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親友とは

さっき、お母さんとTelした。(そこは"電話"でよくね?)
話した内容は、仕事の事、両親が老いて行く姿が悲しいけど、ご先祖さまや人類はそれを繰り返して今まで来てるから、そういう風に受け止める。という事を話してた。

勿論、こんな話しになってる訳だから未来の事を話すなんて事は無く、僕が小学生の頃の話とかしてた。そこで"親友"の話になる。

僕「そういえば、お父さんと○○さん(歳が離れてるけどタメ語でそれぞれ会話するほどの仲・元同僚)が仲良くなった原因って何?」

母「△△学校で、同僚からかな?」

僕「そうなんや、父さんって○○さんくらいしか仲良い友達おらんよな?」

母「他にも、同僚で仲良い人いたりしてるよ」

の会話から"親友"の話が広がってゆく。

母「そういえば、この前家族であんたの出身の小学校巡ったよなぁ、懐かしかったね、あんたが小学生の時は、□□くんと一生の親友になると思ってたんやけどなぁ。」

僕「まあ、でもそん時はそうやけど、今連絡しても返事こなかったりしたし、そこまでや」

母「そうなんや、私が思うに、親友って言葉要らんと思う。親友っていうのは、同じベクトルを持った人や自分の価値観が変わった時々に接する人達やから、それは一生の親友の友と言わん。」

親友という概念は要らない。これは、確かに。そう思った。
親友なんて、その時々の状況で変わるし、お互いがそれぞれを過ごしていく中で価値観も変わる。
僕達の家族は、だれも親友と呼ばれる友が居ないのだ。居たとしても、「仲良い友達・知り合い」なんだ。
父も母も姉も弟も、勿論僕も。

でも、僕は母のいう「同じベクトルを持った人」が必ずしもそういう類の人ではないと思った。

僕は、「価値観同じでも違ってても、こいつの事気にかけてるかどうか」だと思う。

親友とかではなく、この人の事気になるなら大丈夫かな?助けたいな。とか何かそう思える人が自分の人生において、ずっと付き合う人達なのかな。と思った。
僕は、昔仲良かった友達より、最近知り合ったとか昔そこまで仲良くなかった大学時代の友達とかと連絡する。
よくわかんないけど、これは自分が新しい価値観に触れてみたい・その人の事を気にかけてるってことなのかなぁ。。

だから、親友なんて言葉は、その時の気休めであって、本当は親友なんて言葉はないんだ。
僕達家族は無意識に"親友"という言葉を消してたのかも知れない。

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