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欲に忠実な奴って幸せそう

 夏にも花粉ってあるんだね。むっちゃ鼻水が出て、目も一回刺激したなら掻いて掻いてと体がねだってくる。でもそれよりも咳の音を抑える方法が知りたい。抑えれば抑えるほど大きくなって訳が分からないよ。

 餓鬼の時からあと数年で死ぬと思い込んでいたからか、やりたいことがなくなってしまった。いくら壮大な夢を語ったところで道半ばで死ねば意味がない。別に過程なんかに意味を求めていないし、そもそも夢が叶う保証もない。未来に救いを求めない以上、今だけ楽しめればいいわけ。
 
 でも当時はただ自分の事を肯定してくれる存在が欲しかっただけなんだろうな。異常者だと扱われて育てられた自分の中に、なんでもいいから確かな物が欲しかっただろうな。今そんなことを思った所でこの刹那的な思想と生活は自分の中に完璧に定着してしまった。

 自分にある物は一般の人とは違う価値観だけ。定期的に人を見下すことで無理矢理価値を上げている。悪や反対意見などに対して異常な反応を示したり、欲に忠実で他人の事を考えなかったりする人とかは基本的に好きになれない。特に嫌なのがそれを悪いと思っていないこと。一方的な押し付けはどうやり方を変えてもどこかしらで歪みが生じる。にも関わらず、自分に非があるような思考を放棄して主張を一切曲げようとしない奴らがどうしても気に入らない。自分を守るためなんだろうけど、せめて自覚ぐらいは持ってほしい。

 でもそういう奴らって大体幸せになってないか。それに人間である以上、押し付けなければ生きていけないなと最近思った。

 自分は欲が人より少ない。性欲、睡眠欲、ゲームする欲ぐらい。承認欲求なども料理でいう調味料で正直なくてもいいぐらい。こうなってしまったのは自分がこの数年の間に妥協に妥協を重ね、何もかもを捨ててしまったからだ。それに一人でないと落ち着かないので、部屋でゲームするだけで満足する人間になってしまった。むしろ人がいると会話できなくて詰むだけだ。

 欲に忠実な奴が嫌いなのは結局は自分じゃないからだ。自分の生きたいように生きれる奴ら。もし自分がなんでもできるような超人だったら同じ道をたどるだろう。そしてやはり自分のどこかには人並の欲があって、高校生として学生生活をする以上、彼女ができたとか、一緒に食べているとかの現象を見ると不意に湧き上がってしまうものがある。嫉妬しているだけなのかも。

 全部捨てた自分から見てみれば、己にだけは死ぬほど甘くて、やりたいようにやって、嫌なことには目を瞑るような人間なんて嫌いだ。そんな生き方、自分がしたら死んでしまう。でもそれが少し羨ましい。自分だってしてしまいたい。それにあいつらだってどこか救いを求めている訳だ。それが原動力となり必死に生きている所を自分が完璧じゃないと批判しているだけだとしたら。人間一人一人が自分を罰して生きていくなんてできるわけがないんだ。やっぱ自分だけがゴミなのだとしたら鬱だぜ。

 最終的には自分もこいつらの真似をして自分で自分の幸せを取らなければならないという結論に至る。が、前述したように自分には刹那的な生き方しかできない。ストレスには耐えられない体なんです。

 怠惰で破滅的な生活を送っている自分が原因なのに、幸せに生きている人間に足りないものを指摘して下に見る。それに内心嫉妬しているのでこの状況を他人のせいにして文句を言う。こうしてみると嫌いなやつと何も変わらないではないか。どうしようもないゴミではないのか自分は。でもやっぱ羨ましいな。受動的に生きたいから、オタクに優しいギャルが居てもいいと思うの。

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