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クリエイティブな仕事は遊びから

人が何かやってるとすぐに横から「それお金になるの?」とか「なんのためになるの?」「KPIは?」「〇〇じゃないと意味なくない?」とアドバイスをくれる人がいる。

こういう発言が邪魔なのは納得できる部分が少なからずあるからだ。人はどうでもいいアドバイスには反応しない。確かにお金を稼がなければ生きていけない。KPIがなければただ漫然と時間を浪費してしまう。確かにそうなのだ。だからゴールを設定したくなる。

しかし私はこれは罠だと思う。

ゴールを決めなければという気持ちが先走って先にゴールを決めて作業を始めるというのはある意味楽だ。説明もできるし何より自分が安心できる。しかしこれだと私たちが知っている価値の上でしかゴールが作れない。だから出来上がるものが均質的になり競争は激化する。

だから最初はゴールを決めずにただ面白いもの、興味を惹かれるもの、価値があると思うものを調べ作るべきだと思う。つまりクリエイティブな仕事は遊びから始めるほうが自然だ。

それだとただの遊びなんだけど、そうしている中で真剣になる時がある。いまの遊びに飽きてどうしたら面白くなるか真剣に考える時がある。これはシューティングゲームをしてても同じだ。誰かに勝つとか褒められるとか他人を意識しない時がある。純粋にやってることが面白くて工夫をしたくなる時がある。自分のやってることにどんな価値があるのかなんて考えなくなる時がある。自分が面白いかどうかだけでアイデアや結果を評価するようになる時がある。

そうした真剣な遊びを続けていると、上のようなアドバイスに答えられるような哲学が生まれてくる。もしかしたら芸術家のようにお金は稼がなくてもいい、という結論になるかもしれない。しかし遊びの面白さを誰かに伝えたり、その面白さが本当に面白いのか試したくなる。その時に初めて社会との接点を作る必要が出てきて、やむなくお金を稼いだり人のためになったりする。必要性ではなく必然性によってお金を稼いだり人に見せることになる。

歳をとるにつれて私たちは自分たちで自分たちに遊びを禁止してしまう。お金になるかとか、大人としての責任があるとか、いい歳して何やってるんだとか、結婚はまだかとか。そうしてゴールを設定してしまう。そうしたらもう人生はラットレースだ。せいぜいお金儲けができるものの中にクリエイティブっぽいことを無理矢理混ぜ込んで中庸をとるぐらいしかできない。それは全然面白くない。

お金のことを考えないのだから生活が成り立たなくなるかもしれない。でも、そこで安易なゴールを設定したらラットレースだ。それは罠だ。もっと真剣に遊ぶべきだ。遊んでいて生活が成り立たなくなったり人が離れていったらそれはゴールの設定を間違えているからじゃない。本当に真剣になりきれてないんだ。

どうせ人は死ぬのだから、真剣に遊んでいい。

🐈❤️