怒りと憎しみは書いて根源を突き止めるべきである

なぜ、ここまでムカついてるんだろう。と思うことがよくある。自分ではムカつきを抑えようと努力していた時代の反転が起きたと考えている。


昔は電車でこどもがうるさくしようと、女が道を避けなかろうと、電車でとなりに座ったおっさんが太っていようと、怒ってないふりをしていた。
こどもは泣くのが仕事。女が避けないのも色んな事情がある。おっさんは好きで太ってるわけではない。と、相手の立場に立って考え、受け入れようとしていた。



しかし、今はうるせーもんはうるせーし、避けねーもんは腹立つし、嫌なもんは嫌なのである。

自分に正直になっていいのである。

いちいち相手の立場に立っていたら身がもたないし、そもそもどれだけ人に優しくしようが優しさが返ってくることはない。優しくしようがただ見下されるだけである。
自分の人生、自分本位に生きていいのだ。


個人的には人に優しくしていいことはなかった。
見下して下に見れる人は嫌われることはないが、上に立とうもんならどえらい反発を食らう。
自分より下にいるべき人間とみなされ、上に立つことは許されないのが優しい人なのだ。
怒りや不機嫌さを出しても良い。不愉快さをごまかしてニヤついてると結果しんどくなるのは自分である。



昔はムカついてもなんのいいこともない。ムカつかないで楽しんで、相手を好きになってしまえばいい。クソみたいな感情はいらないと考えていた。
その結果、感情が死に、人を憎み、一人ぼっちでいるようになった。


喜怒哀楽があってこその人間なのに、特定の感情を嫌いだからといって捨てされるわけがない。
喜怒哀楽を受け入れ、怒りは感情の一つの側面ということを知っていないと、人生を真に楽しむことはできない。


仮初めの楽しみを人に押し付けるのが、人生楽しんだもん勝ちとか言ってる人だと思っている。
人に幸せを説く人ほど幸せではない。


自分本位に生きる必要がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?