お父さん、バスケがしたくないです


厨二病、イキり、熱くなり過ぎ、子供も観ている、喧嘩すんな、汚いプレーをする、人間性に問題がある、そんなんじゃプロでやって行けない


これは僕のバスケットスタイル、立ち振る舞いや人間性を見て学生時代〜プロである現在まで一部のコーチやチームメート、ブースターさん、そして妻、沢山の方々がご指摘して下さったお言葉だ。


今からの内容は言い訳ではなく、
今までどのようにしてバスケットをして来て、こんな僕が形成されたのか、
そしてこれからについて広く浅く紹介したい。

(写真は4年生)
やんちゃで泣き虫、繊細で気にしいな子供だった。

父親がミニバスコーチで小1から入部
5年生からチームのキャプテン
父親は普段は優しくて僕が欲しいと言う物は大体買ってくれた。
その反面、バスケットになると異常に厳しかった。

試合ではよく


なーちゃなぁや‼︎


と怒鳴られる。

な(なぁ)=てめぇor貴様
(な=あなた、ではないよ皆さん)

要するにてめえなにやってんだ!!

これを津軽弁で怒鳴られる事で標準語の怖さ100倍に値する(僕はね)


試合で僕が悪くて負けようもんなら父親には数日口を聞いてもらえない時もある。


試合に負けたり自分がダメだった時は


「なぁ(てめぇ)バスケット辞めろ‼︎」
と見放された。

何回言われたか分からない。


褒められた記憶はない。


そして実家の作りも非常に悪く、リビングに隣接したように僕の部屋があるため、リビングで父親が

「まんずまいな(本当にダメな奴だ)」

みたいな僕の悪口を言っているのがもろに聞こえて来て嫌だった。


中学生のお年頃になった際もちょっとやんちゃな友人や彼女を家に招くのも、わざわざリビングを通過しないと僕の部屋に入れないのがとにかく難関だった。(これはバスケット関係ない)


ミニバス時代は試合で負けても親に
「頑張ったね(^_^)」
みたいな感じで優しく声をかけられて帰って行く仲間達が本当に羨ましくて仕方がなかった。

「(こっちはこれから帰ったら説教か父親の機嫌が治るまで数日引きこもりだぞ…)」


最も嫌だったのは
試合で悪過ぎた時、または審判に文句を言った時
大勢が観ている中で僕だけ床に正座させられる公開処刑笑

あとは家で負けた試合のビデオを半ベソかきながら見せられ、同じシーンで
「なーちゃなぁや」

いやいやもういいだろ…笑笑

(森井健太選手)
中学は学区外で全中常連校である
津軽中に入学。
親が毎朝5時半に起きて送り迎えしてくれた。
津軽中には絶対的なカリスマヘッドコーチ小野さんがいたが、父親は関係なく応援席から僕を怒鳴った。


ある試合で弱気なターンオーバーをしまくった僕は試合中、二階応援席で僕に怒り狂っている父親にビビり散らかし、二階の父親に向かって謝罪した。
「ごめん」

そしてそれを見たコーチは
「試合で親に謝る奴がいるか‼︎」
と怒鳴る。笑


踏んだり蹴ったりだ。

もうバスケットどころじゃない。
(コーチは親は口出しするなと言ってくれていたが中々言う事を聞かない笑)

小中高はミスした際、父親とベンチのコーチの顔色をとっさに見てしまうのが僕の癖だった。


その環境で過ごした僕はどんな気持ちでバスケットをして来たか、、、、


練習はいいが
試合は本当にしたくない

試合の日は緊張とはまた違い
怖い、ミスしたらどうしよう、の不安はもちろん。
不安を通り越し逆に気持ちが萎えた。

試合前は誰もが緊張や不安に駆られると思うが僕の場合は萎える。


「バスケしたくねえ」


当時の僕のメンタルには
練習を真面目にやるから、
自主練を沢山する事で、
自分に自信がつくとかそういう話は通用しなかった。


バスケが好き過ぎて練習以外の時間も休みの日も暗くなるまで庭で買ってもらったリングでバスケットをする。


でも試合の日はどうしてもバスケがしたくない。


バスケットがしたくない僕は試合に出て、上手くいくはずがなかった。

普段ならあり得ないようなミスや、やらかしをしまくった。
特に小中学生時代は自分の実力の半分も出せないような試合ばかりで、

僕は俗に言うここぞと言うところで実力を発揮出来ない子供(人間)だった。

からの
「なあ(てめえ)バスケット辞めろ」の繰り返し
でまた落ち込む。


高校は県外に行ったため、父親に試合を観られる事も減り、観られても怒られる事はなくなったが基本ビビり散らかしたメンタルがまだ尾を引いて僕に付きまとった。

今でも忘れない高校3年の関東大会、田渡凌選手率いる京北高校との試合当日。


どうしてもメンタルを作る事が出来ず、
試合前に泣きながらコーチの元へ行って言った。


「どうしてもバスケットする気持ちが作れません。
だから僕の事を思い切り殴って下さい‼︎」


コーチは弱過ぎる僕に対し厳しい目で
「そんなの自分でやれ」
と言った。


僕は自分で自分の顔を思い切り殴って試合に臨んだ。(当然自分を殴ったからと言って全く良いプレーは出来ず敗北笑)
そんな事もあった。

そして試合当日にモチベーションを上げるためにバスで聞く唄は加藤ミリヤ。
(加藤ミリヤでモチベ上がる訳がないしだいぶメンヘラ気質笑)


試合当日にバスケットがどうしてもしたくなくなってしまう奴がプロバスケット選手になるどころか、バスケットを続けて来た事すら不思議。


今考えると僕はバスケットボールプレーヤーとしてずっとスタートラインにすら立てていなかったんだと思う。

(まだハゲてない時期)

続く

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