな。
 
 この”聞き書き”noteで読ませていただきました。皆さんどんなことを思っていて記録に残してつなごうとしているのか、それこそコロナ渦を経たからはじめたことなんだって、僕初めて知ったんですよね。だから知らない人もたくさんいると思うんですよ、ですから読ませてもらったらすごい学ぶこともたくさんあるし色々感じることもたくさんあるし。私の話もこうやって発信の一つになればいいなって思ってお引き受けしました。

世代を超える教育現場 理解からご縁が紡がれていく


ー私事ではあるのですが、今、小学校の先生を目指して大学に通っています。小学校の先生という立場、教育委員会に勤務されてた立場から、小学生や子供たちとどのようによさこいの関わりをもっていましたか、運動会はもちろん、ほかにもあればお伺いしたいです。
 
 難しいですね、自分の趣味の押しつけというふうに先生方や子供達や保護者に思われてしまったら意味がない。だからこそ「ぜひ先生、うちの学校のPTAのお祭りで踊ってくれませんか」とか、「せっかく村元先生がいるから、今年運動会でよさこいを子供たちにやらせてみたいと思うんですけどどうですか」っていう、周りのオファーや思いがでてきたときにしっかりと協力できるように常に努めていて。だから、自分から子供たちに「よさこいやるよ」とか「運動会よさこいやりませんか」とか言ったことは一度もないです。
 
 ただ、管理職になってからもそうですけど、友人や職場、自分の周りの人には「自分はこういうことをやっているんです。もしよろしければ見に来てください」って、桟敷¹³⁾のチケットを僕は毎年大量に買ってました。そして置いといて、自由に職場の人に取ってもらっていました。自分でチケットを買ってわざわざ行こうなんて思っていない人たくさんいるじゃないですか。でも、「チケットあるし職場帰りに大通公園寄ろうか」っていう形で見に来てくれる方もいます。それから「先生こういうのに出るよ」って教えてあげたら子供が「見に来たい」と言って親と一緒に来る。で、下から応援してくれることもあります。そういう風にYOSAKOIソーランを直接見に来てもらうきっかけは作らないとだめだっていう風に思いまして、それは実際にYOSAKOIやっている人じゃないとできないから、自分でもチケットをたくさん買いましたよ(笑)。
 
 そして見に来てくれると、「こんなにすごいんだね」「村元さん職場ではあんな笑顔見せないね」って冗談言われたりして、「いやいやそんなことないですよ」って(笑)。でも理解をしてくれる。すると「すいません今日練習あるので」と言っても「そろそろ忙しいよね」ってわかってくださるわけですよ、そして応援してくださる。そして、「運動会でやったから、私、平岸天神ジュニア¹⁴⁾に入りました。」という生徒もいました。そして、YOSAKOIをやり、大きくなって先生になり、自分で子供にYOSAKOIを教えている教え子もいます。小学校の時に担任した子、今もう40近いけども、よさこいのお祭りに行けば僕がいるってわかっているから見に来てくれます。

13)大通南北パレード会場の5,6,7丁目に設置される有料席。無料の立見席とは違い、座った状態でパレード演舞を間近に見られる。
14)札幌市豊平区に拠点を置くジュニアチーム。平岸天神と共に活動。

 ー素敵ですね!
 
 
「先生、まだ頑張ってるね」「いや白くなったけどね」って話をしながら。そうやって繋がっていく。やっぱりこの教員という職業だから、子供や保護者、先生たち、子供に関わる方に影響を与えられる。僕は教頭やってた時代でも、「実はお金かかんないし、西8丁目ステージだけでも、1、2回だけでも小学生出れるんだよ」って話をしたら、「ぜひ、学年で出してみたいです」となりまして。グラウンドに西8丁目ステージの大きさを測って描いて、「運動会でやったのをここでやれるような形に直せば、そのままできるから」っていう風にして。要は、小学生参加のプロジェクトを立ち上げる。こういう方法で学校にお知らせすれば、大学生がお手伝いしてくれたり、保護者に連れてきてもらって集合して踊って解散する事もできるんだよってことを、どうやって各学校にお知らせしたらいいか、相談に乗ったこともあります。この職業はいろんな形でかかわれると思いますし、学生実行委員会での経験はとっても役に立つと思います。自分の後輩で北翔から先生になった人たくさん知っていますよ。

 友和ではおどらないんですね?

ー友達が友和にいるんですよ!踊り子の友達と、実委の私とで話したりすることもあります。
 
 今、自分のチームでよさこいやってる大学生が、来年の春から小学校の先生になることが決まっているのですが、卒業論文で「YOSAKOIソーランはたくさんの小学生が経験するべきである」ということを書きたいと言っています。
 
 でも、ただ踊るだけだったら別にYOSAKOIソーランじゃなくてもいいわけですよね?ダンスだっていっぱいあるし、みんなで通えるダンススクールもある。でもYOSKAOIソーランはお祭りとしてどういう歴史があって、どんな良さがあるかってことを、指導する先生が理解して振りをおとして経験させるのと、さあじゃあやるよって言ってただ指導するのとじゃ全然違うじゃないですか?

 ーそうですね
 
 なぜ他の踊りじゃなくてYOSAKOIソーランの踊りがいいのか。流行りのAdoちゃんじゃない、YOSAKOIソーランにはどういう価値があるのかっていうことを、ちゃんと教育に携わる皆さんが分かって子供たちに経験させてくれると長く続きます。それに小学校のときにやったなっていう思い出が、今度はチームに入ることにつながったり、久保さんのように自分の放送が好きっていう気持ちにつながって実行委員をはじめるきっかけになる。

 ー先生をなさっていたと聞いた時からずっとこれが聞きたくて。
 
 ぜひね、頑張ってください。皆さんの先輩で本当にいい先生になってる方たくさんいますから。

 ー頑張ります。今回はたくさん素敵なお話聞かせてくださりありがとうございました。
 
 こちらこそどうもありがとうございました。



取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
北海道大学1年 久保優香
北翔大学1年  山下夏葵

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?