昔はニートや引きこもりは外に出ろと言われていたが、今はどうなの?

外に出ろがニートに対しての煽りだった。
今も外に出ろがニートに対しての煽りに使われてるのかもしれないが、外と中って昔ほど違うのだろうか。
考えてみよう。



昔(と言っても10年〜15年前くらい)は匿名悪口サイトが2chみたいな掲示板だけだった。
まともな人は寄り付かない。
世界に居場所のない、陰キャやニートのたまり場だった。陰キャとニートとぼっちが寂しさを紛らわすために悪口と陰口と罵倒でコミュニケーションを図り、お互いに見下し合い、傷つけあう場所が匿名掲示板だった。



陰キャとニートだから仕方ない。
生きてても生産性もなければ、価値もないと見なされている。今も社会のゴミとされている。
ただ、鬱憤をネット上で晴らして、表で犯罪を侵さなければいいと目を瞑られていた。いわば社会のゴミというのが免罪符であった。
周りにあまり興味を持たれていなかったというのもある。

それが昔である。



今はどうだろう。
なんと、陽キャや有名人、果ては政治家・起業家・大学教授に至るまでSNSで悪口を書いている。

お互い傷つけ罵倒し、見下し合っている。
生きてても価値もなければ生産性もないと見做されている陰キャやニートと、大多数の表の人は精神性が変わらないことがわかってしまった。



傷つけ見下し合うのがネット上のコミュニケーションである。元は裏だけだった。しかし、表でもみんながやりだした。
SNSに触れなければ明るい人だったのに、悪口に触れて変わってしまった人も数多くいるだろう。
見なくてもいい、自分とは何も関係ない思想に触れてしまっておかしくなってしまった人もいるだろう。


陰口と悪口と罵倒がコミュニケーション。
それをしているから精神的に貧しくなり、果てはニートに近づき、経済面でも貧しくなっているのではなかろうか。


悪口に生産性はない。愚痴を言うとカタルシスで開放というのも嘘くさい。
悩みは向き合って乗り越えるしかない。

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