怒りの言葉は響かない

こんにちは。すずめです。
私は人を指導する仕事をしています。

平和主義者なすずめはあまり怒りません。
この仕事を始めたばかりの頃はめちゃくちゃ怒ってた時期もありました。

でもだんだんと同じことで何度も私を怒らせる相手に対しての苛立ちよりも、同じことで何度も同じ相手を怒っている自分があほらしくなってきました。

昨日私は約束を放棄されて怒っていました。
その相手とはなかなか連絡もつかず、間接的に約束の日時の変更を伝えてもらいました。

そして今日、指定した時間が近づいても相手はやってきません。私は心に決めました。「今日はめちゃくちゃ怒ったろ。」

そんなことを考えていると、同じ部屋で私と同じようなことで人に対して声を荒げて怒っている人がいました。他の作業をしながらその2人のやりとりの一部始終を見届けた私は、これほど無意味なやりとりはないと思いました。

お説教ごっこ

怒っている人はただひたすら大きな声で自分の不満をぶちまけてる。怒られてる人はそれっぽいタイミングでそれっぽく相槌を打ちそれっぽい顔をして謝ってる。

怒った人は言いたいこと言えてスッキリした様子でした。
怒られた人はそこから何を学ぶのでしょう。いちばんの学びって「このやりとりは無意味だ。こんな人にはならないようにしよう。」ってことでしょ。

怒られた人に聞いてみたかった。「何で怒られてたんですか?これからどうするんですか?」きっと中身のない言葉が返ってきたでしょう。

「怒る」という言葉の語源を調べてみました。
「怒る」は「起こる」と同源で「感情が起こり高まる」ことを表します。
人に対して怒るってことはその高ぶった感情をただぶつけてるだけなんですよね。
そこからは何も生まれません。
人に対して怒ってきたことを今後悔するのは無意味なことだと気づいていたからでしょう。
「怒る」は1人でできることです。1人でやっとけ。と。

怒られたことありますか?

自分の経験を思い出そうとしました。
人に怒られたこと、怒鳴られたこと、もちろんあります。
誰かに何かで怒られたなという事実は覚えてます。
でもそこから私は何か変わったのか。怒られたことで私の気持ちは動いたか。
その辺の記憶は全くありません。
怒りを人にぶつけるのは全く無意味です。
なぜなら忘れようとするから。

怒られた記憶って悪い記憶ですよね。
そういう悪い記憶って実際に忘れられるかどうかは別として忘れようとするんです。
わざわざ心に残そうとは思いません。
全く響かない怒りの言葉。怒るのも謝るのも言葉の無駄遣いです。

「今日は怒ったろ。」決めていたけど

いろいろ考えてるうちに、約束してた人と会うことができました。

相手の言葉も聞かずに、顔を合わせるなり怒鳴り始めた人のことを思い出し、まずは相手の言葉を待ちました。
私は謝罪の言葉を受け入れました。

悪い言い方をすると、こういう時にいちばん効果的なのって「罪悪感を感じさせること」なんですよね。

君はやるべきことはちゃんとやる人だから信じて待っていたんだよ。何か事情があるんでしょう?

とできるだけ穏やかな顔で穏やかな声で言ってあげます。

そして次の指示をした後、少しこの件とは関係のない会話をして最後は褒め言葉で締めくくりました。ほめられるのはいい思い出ですよね。これでその人は今日のことが記憶に残るはずです。

「この人は自分の話を聞いてくれる人だ」

「この人は自分をちゃんと見てくれてる人だ(ほめてくれる)」

こう思わせることができたらイチコロです。
今後の人間関係も円滑です。

その後、無事に今日の任務を遂行してくれました。そして私が言うより先に「今後は気をつけます」と言ってくれました。その言葉を聞いて今日怒らなくてよかったなと思いました。

ありがとう、反面教師。

(やっぱりまとまらん)