YOSAKOIソーランの軌跡~想いを繋ぐ~prof.11 谷陵太(たにりょうた)さん

(一般社団法人YOSAKOIソーラン祭り組織委員会 道央支部長、石狩朱華弁天 代表)


最初にお祭りに関わったきっかけ

 YOSAKOIソーラン祭りに関わるようになったきっかけっていうのは、高校ぐらいからYOSAKOIソーランを見るのが好きで、テレビとかで見てて、して大通公園とか見に行ったりしたんだ。友達とかと見に行ってて、「あーいいなー、YOSAKOIソーラン楽しそうだな」と思ってて。
 ほんで就職して、就職したのが結構大きいトラックの架装屋さん。で、結構従業員の数がそこそこ大きい所で働いていて、そこで働いていた人が、YOSAKOIソーランの、今は違うんだけど当時の 流星海¹⁾の旗振ってる方で、僕が「YOSAKOIソーランやってるの?僕やってみたいんだよね」みたいな。そっか、じゃあ今度見学行ってみるか。てなって、最初流星海の見学連れていかれて、でその次「石狩もう1チームあったぞ」って言って、で 朱華(はねず)²⁾の方に。
 朱華弁天の方に連れてかれて、それで「迷ったらこっちのチームの方がいいかもなー」なんつって、ぽろっと朱華入って、それがYOSAKOIソーラン始めたきっかけかな。

1)流星海:正式名称は石狩流星海。 石狩市を拠点に活動しているチーム。石狩市の観光大使としても活動している。公式HP
2)朱華(はねず):正式名称は石狩朱華弁天。同じく石狩市を拠点に活動しているチーム。被災地の復興支援に力を注いでいる。公式Facebookアカウント


―既にチームはあったということですね?
 そう。でもね、多分僕が入った段階で、チーム結成1年目とか2年目とかそれぐらいだったと思う。確か。

―ならほぼほぼ初期メンバーみたいな。
 そうですね。

―なんで流星海の方には入らなかったんですか。
 なんでだろうね(笑)。「迷ったらこっち(朱華弁天)の方がいいんじゃない」みたいな。流星海さんはファミリーチームで。子供からお爺ちゃんおばあちゃんまで。で、うちの朱華弁天はどっちかというと若者チームさ。小学校くらいから、当時いたメンバーだと、40手前位の人たちかな。大体若い人たち、独身ばっかの。で、ここに入ったってことかな。

―チームに入って、ステージに上がるのは本当に楽しみにして上がった、って感じですね。
 そうですね。こっち側から見た景色ってこうなんだって。でね、その年がすごい雨降った年なんだよ。確かそう、流星海が準大賞取った年とかじゃなかったっけかな。それ僕が2年目だったかな。だから、21、2年前くらい。

―雨はもう思い出ですか。
 うん。ずぶ濡れになった。べっちゃべちゃになった思い出があります。で、流星海が準大賞取ったと思うんですよ。で、ファイナル³⁾出るってことでその裏方のお手伝いもちょこっとしたんですよね。べっちゃべちゃになってずぶ濡れになって、もうグズグズになりましたよ、ほんと。でもまあ楽しい思い出、いい思い出ですね。

3)ファイナル:祭りのフィナーレを飾るステージ。今年の祭りで各賞を受賞したチームが登場するほか、セミファイナル審査・ファイナル審査が行われ、「この年に、もっとも観る人の心を動かし感動を届けたチーム」としてYOSAKOIソーラン大賞が決定する。

支部長になった経緯

 支部長になった経緯は、周りの支部がどういう役員構成でやっているのかは分からないんですけど、支部長がいて副支部長がいて、事務局がいて、それぞれの部会に分かれているんですよね。広報部会とか企画部会とか…。で、その部会長にならせてもらって。
 それで当時の支部長さんが、「谷、お前次、支部長お願いしたいんだけど。」みたいな。
 まずはちょっと2年支部の支部役員の監査って形でやって。その後いろいろあって支部長にならせてもらいました。

―支部という組織も途中からできた感じですか?
 そうそう。まだ21、2年前だから、支部っていうその組織、枠組みができてまだ間もないころじゃないかな。その前は ブロックって呼んでいたんだよね。だからうちは道央ブロックでした。

―そこでも交流っていうのはあったんですか。
 昔から支部での交流会とかっていうのはあったと思います。

支部長になってほしい、と言われた時の心境


 昔、「支部長お願いしたいんだけど。」って言われた時は、あ、なんか認められたんだな、っていう気はしました。僕は今、兄と僕の二人で工場を切り盛りしているんです。だから、大人数の中から上がっていくとか役員になる、役職に就くっていう感触が無いから、嬉しかったですよ。その時は。でもプレッシャー無かったって言ったらうそにはなるかな。

―言うことにも責任が生まれてきますよね。
 そうですね。「ちゃんとしなきゃダメじゃんこれ」って。ちゃんとした日本語とか、ちゃんとした敬語ってあんまり使える方ではないので。その辺はちゃんとしなきゃダメかな、っていう気持ちはありました。

実際やってみてのやりがい

 新しく支部での試み、今までやったこと無いことをやってみて、「すごい良かったよ」とかって言ってもらえると「あ、やって良かったな、頑張った甲斐あったな」って思います。

支部の活動例

 結局色々あって1回で終わっちゃったんだけど、1回だけ支部で運動会やったことがありまして。なるべくYOSAKOIソーランの練習とか、忙しくない時期を狙って、支部運動会っていうものをやりました。
 当時道央支部⁴⁾10チーム前後あったのかな。それで全部のチームをランダムに4チームに分けて、ごちゃまぜで。で、各チームに支部の役員キャプテンってことで、ハチマキでも巻いてもらって。何種目かやって順位決めて、最後に乱舞踊ったり、乱舞の練習会みたいなのやって、景品はお菓子とかなんだけど、景品出して、「楽しかったよ」って。やって良かったかな。

4)道央支部:(一社)YOSAKOIソーラン祭り組織委員会 道央支部。

―谷さんが発起人だったんですか?
 そうだね。運動会は確か僕だったと思います。それで次の年から会場が取れなくなって、色々時期が合わなくなっちゃってやめちゃったんですよね。本当はやりたかったんですけど。
 あとは、各支部ごとに支部大会ってやっていると思うんだけど、うちの支部には大きなお祭りが3つあって、 「えべなる⁵⁾」と「きたひろしま鳴子まつり⁶⁾」。あと同じ日に恵庭の 「しままつ鳴子まつり⁷⁾」。で、それを道央支部の「3なるまつり」っていう形にして、えべなる、きたなる、しまなるって。で、その3なる祭りの総合点で支部大会の順位つけようか、って。

5)えべなる・・・正式名称はえべつ北海鳴子まつり。毎年7月最終土曜日・日曜日に江別市野幌で開催されている。公式ホームページ
6)きたひろしま鳴子まつり・・・北広島ふるさと祭りで行われている「YOSAKOIソーランきたひろしま鳴子まつり」のこと。2018年開催の第40回までは「YOSAKOIソーランエルフィンわくわくフェスティバル」という名称だった。
7)しままつ鳴子まつり・・・例年8月上旬に島松駅前通で行われているお祭り。YOSAKOIソーランだけでなく、恵庭の郷土芸能の「すずらん踊り」等も行われる。

―大会は続いているんですか?
 それはずっと続いていますよ。3なるまつりは今もあります。

―谷さんって今も踊っているんですか。 
 谷さん今ね、踊ってます。

―さっきYoutubeの動画を見ていて、28回の時の。そこに谷さんいるかな、と思って。
 いや、いますよ。いますいます。間違いなくいます。

―「新しい旗作りましたー」みたいなことを言ってたんですが…
 はい。あれすごい評判いい。「初めて踊り見ないでずっと旗ばっかり見てました。」って言われた事もあるんですよ。

―描いたのは谷さんではないんですか?
 谷さんです。あれ考えたの僕です。絵とか描くの得意なんですよ。よく絵下手そうって言われるんですけど。旗を作ろう、ってことになって、旗の柄をみんなで考える、って言って期間設けて、でみんなそれぞれプレゼンしあおうって。最終的に僕が描いた絵に決定しました。

チームに関して

 変わってきますよ、そりゃ。メンバーも入れ替わりもあるだろうし、地元での“朱華弁天”っていう、そのチームの立ち位置というか、っていうのも、周りの環境も勿論変わってくるだろうし…うん。変わってくるよ。


―活動している地域でイベントに出たり、お披露目したりってしているんですか?

 うん。基本的に石狩市内のイベントは、全部とは言わないけど、たぶん殆ど参加させてもらえてると思う。で、流星海さんと合同でいつも本祭前に「出陣式」とか言ってお互いの演舞見せ合ったり、でみんなで「頑張るぞー」みたいなことやったりとか、っていうのはしている。

YOSAKOIソーランに関わってたからこそできた経験

 石狩にね、ご当地ヒーローいるんですよ。 「サーモンファイタールイベ⁸⁾」って言うんですけど。それをね、僕やってるんすよ。スーツアクターやってるの。
で、それもYOSAKOIソーランの繋がりから、やらせてもらえたのね。そういうヒーローとか仮面ライダーとか結構好きなんだよね。で、石狩の冬まつりでお手伝いしてて、本部のプレハブで温まってた時に、ホワイトボードに、当時は「サーモンライダー」っていう名前だったんですけど、“サーモンライダー企画”みたいな。「なにこれ?」って言って、当時ご当地ヒーローっていうのがブームだったからさ、沖縄のマブヤーとかさ、知らないかな?すごいご当地ヒーローのブームだったんですよ、当時。それで「石狩でもそういうのやろうぜ」っていう話になって、「今度石狩でもさ、そういうご当地ヒーローやろうと思うんだよね」って。「誰やるの?」って言って。
 「誰もいないんだよね」「やるやるやる!僕やるよ!」って(笑)。「お願いしていい?」「やるやる!」って言って。
 石狩のご当地ヒーロー、当時サーモンライダーを冬まつりでお披露目。ことの経緯を説明して、「それでは登場してもらいましょう。サーモンライダーです。どうぞ!」みたいな。で、音楽が流れて、走って登場雪のステージで転んじゃいました(笑)。
 やっぱりYOSAKOIソーランの繋がりとかあって、地元のいろんな方々との繋がりを持たせてもらうことができて、僕はそのご当地ヒーローの「サーモンファイター」っていうものを手伝わせてもらってる、ていうところがYOSAKOIソーランをやっててそれが他のところに生きたこと、っていう感じですね。
 (サーモンファイタールイベの写真を見せてくださりながら)石狩市内の飲食店に「イジメ許さない!」みたいなのがあって「これ僕!」って言って(笑)でも大体貼ってくださる店は(谷さんがルイベだと)知っています。

8)サーモンファイタールイベ公式HP


石狩ありがとう祭り誕生の経緯

 あとそうだな。チーム独自のことでお話しさせてもらうとすると、うちのチームはね、結成10周年の時にね、お祭りを立ち上げました。石狩市内で、10周年の時にお祭りしたいな、と思って。
 普段お世話になっている石狩市民の方々に、1日そこで楽しんでもらおうと。で、仲良くしているYOSAKOIソーランのチームとか、石狩市内の各団体、和太鼓とか、少林寺拳法とか、フラダンスとか。そういう今まで繋がりを持たせてもらえた各団体に来てもらって、そこで演舞披露してもらって、そのメンバー・会員募集してもらう場にするとか。
 なんか楽しんでもらいたい、楽しんでもらえる場を作りたい、感謝の気持ちをそういう形で表したいなと思ってお祭りを立ち上げました。 「石狩ありがとう祭り」って言います。
 そこで色々「こういうの企画してて」「ああいうの企画してて」って石狩市内で根回したら、今もうちょっと大人の事情で一緒にはできなくなったんだけど、石狩にね、 「あき味の会⁹⁾」っていう石狩鍋を広めよう、っていう集まりがあるの。で、あき味の会も、周年だったの。その時たまたま。
 で、あき味の会も、石狩の人たちにあき味を、石狩鍋を食べてもらう機会を自分たちで作りたいね、っていう話をしていたらしいの。だけど「お店はできるけど、お祭りとして自分たちでは成り立たないよね」、っていうところで困ってたみたいなの。「出店はできるけど、ステージでの催し物とかは自分たちはできないよね」って。こっち側は、「ステージの催し物とか色んなことはできるけど、出店のコネとかそんなにないよね」っていうところが合致したんだよね。で、「どうですか、一緒にやりませんか。」「やらせてもらえますか」って話になって、そこで第1回目はあき味の会と合同で。
 そこからは色んなイベント出るたびに、出店の人たちに話しかけて、「普段どこで出店出してるんですか?」「いついつ頃こんなのやってるんですけど、出店出してもらえませんか?」とかって色々話しかけるようにして、毎回僕のコネでそうやってお祭りの出店出してもらってて。
 大きい規模のお祭りじゃないから、いろんな出店の人たちと、被ったらちょっと面白くないしょやっぱり。だから、何をやるのか事前に教えてってしてるのさ。で聞いて聞いて聞いて聞いて…「焼きそば」「焼きそばいるわ」「えー」みたいな。「ちょ、それダメできないわ」って言って、「わかったー」って。もう前回で12回目かな。だからもう安定はしたけどね、お祭り的にはね。
 で、徐々にそのお祭りもさ、ただこれやってるだけでもあれだから、秋だから。10月やってるんだ、で秋だから野菜の詰め放題やるか!って言って。野菜の詰め放題めっちゃ人来る(笑)。それも石狩の農家さんに声かけさせてもらって、廃棄する野菜、それ無償で分けてもらってさ。
 廃棄する野菜ってただ出来が悪い、っていうだけじゃなくて大きすぎてダメとかもあるんですよ。人参とかこんなんだよ(聞き書き時に体現していたのは約30cm)。なにこれ!?って。「これだめなんですか」って聞いたら「いやこれはでかくなりすぎて価値がない」みたいな。「これも なげなきゃ¹⁰⁾ダメなんだよね」「下さい下さい」って言って。して、人参ジャガイモカボチャ玉ねぎかな。すんげえ山作ってね、野菜で。すんげー集めるんだわ。みんなそういうのって産業廃棄物でお金払って処分しているからさ、農家さんたちって。だから農家さんも喜んでくれるしさ。1番野菜多い年でね、確か1トン近く集まったはずだな、何だかんだで。すっごいよ。めっちゃ人来ますよ。
 で、そのやってるお祭りの催し物みたいなのも、ちょっと工夫してさ、変な祭りだよ。
 うちのお祭りは、コーラを500cc飲んでもらって、で飲み終わったら長い文章を読んでもらうの。例えば「第12回石狩ありがとう祭り感謝の気持ち響け石狩へ」みたいな長いのを、ゲップをしないで読んでもらうんだよね。したら参加者の人たちは、ふざけてゲップしまくるんですよ(笑)。
 で、お祭りはそういう僕が企画したしょうもないやつを、僕が司会させてもらうのね。下品なこと今年もやります、って言って(笑)。下品なこと嫌いな皆さんごめんなさい、今年もやりますみたいな。で、参加者の人たちも毎年そうやってこういい意味でふざけた、くだけたお祭りだって分かってるから、みんないろんなことやるんだわ。「よーいドン」ってやったらカバンからポテトチップス出して食べはじめるとか。みんなふざけてくれる。
 あとあれか、カレーじゃんけんとかか。野菜いっぱいあるからさ、野菜を活かした何かをやろうと思って。ジャガイモ持ってもらいます、たくさん袋に入ったジャガイモ。袋に入った人参っていうのをみんなに配って、1列に並んでもらって、向かい合った人同士で「カレーじゃんけんじゃんけんポン!」勝った人は負けた人が持ってる野菜をもらいます。で、そうやってやったら、こう2分の1ずつどんどん人数減っていくでしょ。で、最後に優勝した人にはお米とカレールーあげるの。したら、人参、ジャガイモ、玉ねぎ、カレールー、お米でカレーライスができる。

9)あき味の会公式HP
10)なげる・・・北海道弁で「捨てる」という意味。

―ということはめっちゃ持つってことですよね?
 すごい量になる(笑)。面白いですよ。最後に菓子撒きやってさ、で1個だけ特賞って言って。こんな印のついた○○のお菓子実は今1個だけ撒いたんですけど、って。持ってる人いませんか、って。そしたら「はい!」って、「特賞、業務用みかんの缶詰!」って。東神楽の人が持ち帰ってバスの中でみんなで食べただか。すごい量あったって言って。そんなことばっかやっていますよ。面白いよ、うちのお祭り。

―今年とか去年とかは…
 今年は中止です。ちょっと今この状況でやっても理解が得られないだろうし、まだちょっと早いかなって思う。で、お祭り主催する側としてはやっぱお客さんとか来てくれる人たちに感謝の気持ちを表すためのお祭りで、そこで健康を害してはもう本末転倒でしょ。だからやらない。「やらないでーす」って言って「だよねー」って。「今年やらないから―」って今出店の人とかに電話してる最中。もう今なんか本来なら準備真っ只中。

―いつもだったら1年忙しいですよね。
 本当にそうだよ。あっという間だよ、あっという間。

仕事とYOSAKOIソーラン、両立の方法

 もう慣れですね。だってそれはどうしたもこうしたらもないっしょ。慣れるしかないでしょ。好きでやるもんだから、やっぱり仕事ありながらでもみんな楽しくてYOSAKOI来るし。で、僕の中でYOSAKOIソーランって“非日常”を楽しむものなのね。みんなで普段着ないような服着て、普段行かないような大きいステージとか普段行かないようなところの上で、普段しないような踊りをやって、“非日常”を楽しむものだと思うんだ。で、“非日常”っていうのは日常あっての非日常だと思うんだよね。
 日常をちゃんとやらない奴は、非日常を楽しむ権利なんて僕はないと思うんだよね、最初から。だってやることもやらないで、YOSAKOIソーランとか楽しいことばっかりやってんのって、本当学校も行かないでテレビゲームやってるのと一緒だと思うから、僕は仕事とか、学校とかそういうのに支障はきたさないようにしてるし、無理するようだったら、「いや、帰っていいよ。」って言うし、仕事休んでまでYOSAKOIソーラン来るな、って言ってる。
 よくイベントとかさ、日曜日シフトの人とか日曜日仕事だったりするじゃん。休みとったりすんなよ、って。いいから、って。ちゃんとやった上で楽しまないとさ、ちゃんと学校でお勉強だったりお仕事があって日常生活を一生懸命やってるから、非日常が楽しんだよ。非日常を楽しむ権利が初めてそこであるんだよ。だから僕も例外でYOSAKOIソーラン祭りの時は会社にお休みをいただいている身ではあるんだけど、でもイベントとか練習とかそういうものでは支障をきたさないようにさせてる。3交代で夜勤ある職業の人とか「全然来なくていいよ」って言ってる。来たいと思って、来れる体力があったら様子見ておいで、って。別に無理する必要ないからって。それで仕事支障きたしたらもうそれこそ本末転倒だしさ。
 だから子供たちで言ったら、宿題を残して来んな、と。宿題やってから来いって。まず親に説明するの、僕は。「うちのチームはこういうチームですので。」って。家で親御さんの言うこときかないとかさ、家の仕事、やらなきゃいけないことやらないでYOSAKOIソーラン行きたい、って言ったら連れてこなくていいからって。で、宿題とか残ってるんだったら、宿題とか終わらせてから連れてきて下さい、って。
 例えばYOSAKOIソーランの練習遅くて、次の日起きれないとかさ。したら学校に支障出るでしょ。したらすぐ帰っていいからって、9時に帰っていいからって、来なくていいから、って言ってる。僕は、いつも。だからね、もうちょいで宿題終わる。でもYOSAKOIソーラン行きたい、っていう人はね、宿題持ってくる(笑)で、体育館の端っこで宿題やってる。「終わってからじゃないとだめだからな」って言って。その辺は厳しくしてるかな。やっぱり遊びであって楽しみであってさ。ね、楽しむために非日常だったりみんなとこうそういうものを楽しむのであって、ちゃんとやるべきことをやらないでそういうこと、自分の楽しいことばっかりする、っていうのはやっぱりちょっと違うかな、って思うね。学校行かないでゲームばっかりやってたら怒られるでしょ?学校行け、って。それと一緒だよ。

-そういうことがあるから日常を楽しめるんですね。
 そうそう、逆にね。日常があるからYOSAKOIソーランがある、YOSAKOIソーラン頑張るから日常生活も頑張れる、って回って行ったらさ、いいでしょ。

被災地でのボランティアに関して

あとね、YOSAKOIソーラン関係ないんだけど、うちはボランティアに力を入れてる所がありまして、東日本大震災起きた時とか、うちというか石狩のNPOではないんだけど、ボランティア団体があって 「思いやりの心届け隊¹¹⁾」って言うんだけど。それの隊長がうちの会長なんだけどさ。で、思いやりの心届け隊は宮城県石巻市の 雄勝町¹²⁾っていうところと縁があって、東日本大震災があってから、何回か被災地に行ってYOSAKOIソーラン披露させてもらったり、植林とかの作業とかボランティア活動をやらせてもらってるかな。

 最初行ったときは建物の3階位の高さの瓦礫が、もうどこまでも続いていた。道路があってその両サイド、車で1時間半走っても2時間走ってもずっとそんな景色。かろうじて道路だけは。宮城県の石巻市にTOTOのショールームがあるんで、そこの社長さんと縁があってそこに来たんだけど。TOTOのショールーム駐車場があるの、店の前に。ま、もちろんお店は瓦礫の山なんだけど、そこの駐車場にね、「復興するぞ」って書いてあるの。で、そこの建物があったところに、「頑張れ石巻」って書いてあるの。それね、発災してから1週間でね、作ったんだってその看板。発災してから1週間は本当絶望だったって。
 で、1週間経って「このままじゃいけないな。」って、「石巻のみんなを明るく照らす何かを作んなきゃな。」と思って、瓦礫の中からペンキとか探して、看板立てた、「頑張れ石巻」って。あ、「頑張ろう石巻」だ。(写真を見せながら)今もう周り更地になってあれだけど、当時はもう全部瓦礫。で、発電機で夜通しライトアップして、みんなから見えるように、そしたら石巻の人たちから、この看板はもう希望だった、って。凄くない、瓦礫の中にこれが「バン」と書いているの。衝撃を受けました。
 でも、そこの人たちは、びっくりするくらい元気だよ。こっちが元気になって欲しい、笑顔を届けたいと思ってやりに行っても、もう全然笑顔もらうし、笑顔になるのこっちですよ。
 雄勝町の庁舎前でYOSAKOIソーランの演舞と、サーモンファイターショーとかやらせてもらったんだ。したらさ、もうすっごい喜んでくれた。「いやー、ありがとね。」って。「いやーもう久しぶりにこんな笑ったわ。」って。それでなんか終わった時に石巻の人たちみんなでアーチ作ってくれてさ、「いやーありがとね。また来てね。」なんてやってくれてさ。「また来るわー、すいませんありがとうございます。」って言って。貴重な体験、って言ったらあれだけどそういうこととかやっていましたね。
 だからあの、北海道でも 地震¹³⁾あったじゃない。あの時もね、地震あって次の日、いや次の次の日かな?お水届けましたよ。8000L。散水車とイベントでよくあるさ、かぼちゃタンク。あれ積んで来て。 厚真¹⁴⁾。避難所のお水が来てないから、トイレも流すことができない。貯水タンクが、電気来てないから。で、貯水タンクって建物の1番上にあるの、電気のポンプで1番上まで上げて、そっから自然落下で蛇口とかに来てるんだけど、そこのタンク水無くなっちゃって、トイレの水も今流せれないから水が欲しいです、っていう話が来たみたいで。「水届けに行くか」って言って、厚真行ってきたわ。

11)思いやりの心届け隊公式Facebook
12)雄勝町・・・宮城県北東部にかつて存在した町。市町村の合併により2005年から石巻市の一部となった。
13)地震・・・平成30年北海道胆振東部地震のこと。2018年9月6日3時7分に北海道胆振地方中東部を震央として発生した。
14)北海道勇払郡厚真町公式HP

―タンクに入れたんですか?
 そうそう。建物の上までポンプを使って。バケツでやったら1日終わってしまう(笑)。8000Lこんなことやってられないよ。

―それも1つのYOSAKOIソーランの繋がりですね。
 そうだね。そんなこととかやってます。

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取材:YOSAKOIソーラン祭り学生実行委員会
北海道大学3年 澤田理子(取材時)
北海学園大学1年 田中椋(取材時)

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