新鮮味が擦り減って

大学に通い始めておおよそ2週間が経った。

iPhone標準のヘルスケアアプリがお、あなた平均歩数が上がりましたね。と言ってきた。機械から見ても私の生活は変わった。少なくとも受験後のクソニートみたいな日々からは変貌している。

同じ時間割を2回繰り返すと何となく身のこなし方がわかってきた。
n限目の授業に間に合うためにはn時n分の電車に乗って、一番近いのはn番ホームで、人混みを歩きたくないならここを曲がって大通りから外れて、このことで困ったらあの人に聞けば大体解決する……などなど。どうやったら最短の手間でやっていけるかわかってきた。
はじめ新鮮で手探りだった事象が、だんだんいかに効率化するかを問う競技のように変化してしまった。

たぶん知っている町なのも悪い。横浜駅、通学でこそ使っていなかったが去年なんか何回も通った。悪い判定をわざわざ取りに行くために模試で足繁く通った。相鉄線2階出口から出て外回りで高島屋の横を通って西口に入って行く道で、大学生になって都会に出られた!なんて感じるはずもなく、何の手応えもない試験を終えて電車に乗り込む過去の日々を思い出すだけだ。長時間通学なんてやってられないと高3の終わり頃は必死になって家から近い大学を探していたけれど、こんなことなら知らない街にでも出ればよかった。

自由になった、みたいな感覚もほとんど感じられない。
12歳終わりの春には色濃く感じていた、迷うほど広い学校の敷地の新鮮味、大人たちはまるで大学みたいだね、羨ましいと声をかけてきた。たぶんその比喩は正しかった。横浜に位置する緑の繁る広大なキャンパスは、もうすでに6年前に味わったようなものだ。もう新しさも感じられない。
色とりどりの私服で闊歩する学生たちにも本当は新鮮味を感じるべきだろうが、中学生の時からずっと、買わされた制服を身につけた学生なんて予備校でしか見かけなかったから、当たり前の景色でしかない。

本当は周りもそうなのかもしれないけど、中学の間から自由にしてください、という建前でびっくりするくらい放牧されていたから、もう自由になりたいとか思わない。誰かがガッチリと私の人生のレールを敷いてくれて、その上をこのレールはクソだ!外れたい!と文句を言いながらもスイスイ進んでいくような人生に憧れてしまう。
自由だからといって楽しいわけでもないし。バイトとか夜遊びとかするのかと思ったけど大学生になっても私は私のままだから19時には帰って布団で休息したいという願望が強いから何にもしないで帰宅している。

取り留めのない文章になってしまったけど私は別に大学受験ミスった!とか入る大学ミスった!辞めたい!とか言っているのではない。仲間もできて楽しい。そうではなくて何だかすぐに新鮮味を感じなくなってしまった自分の脳の老化というか、肥大化が悲しいのだ。

たぶんまだ新しいことはたくさんある。サークルにだってまだちゃんと入って活動とかしてないし、他にもたくさん見たことのない景色はたくさん広がっている。話したことない人だってたくさんいる。
それはそうなんだけど、新しいことを新しいままに受容する脳の領域が働いていない感覚がする。
あ、この事象は、高校生の時に経験したあの事象に酷似している!とか、わ、この人、中学の時一緒だったあの人に似ている!とか、そういう風にしか物事を捉えられなくなっているのが悲しい。この言葉が適切かどうかわからないが演繹法っぽい順応の仕方をしてしまう。
こうなっているのは単純に記憶力が圧倒的に悪化しているからだ。小学生の時はクラスメイトの誕生日をほぼ全員覚えていた。だから私の誕生日を覚えていないような人は本当にありえない!と思っていた。そのくらいの記憶力が幼い頃の私にはあった。
でも今はもうそんなものはない。自己紹介しあっても全然人の名前が覚えられない。地元を聞いてもあとから地名と人が結びつけられない。あと高校名は尋ねても本当にわからない。全然知らない。高校受験で高校名の羅列と対峙したことがないから単純に知識がないし。こちらが高校名を言うとえ、なんでこの僕の知らない中高一貫校の名前出すんですか?みたいな顔されるし。

みんなそうだよね。大学生みんなそうだと信じてます。もう頭が硬くなったのと生半可な人生経験を積んで新しいことを楽しめなくなってるよね。たぶん。
悲しいんだけど、受け入れるしかなさそうだからとりあえず頑張ってみようと思う。
なんと雑な締め方だ。さようなら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?